第24話 普通の人間が、初めてヴォイドを撃ち殺した日
銃声ってのは、普通は耳にうるさいだけの音だ。
でも、僕の前で鳴るそれは違う。
人類が今まで触れられなかった怪物に、初めて“ちゃんと届いた”って証明になる。
だから僕は、射撃場代わりにされた廃工場の一角で、耳栓もせずにその瞬間を待っていた。
「鬼塚、そっちの調整終わった?」
僕が声をかけると、数メートル先でライフルを構えていた鬼塚が、わずかに肩越しに振り返った。
「終わった、というか……本当にこれでいいのか、の確認を今からしたいところだ」
「確認するために呼んだんだけど」
「お前は毎回そう言うな」
呆れたように返しながらも、鬼塚はきっちり安全確認の手順を踏んでいた。銃口の向き、足幅、構え。全部が教本通りで、無駄がない。さすが現役自衛隊員って感じだ。学校の特別顧問としてスーツ姿で校内を歩いてる時より、こうして訓練用の迷彩服を着てる時の方がずっと自然に見える。
廃工場の天井は高く、薄暗い。かつて大型機械でも置いてあったらしいコンクリートの床には、今は僕が持ち込んだ機材と、自衛隊側が用意したテスト設備が並んでいる。鉄骨の隙間から差し込む午後の光が、空気中の埃をゆっくり浮かび上がらせていた。
工場の壁際には、簡易の射撃レーンが作られている。普通の標的じゃない。そこに並んでいるのは、位相固定フレームに拘束された擬似標的だ。ヴォイドの外殻構造を解析して再現した、僕製の“試し撃ち用ヴォイドもどき”。本物じゃないけど、本物に近い反応は取れる。
そして鬼塚の目元には、いつもの軍用ゴーグルじゃなく、銀色の細いフレームの眼鏡がかかっていた。
フェーズグラス。
人類がこれまで見えなかったものを見るための、最初の一歩。
「違和感は?」
「見える、という一点だけで言えば十分すぎる。慣れないがな」
「まあ、昨日まで見えてなかったものが急に見えるようになったら脳がびっくりするだろうね」
「軽い言い方をするな。俺は今、世界の裏側を覗かされてる気分なんだが」
「実際覗いてるから正しい認識だよ」
鬼塚は深く息を吐いた。
レンズ越しに見えているのは、拘束フレームの中でゆらゆらと揺れる、黒く歪んだ塊だ。普通の人間なら、そこには何もないようにしか見えない。だけどフェーズグラスを通すと、空間の裂け目みたいなものが、ちゃんと“怪物の形”として目に入る。
人型でも獣型でもない、粘土を殴って無理やり尖らせたみたいな気味の悪い外殻。表面では黒い靄がたえず流れていて、見ていると奥行きの感覚が狂う。普通の人があれを裸眼で認識できないのも当然だ。
逆に言えば、見えさえすれば、狙える。
「で、今日の趣旨は改めて言うと?」
鬼塚が確認するように尋ねてきた。
分かってるくせに聞くのは、こいつの性格だ。重要事項は口に出して整理するタイプ。軍人っぽい。
「基礎技術は完成した。フェーズグラスで視認、フェーズシールドで防御、フェーズアンカーで回収阻害、ここまではもう使える。で、次は攻撃手段。魔法少女とフェーズビーストだけに前線を任せるの、効率悪いだろ」
「だから一般兵装をヴォイドに通るよう調整する、と」
「そう。人工ピクシスは量産が面倒。フェーズビーストだって、使い捨て量産品にするにはまだコストが高い。だったら、人間が扱い慣れてる武器を改造した方が早い」
僕は近くの作業台に広げた部品を指で弾いた。金属音が乾いて響く。
「要は“普通の人でもヴォイドに抵抗できるようにする”ための武器開発。鬼塚はそのためのサンプル」
「言い方が人聞き悪いな」
「実際そうだし」
「せめて協力者と言え」
「鬼塚がサンプルとして優秀なのは事実だよ。現役自衛隊員。銃火器の扱いに慣れてる。ナイフ格闘の訓練も受けてる。戦場想定のフィードバックができる。これ以上ないくらい都合がいい」
「都合で人を評価するな」
「研究ってそういうものだよ」
僕が言うと、鬼塚は眉間を揉んだ。最近この反応をよく見る。たぶん僕と付き合うと頭痛の頻度が増えるんだろう。かわいそうに。
少し離れた位置では、澪が腕を組んでこっちを見ていた。学校帰りだから制服姿だ。白いブラウスに紺のスカート、その上から薄手のカーディガン。背は低いし顔立ちもかわいい寄りなのに、真面目な表情をしてる時だけ妙に先輩っぽく見える。
その肩の近くには、手のひらサイズのピクシス、ピノがふわふわ浮いていた。淡い光をまとった小さな羽虫みたいな姿で、僕の工具箱を興味深そうに覗き込んでいる。
「理久くん」
「なに、星川」
「普通の人でも戦えるようになるのは大事だと思うけど……その言い方だと、鬼塚さんがちょっとかわいそうなんだけど」
「ほらな、星川もそう言ってる」
「でも実際、鬼塚さん以上に適任な人はいないとも思います」
「ほら」
「どっちの味方なんだお前たちは」
澪が小さくため息をつく。
でも、口調のわりに本気で止めようとはしていない。ここまで来ると、澪も分かってるんだ。僕が思いつきで危ないことを始めた時と、本気で必要なものを作ってる時の違いを。
今回は後者だ。
魔法少女だけじゃ守り切れない場面が、これから絶対に増える。
フェーズグラスの配備が進めば、ヴォイドを“見える人間”は増える。フェーズレーダーで出現予測もできる。フェーズシールドやフェーズドームがあれば時間稼ぎも可能。だったら次に必要なのは、見えて、防げて、その上で倒せることだ。
誰か特別な才能を持った一人じゃなく、訓練を受けた人間が再現性をもって使える戦力。
つまり兵器。
「まずは拳銃から」
僕は作業台の上から一丁を取り上げて、鬼塚に向けて軽く掲げた。
見た目は、ごく普通の自動拳銃に近い。黒いスライド、無骨なグリップ。ただし内部構造は別物だ。銃身の下に薄いリング状の補助ユニットが付いていて、フレーム内部には位相干渉素子を組み込んである。
「弾丸そのものに細工してるわけじゃない。厳密には、発射の瞬間に弾体の周囲へ位相同期膜をまとわせてる」
「昨日も聞いたが、やっぱりさらっと言う内容じゃないな」
「鬼塚向けに噛み砕くと、“こっち側の弾を向こう側にも触れる弾にする仕組み”」
「最初からそう言え」
「でも原理を理解した方が、使用感の違和感を言語化しやすいだろ」
「お前は現場人間に要求するレベルが高い」
そう言いながらも、鬼塚は拳銃を受け取った。手の中で重さを確かめ、スライドを引き、サイトを覗く。その一連の動作に迷いがない。
「重量バランスは?」
「少し前寄りだな。だが許容範囲だ。補助ユニットの分か」
「うん。あと射撃の瞬間にほんの少しだけ、反動の質が変わると思う」
「質」
「反動は後ろだけじゃなくて、“引っかかる”感じが混じるはず。空間の境目を擦るから」
「相変わらず例えが気持ち悪いな」
「分かりやすいだろ」
鬼塚は無言で的へ向き直り、深く息を吸った。
工場の中が、一瞬だけ静まる。
僕は手元のタブレットを起動し、センサー出力を監視した。標的側の位相反応、弾道補足、干渉率、表層損耗値。全部リアルタイムで拾う。
「いつでも」
「言われなくても分かる」
直後、乾いた発砲音が工場内に炸裂した。
火花が散る。
擬似標的の表面が、黒い膜ごとめくれ上がった。
続けて二発、三発。
鬼塚は無駄なく撃ち切り、最後の一発まで同じリズムで集弾させた。射線はぶれない。標的の中心部に、黒い抉れが連続して穿たれていく。
タブレット上の数値が跳ねた。
「よし」
思わず口から漏れる。
通常弾ではありえない反応だ。位相干渉率は想定値の範囲内。接触成功率も高い。表層だけじゃなく、一段内側まで損傷が通ってる。
鬼塚が構えを解き、肩越しにこっちを見る。
「どうだ」
「十分当たってる。ていうか想定よりいい」
「お前の“想定よりいい”は信用していいのか?」
「だいたいいつも期待値が高すぎるだけだから、今日はかなりいい方」
「褒めてるのか、それは」
「褒めてる」
僕が近づくと、焦げたような匂いと、少し違う臭いが鼻についた。電気臭さに似てるけど、もっと冷たい感じ。位相面が擦れた時特有の臭気だ。
標的の裂け目を指先で示す。
「見て。外側だけじゃなくて、内部の位相核にも傷が届いてる」
「……本当だな」
フェーズグラス越しに見ると、黒い外殻の内側にある濃い靄の塊が、不規則に揺らいでいた。これがヴォイドの活動を支える中核に近い部位だ。魔法少女の攻撃やフェーズビーストの牙なら届く。逆に普通の銃弾は、そこへ干渉する前に位相をすり抜けて終わる。
でも今のは違った。
「これなら軽量級のヴォイドなら十分殺せる。中型以上は弾数がいるかもしれないけど、部隊運用なら現実的だね」
「部隊運用……」
鬼塚が低く繰り返した。その声には、戦術を組み立てる人間の重みがあった。
魔法少女一人が現場に急行するまでの時間を稼ぐ。あるいは、後方支援じゃなく前衛火力として一般兵が介入できる。今まで理論上しかなかったことが、目の前で成立しつつある。
鬼塚は撃ち終えた拳銃を安全方向へ向けたまま、しばらく黙っていた。やがて、静かに言う。
「……これが配備されたら、現場の常識が変わる」
「変えるために作ってる」
「軽く言うな。本来なら、国家単位で十年かけて積み上げるような話だ」
「十年待ってる間に何人死ぬの?」
「…………」
「だから待たない」
僕がそう言うと、鬼塚は何か言い返しかけて、結局やめた。
たぶん、正論だと分かってるからだ。
澪が少しだけ表情を曇らせる。
その顔を見て、僕は肩をすくめた。
「別に、魔法少女の仕事を奪いたいわけじゃないよ」
「分かってます」
「星川が全部背負う必要ないって話。太陽もそうだけど、戦えるやつが増えた方がいい」
「……うん」
「人類対ヴォイドの戦争なんだから、いつまでも“見える特別な誰か”だけに押しつける方が異常だろ」
澪は少しだけ視線を落として、それから小さく笑った。
「理久くんって、そういうところは本当に優しいよね」
「そう聞こえるなら星川のフィルター性能が高いだけ」
「そこで素直に受け取らないのが理久くんだよね……」
「受け取ったら調子に乗るからやめて」
僕が答えると、横から鬼塚がぼそっと言った。
「すでに十分調子に乗ってるだろ」
「実力が伴ってるなら問題ない」
「お前、自分で言うのか」
「事実だし」
鬼塚はもう一度ため息をついたあと、次はライフルの方へ視線を向けた。
「拳銃がこれだけ通るなら、長物の方も期待できそうだな」
「もちろん。そっちはもっといい。初速が高い分、位相同期が安定する」
「その代わり、取り回しや消費電力に問題が出るんだろ」
「察しがいいね。補助ユニットの稼働時間が短い。連射しすぎると過熱する」
「つまりそこを調整したいから、俺に撃てと」
「そういうこと」
僕はライフルケースを開いた。
中に収まっていたのは、自衛隊仕様の小銃をベースにした改造型だった。銃身側面に細い発光ラインが走り、ハンドガードの内側に位相干渉コイルが追加されている。見た目の物々しさは拳銃の比じゃない。
鬼塚がケースの中を覗き込み、真顔で一言。
「秘密兵器感がすごいな」
「実際秘密兵器だからね」
「外部に漏れたら面倒どころじゃ済まんぞ、これ」
「だから廃工場でやってる」
僕はライフルを持ち上げ、鬼塚に渡す前に補助ユニットの接続部を指で示した。
「ここ、まだ固定甘いかもしれない。射撃中にズレたら精度が死ぬ」
「お前、それを今言うか?」
「今だから言うんだよ。実射でしか分からないし」
「頼むから“死ぬ”とか気軽に言うな」
「精度の話」
「余計に質が悪い」
鬼塚が受け取ったライフルを肩づける。拳銃の時より、さらに空気が引き締まった。
僕はその横顔を見ながら、改めて思う。
この人は、戦うことに慣れてる。
別に好戦的って意味じゃない。必要なら躊躇なく引き金を引けるよう、ずっと訓練してきた人間の顔だ。だからこそ、こういうテスト役には最適だった。僕が机の上で組み上げた理屈を、現場で使える武器に変えるには、こういう人の感覚がいる。
「理久くん」
澪が小さめの声で呼んだ。
「なに」
「ナイフの方も試すんですよね?」
「試すよ。近接戦闘用も必要だし」
「……やっぱりやるんだ」
「銃だけで全部片付くなら楽だけど、ヴォイドは距離詰めてくるやつも多い。弾切れもある。閉所もある。あと、鬼塚はそういう状況の想定もできる」
「それはそうですが……」
澪は複雑そうに鬼塚を見る。
たぶん、“生身でヴォイドに近づく”って絵面に、どうしても不安があるんだろう。魔法少女として実際に戦っているからこそ、その危険さが分かる。
だから僕は先に言っておく。
「星川、安心していい。無防備でやらせるほど雑じゃない」
「理久くんの“安心していい”は、安心できないんですけど」
「ひどいな」
「普段の行いです」
その返しが早すぎて、僕は少し笑った。
まあ、そこは否定できない。
「ナイフは特に、位相刃の持続時間と、使用者側への反動フィードバックを見たい。シールド併用前提で、取り回しも確認する」
「反動フィードバックって?」
「ヴォイドの表層を切ると、向こう側に引っ張られる感じが出る可能性がある」
「やっぱり安心できない!」
「可能性の話。だから鬼塚で試す」
「またサンプル扱いしてるぞこいつ」
「鬼塚さんが妙に受け入れてるのもよくないと思うんですけど……」
「慣れた」
「慣れないでくださいよ」
澪のツッコミに、さすがの鬼塚も少しだけ笑った。
こういう軽口が飛ぶくらいには、僕たちの連携も板についてきてる。
前なら、魔法少女と中学生発明家と自衛隊員が、廃工場で対ヴォイド兵器の試験なんて、誰も現実味を持てなかっただろう。
でも今は違う。
やるべきことがあって、それぞれの役割がある。
その事実が、変な一体感を生んでいた。
「じゃあ次、ライフル。十発。三点制御、五十メートル相当、次に連射耐性」
「了解」
「そのあとナイフ。そのあとフェーズシールドと併用して実戦想定」
「実戦想定って、まさか本物相手か?」
「そうだけど」
「やっぱり安心できない!」
澪の声が工場に響く。
でも、僕はそこで首を振った。
「本物って言っても、いきなり野良ヴォイドを殴りに行くわけじゃない。フェーズレーダーで出現予測が出てる個体を、事前に自衛隊と観測所で包囲して、危険度の低いものを選ぶ。逃走対策にフェーズアンカーも持ち込む。フェーズシールドは僕が重ね張りする。最悪、星川と太陽もバックアップに入る。ここまでやってるのに、まだ不安?」
「……不安です」
「正直でいいね」
「理久くんが“ここまでやってる”って言う時、たいていそこから何か起きるんです」
完全に信用がない。
心外だけど、過去の実績を思えば仕方ない気もする。
鬼塚がライフルのセーフティを確認しながら言った。
「だが、必要な段階ではある。机上試験だけでは、現場には持ち込めん」
「でしょ」
「お前が珍しくまともなことを言っているのが腹立たしいが」
「珍しくは余計」
「普段が普段だ」
「否定しにくい……」
澪が小さくこぼしたその時だった。
工場の奥で待機させていた端末の一つが、短く電子音を鳴らした。
ピッ、という乾いた通知音。
僕はそっちへ視線を向ける。
タブレットの補助表示にも、同じ警告が浮かんでいた。
フェーズレーダーが、新しい反応を拾っている。
「……へえ」
僕は口元を少しだけ上げた。
「タイミングいいな」
澪の顔が一瞬で引き締まり、ピノが羽を震わせる。
鬼塚も、ライフルを持ったまま視線だけで僕に続きを促した。
ディスプレイ上には、天霧市内の簡易マップと、そこへ重なる予測円。
出現までの推定時間は、まだ数十分ある。けど十分だ。準備して移動するにはちょうどいい。
僕はタブレットを持ち上げ、二人に画面を見せた。
「鬼塚。微調整、次の段階に進めるよ」
そう言って、僕は予測地点を指先で叩いた。
実験室の中だけじゃ分からないことを、外で確かめる時間が来た。
「出現予測、南西ブロック。工業団地の外れ」
僕がそう告げると、鬼塚はライフルをケースに戻しかけて、途中で手を止めた。
「……いや、このまま持っていく」
「うん。そのための実戦試験だし」
「その言い方、やっぱり慣れんな」
「慣れなくていいよ。結果だけ慣れてくれれば」
鬼塚は軽く鼻を鳴らし、装備を最終確認する。マガジンの装填、セーフティ、スリングの長さ。無駄のない動きだ。
澪は少し離れた場所で腕を組み、心配そうにこっちを見ていた。制服のままなのに、もう完全に戦闘モードの顔になっている。
「理久くん、本当に行くの?」
「行くよ。もう予測出てるし、放置する理由がない」
「それはそうだけど……」
言葉を濁しながらも、止めない。
それが澪の答えだ。
僕はフェーズストレージから必要な端末を取り出し、肩掛けのバッグに放り込む。
「星川はバックアップ。危なくなったらすぐ入って」
「うん……分かってる」
澪の肩のそばで、ピノがふわふわと浮かびながら小さく羽を揺らした。
「ミオ、だいじょうぶ。ピノもいるよ!」
「ありがとう、ピノ。でも無理はしないからね」
「うん!」
そのやり取りを聞きながら、僕は軽く肩をすくめる。
「じゃ、行こう」
――――――
現場は、天霧市の外れにある資材置き場だった。
並んだコンテナ、積み上げられた鉄材、使われなくなった重機。
人の気配はほとんどない。風が吹くたび、どこかの鉄板がかすかに鳴る。
その空間の上で――空間が歪んでいた。
フェーズグラス越しに見ると、空中に黒い裂け目が浮かんでいる。油膜みたいに光を歪め、中心部は不自然に暗い。縁は細かく脈打ち、今にも何かが押し出されてきそうな圧力を感じる。
「安定化前。あと数秒」
僕はタブレットを見ながら言う。
同時に、小型のフェーズアンカーを周囲へ配置した。地面に吸着した端末が、淡く光を灯す。
「鬼塚、準備」
「いつでもいける」
鬼塚はライフルを構え、裂け目を正面から捉える。
澪も一歩引いた位置で周囲警戒に入った。
次の瞬間。
裂け目が、大きく脈打った。
空気が冷える。
耳鳴りみたいな不快音が広がる。
「来る」
黒い塊が、ぬるりと押し出されてきた。
四足。
獣型。
でも、まともな形じゃない。
関節の位置がずれている脚、輪郭が曖昧な頭部、内部で光る暗い核。
犬に似ているけど、あくまで“似ているだけ”の何か。
中型ヴォイド。
着地したそいつは、一度だけ周囲を見回した。
そして、鬼塚を見た。
「鬼塚、まずはそのまま」
「了解」
短く答え、引き金が引かれる。
乾いた発砲音。
一発目が、ヴォイドの肩口を抉った。
黒い外殻が弾ける。
靄が飛び散る。
「――ッ」
確実に効いてる。
僕は即座にタブレットの数値を見る。
位相干渉成功。損傷確認。
ヴォイドが遅れて動いた。
横へ跳び、位置をずらす。
速い。
「でも――」
鬼塚の銃口は、それを追っていた。
先回りするように二発、三発。
弾丸が側面に突き刺さり、動きを鈍らせる。
「当たる……!」
澪が思わず声を漏らす。
当然だ。
今までなら、あれは“すり抜けるだけ”だったはずなんだから。
「鬼塚、そのまま距離管理」
「了解!」
鬼塚は後退せず、斜めに位置をずらす。
直線で突っ込ませない動き。
上手い。
ヴォイドが低く沈み込む。
「跳ぶ!」
僕が言った瞬間、黒い影が弾けた。
一直線に鬼塚へ。
でも鬼塚は半歩だけ横へずらし、同時に発砲。
至近距離。
弾丸が胴体に叩き込まれ、軌道がわずかに逸れる。
その“わずか”で十分だった。
ヴォイドは鬼塚を掠めて通り過ぎ、背後の鉄骨へ激突する。
鈍い音。鉄骨が歪む。
「っ、すご……」
澪の声が小さく震えた。
鬼塚は止まらない。
すぐに振り向き、追撃。
「理久、右前脚。動きが鈍い」
「そこ壊せば機動落ちる!」
即座に射点を下げる。
一発。
前脚の付け根が砕ける。
ヴォイドが初めて明確な悲鳴を上げた。
耳じゃなく、頭の奥に直接響く不快な音。
「効いてる!」
「当たり前だよ」
僕は口元を少しだけ上げる。
ヴォイドの動きが明らかに落ちた。
着地が不安定になる。
鬼塚が距離を支配している。
ヴォイドが口を開く。
内部の光が集まる。
「飛び道具!」
「シールド」
僕は即座にフェーズシールドを展開した。
半透明の壁が鬼塚の前に出る。
直後、黒い杭が射出され、シールドに衝突。
火花のようなノイズが散る。
防げる。
「そのまま撃ち続けて」
「了解!」
鬼塚は冷静に射撃を継続する。
削る、削る、削る。
ヴォイドの動きはさらに鈍る。
もう勝負は見えていた。
「鬼塚、ナイフいける?」
「やるのか」
「今が一番安全」
「……分かった」
「理久くん!?」
澪が振り返る。
「大丈夫。星川もいるし、僕もシールド張る」
「でも……!」
「ここで試さないと意味ない」
少し間を置いて、澪は歯を食いしばった。
「……分かりました。でも無茶はしないでください」
「するわけない」
鬼塚はライフルを下げ、ナイフを抜いた。
刀身に淡い光が走る。
位相刃。
ヴォイドが再び飛びかかる。
でも遅い。
鬼塚はギリギリまで引きつけ、最小限で回避。
そして――
一閃。
ナイフが首元を切り裂く。
外殻がめくれ、内部の靄が噴き出す。
「今!」
踏み込み。
二撃目。
刃が深く突き刺さる。
ユニットが高い音を鳴らす。
ヴォイドの全身が震えた。
そして――崩れる。
黒い外殻が砂のようにほどけ、靄が散り、核が砕ける。
音もなく、消えた。
「……倒した」
澪が呆然と呟く。
鬼塚はその場で数秒静止し、完全消滅を確認してから息を吐いた。
「終了だ」
「うん、終了」
僕はタブレットを見て、思わず笑った。
完璧だ。
「よし!」
声が自然に出た。
「理久くん、めっちゃ嬉しそう」
「嬉しいからね」
当然だ。
普通の人間が、
僕の装備で、
ヴォイドを単独撃破。
これ以上分かりやすい成功はない。
鬼塚がナイフを軽く振る。
「使用感は?」
「ライフルは問題なし。ナイフは……おかしいくらい切れる」
「褒め言葉だね」
「ヴォイド相手ならな」
澪がまだ信じられないように、消えた場所を見ていた。
「普通に……倒せちゃいましたね」
「うん」
「もっと大変かと思ってた」
「鬼塚が強いのと、僕の装備が優秀だから」
「そこ自信満々なんだ……」
「事実だし」
ピノが嬉しそうにくるくる回る。
「やったね!やっつけたね!」
「うん、やったね」
「ピノ、ちゃんと見てたよ!すごかった!」
その無邪気な声に、場の空気が一気に軽くなる。
鬼塚も少しだけ笑った。
「正直、ここまで安定するとは思わなかった」
「でも勝てた」
「ああ。勝てた」
その言葉に、確かな実感がこもっていた。
僕は回収作業をしながら言う。
「じゃあ帰ろう」
「もう?」
「データ十分。初戦は勝って終わるのが一番いい」
「それはそうだけど……」
澪が苦笑する。
「鬼塚、あとでフィードバックまとめて」
「休ませる気はないのか」
「鮮度が大事」
「理屈は通ってるが納得はしてない」
そんな軽口を交わしながら、僕はフェーズアンカーを停止させる。
裂け目がゆっくりと閉じていく。
夕暮れの空が、元の色に戻る。
さっきまでの異様な気配は、もうない。
残ったのは――
勝った、という事実だけ。
「これ、報告したらすごいことになりますよね」
澪が言う。
「なるね」
「絶対びっくりする」
「特に――」
僕は少しだけ笑って言った。
「“普通の人間がヴォイド倒しました”ってところ」
澪が吹き出す。
鬼塚は呆れたように肩をすくめた。
でも、その顔は少しだけ誇らしげだった。
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