第25話 それはヴォイドではなかった
その変化は、静かに、しかし確実に広がっていた。
天霧市から遠く離れた地方都市――地方支部が管轄する、どこにでもある中規模の街。
夕方の空は穏やかで、買い物帰りの人々が行き交い、子どもたちが笑いながら帰路につく。
だがその日常の上空で、空間が歪んだ。
黒い裂け目。
ヴォイドの出現。
――にもかかわらず。
「対象確認、レベル中。距離三百」
淡々とした声が、ヘッドセット越しに響く。
その声の主は、自衛隊のヴォイド対策部隊に所属する隊員だった。
フェーズグラスをかけ、手には位相干渉式ライフル。背後には簡易展開型のフェーズドームが起動している。
彼の隣では、魔法少女がひとり、軽く身体をほぐしていた。
「先に削ってくれると助かるんだけど」
「了解。三秒後に撃つ」
「お願いね」
軽い会話。
かつてならありえなかった光景だ。
ヴォイドとの戦闘は、魔法少女の専権事項だった。
一般人は“見えない敵”に対して、何もできない存在だった。
だが今は違う。
「射撃開始」
乾いた銃声。
弾丸がヴォイドへ突き刺さる。
黒い外殻が弾け、明確な損傷が生まれる。
「効いてる!」
「当然だ」
隊員は冷静に撃ち続ける。
動きを削り、軌道を制限する。
その間に――魔法少女が踏み込んだ。
白と青の光をまとい、空中へ軽く跳ぶ。
手に集めた光が弾丸となり、連続して放たれる。
ヴォイドの核へ直撃。
爆ぜる。
崩れる。
消滅。
「……終了」
魔法少女は軽く息を吐いた。
額に汗はあるが、疲労は軽い。
「早かったな」
「そっちが削ってくれたからだよ。前より全然楽」
「被害ゼロ。いい傾向だ」
その場の空気は、驚くほど落ち着いていた。
緊張はある。
だが恐怖は、もう支配していない。
別の場所でも、同じような光景が繰り返されていた。
都市部。
郊外。
山間部。
ヴォイドが出現するたびに、フェーズレーダーが予測し、
自衛隊が展開し、
魔法少女が合流する。
連携。
分担。
合理化された戦闘。
かつては“突然現れる災害”だったヴォイドは、
今や“対処可能な脅威”へと変わりつつあった。
「最近、出動減ったよね」
別の地域。
支部所属の若い魔法少女が、空を見上げながら呟く。
「うん。前は一日何回も呼ばれてたのに」
「助かるけど……ちょっと拍子抜けかも」
隣の魔法少女が苦笑する。
「贅沢な悩みだね、それ」
「だよね。でもさ、なんかこう……」
言葉を探すように、少しだけ視線を彷徨わせる。
「世界が急に“まとも”になった感じしない?」
「……分かるかも」
答えた少女も、どこか不思議そうだった。
戦える。
守れる。
間に合う。
それが当たり前になりつつある。
――良い変化だ。
間違いなく。
だが。
だからこそ。
その均衡は、あまりにも“綺麗すぎた”。
――――――
その“綺麗さ”を、誰よりも正確に理解している存在がいた。
異次元虚界。
重力の概念すら曖昧な、歪んだ空間の中。
無数の黒い構造体が浮かび、脈動し、連結している。その中心部に、ひとつの意識が存在していた。
リゼ=ノクス。
ネメシス四天王の一角。
ヴォイドの設計・製造・運用を司る存在。
「……異常」
その声は、冷たい。
感情の揺らぎが極端に少ない、純粋な分析の音。
視界のようなものに、数値が流れていた。
ヴォイドの投入数、回収率、再利用効率、損耗率。
そのすべてが――
「低下している」
想定値を下回っていた。
本来、ヴォイドは循環する。
投入し、破壊され、回収され、再構築される。
だが現在。
回収が成立していない。
破壊された個体の残滓が、回収前に“消失”している。
「……干渉」
外部からの干渉。
それも、局所的ではない。
広範囲。
複数地点。
同時多発。
リゼ=ノクスの思考が、わずかに深く沈む。
「技術体系……未確認」
これまでの人類は、脅威ではなかった。
視認できない。
干渉できない。
対抗できない。
それが前提だった。
だが今。
「前提が崩壊している」
その原因は、一つではない。
視認。
防御。
干渉。
回収阻害。
複数の要素が、体系的に構築されている。
偶然ではない。
「意図的」
誰かが、設計している。
誰かが、作っている。
誰かが――“理解している”。
その結論に至った瞬間。
リゼ=ノクスの周囲で、空間がわずかに歪んだ。
感情ではない。
だがそれに近い、何か。
「排除対象」
定義が更新される。
これまでの“地球”ではない。
“個体”だ。
「特定、優先」
思考が収束する。
解析対象を絞り込むために、より精度の高い情報が必要になる。
つまり。
「捕獲」
生きたまま。
情報を引き出すための個体が必要。
そのために。
リゼ=ノクスの周囲に、三つの影が現れた。
一体目。
細長い四肢を持つ、異様に“関節が多い”人型。
節ごとにねじれ、通常の可動域を超えた動きを可能にする構造。関節の隙間からは黒い霧が漏れ、常に形状が微妙に変化している。
二体目。
外殻が層状に重なった、重装甲の獣型。
一枚一枚がずれるように動き、攻撃の衝撃を分散する。頭部には口の代わりに複数の裂け目があり、それぞれが独立して振動している。
三体目。
――そして最も異質な個体。
輪郭が定まらない。
そこに“いる”のに、視線を合わせるたびに形が変わる。
霧のようであり、液体のようであり、しかし確かな質量を持っている。
三体すべてが、通常のヴォイドとは明らかに異なる。
“特別”。
“調整済み”。
“目的特化”。
「投入準備、完了」
リゼ=ノクスは、それらを見下ろした。
対象は決まっている。
魔法少女。
戦闘能力があり、なおかつ情報価値が高い存在。
「観測、捕獲、解析」
そのための個体群。
空間が開く。
地球へと繋がる裂け目が、静かに生まれる。
「開始する」
三体のヴォイドが、順にその中へ沈んでいった。
最後に、リゼ=ノクス自身も歩み出す。
――――――
夜。
別の都市。
街灯に照らされた住宅街の一角で、ひとりの魔法少女が立っていた。
年齢は十代半ば。
まだ経験の浅い、新人に近い存在だ。
フェーズグラス越しに周囲を見渡しながら、小さく息を吐く。
「……反応、なし」
手元の簡易端末を確認する。
フェーズレーダーの予測では、この周辺に出現するはずだった。だが、まだ何も現れていない。
「遅れてるのかな……」
不安と、少しの緊張。
でも、それは以前ほど重いものではなかった。
今は違う。
装備がある。
支援がある。
最悪でも時間を稼げば、援護が来る。
だから、怖くない。
そう思った、その時だった。
――ぞわり、と。
背筋をなぞるような感覚が走った。
「……え?」
空気が、変わる。
温度じゃない。
圧力でもない。
もっと根本的な、“何かがおかしい”という感覚。
フェーズグラス越しの視界が、わずかに歪む。
そして。
目の前の空間が、音もなく裂けた。
予測地点ではない。
タイミングも違う。
何より――
「なに、これ……」
そこから現れた“影”は。
これまで見てきたどのヴォイドとも、違っていた。
輪郭が安定しない。
関節が増えている。
装甲が、異様に重なっている。
“違う”。
直感が、そう告げる。
同時に。
もう一つ。
裂け目の奥。
そこに、“何か”がいる。
見ている。
こちらを。
魔法少女の喉が、ひゅっと鳴った。
さっきまでの“戦える”という感覚が、音を立てて崩れる。
理由は分からない。
でも分かる。
これは――まずい。
これまでの敵とは、違う。
夜の住宅街に、静かな不穏が満ちていく。
夜の住宅街に、音はなかった。
街灯の白い光がアスファルトを照らし、遠くで犬の鳴き声がかすかに響く。
その、ありふれた日常の只中で――空間が裂けた。
黒い歪み。
それは予測された出現位置でも、時間でもない。
完全な逸脱。
現場に立っていた魔法少女は、すでに変身を終えていた。
だがその表情は、これまでのどんな戦闘時とも違っていた。
「……なに、これ」
フェーズグラス越しに見えるそれは、“いつものヴォイド”ではない。
一体目。
人型。
だが関節が多すぎる。肘が二つ、膝が二つ、いやそれ以上。曲がるたびに関節が増え、ありえない角度で四肢が伸び縮みする。
二体目。
重い。
それだけで圧迫感がある。外殻が層状に重なり、動くたびに装甲がずれて軋む。直感で分かる――普通の攻撃は通らない。
三体目。
輪郭が、存在しない。
そこに“いる”のに、視線を合わせるたびに形が崩れる。霧のようで、液体のようで、しかし確かな質量を持っている。
「……っ」
呼吸が浅くなる。
怖い。
これまで戦ってきたヴォイドとは、明らかに違う。
だが。
その思考がまとまるより、速かった。
一体目が、消えた。
「――え?」
次の瞬間、目の前。
距離の概念が崩れる。
反応が、間に合わない。
少女の肩のすぐ横に浮かんでいた、小さな光――契約ピクシスが、ほんの一瞬だけ揺れた。
その次の瞬間。
腕が伸びる。
いや、伸びたのではない。
関節が増え、折れ曲がり、空間をねじるように距離を詰めた。
掴まれる。
――のではなく。
ピクシスが、掴まれた。
「――ッ!?」
反射的に手を伸ばす。
だが。
間に合わない。
握り潰される。
音はなかった。
ただ、光が弾けた。
「……ぁ」
声が出ない。
今、何が起きたのか。
理解が追いつかない。
だが。
“いない”。
いつも隣にいた、小さな光が。
消えた。
「……や、」
その言葉が、最後まで形になる前に。
首を、掴まれた。
視界が跳ねる。
「っ、あ――!」
足が地面から離れる。
呼吸が止まる。
喉が締め上げられる。
苦しい。
理解する暇もない。
ただ。
奪われた。
いきなり。
何もできずに。
相棒を。
「――――」
名前を呼ぼうとする。
だが声にならない。
空気が入らない。
視界が揺れる。
その間に。
二体目が、前に出た。
重い一歩。
それだけで地面が沈む。
少女は必死に腕を振るい、光弾を放つ。
至近距離。
直撃。
だが。
装甲が“ずれた”。
層が滑るように動き、衝撃を逃がす。
無傷。
「……うそ……」
呟いた瞬間。
叩きつけられる。
腕の力で、投げ捨てられる。
地面に激突。
コンクリートが砕ける。
「ぐっ……!」
肺から空気が抜ける。
息ができない。
それでも。
立ち上がろうとする。
戦わないといけない。
そうしないと――
でも。
遅い。
三体目が、そこにいた。
“いた”としか言えない。
いつの間にか、目の前に。
輪郭が揺れる。
焦点が合わない。
合ったと思った瞬間、形が崩れる。
「なに……これ……」
思考が乱れる。
理解が崩れる。
その隙に。
何かが、腕に絡みついた。
「っ――!」
冷たい。
重い。
なのに感触が曖昧。
引き剥がせない。
動けない。
逃げられない。
「……やだ……」
声が震える。
恐怖が、遅れて押し寄せる。
どうすればいいのか分からない。
これまでの戦い方が、通用しない。
その時。
裂け目の奥から、もう一つの影が現れた。
ゆっくりと。
歩くように。
空間そのものが、それに合わせて歪む。
リゼ=ノクス。
人型に近いが、どこか不完全な存在。
輪郭が微妙に揺らぎ、視線を合わせると形がわずかにずれる。
少女を見下ろす。
「……捕獲、完了」
感情のない声。
処理結果の報告のように、淡々と。
「……なに……あなた……」
少女の声は、かすれていた。
怖い。
ただそれだけが、はっきりしている。
リゼ=ノクスは、わずかに首を傾けた。
「質問」
空気が、さらに冷える。
「……最近の変化。原因」
意味が分からない。
だが、次の言葉で理解する。
「ヴォイドへの干渉。視認。防御。回収阻害」
一つずつ、正確に。
「技術体系。出所を答えろ」
命令。
逃げ場はない。
「し、知らない……!」
即答だった。
本当だった。
彼女はただの魔法少女だ。
現場で戦うだけの存在。
「知らない……知らないよ……!」
リゼ=ノクスは、無反応。
視線をわずかに動かす。
一体目のヴォイドが、首への圧力を強めた。
「っ、あああっ……!」
呼吸が途切れる。
視界が白くなる。
苦しい。
怖い。
「回答」
一言。
それだけで、逃げ場が消える。
「し、知らないって……!」
「不正確」
否定。
次の瞬間。
三体目が、顔のすぐ近くまで寄る。
距離感が壊れる。
視界が歪む。
「ひっ……!」
心臓が跳ねる。
涙が溢れる。
怖い。
分からない。
このままどうなるのか。
「再質問」
冷たい声。
「出所」
「……っ」
言いたくない。
でも。
怖い。
怖い怖い怖い。
思考がまとまらない。
知っていることは、少ない。
でも。
“少しだけ”は、知っている。
「に、日本……」
震える声。
「日本で……作られてるって……」
言ってしまった。
止められなかった。
「……続けろ」
「それ以上は……知らない……ほんとに……!」
涙がこぼれる。
必死に首を振る。
「協会の人たちが……使ってて……自衛隊も……でも……誰が作ったかとか……分からない……!」
断片的な情報。
曖昧な認識。
だが。
リゼ=ノクスには、十分だった。
「……地域特定。完了」
静かに呟く。
必要な情報だけを抽出する。
日本。
技術供給源。
複数組織に展開。
中枢が存在する。
「価値、低」
その一言で、判断は終わる。
「……え?」
少女が顔を上げる。
その瞬間。
拘束が、強まる。
「や、やだ……!」
逃げようとする。
だが、動けない。
視界の端で、三体のヴォイドがわずかに動く。
その意味を、理解してしまう。
「やだ……助けて……!」
叫びが、夜に消える。
誰も来ない。
リゼ=ノクスは、ただそれを見下ろしていた。
感情はない。
ただ、工程を終えただけ。
そして。
次の行動へと移るための準備が、静かに進んでいくのだった。
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