25
私とローレンス様は、微かに西日が差す薄暗い廊下を進み、問題の部屋へと向かっていた。
この先にいるのは、三人の子供たち。
……今度こそ、助け出すんだ。
そんな決意を胸に、私は隣を歩くローレンス様を見上げた。
「……開けるぞ」
扉の前で立ち止まったローレンス様が、静かに告げる。
そして、ゆっくりと扉を開いた。
ギィ……。
古びた扉が、軋んだ音を立てる。
その瞬間、部屋の中にいた子供たちが、一斉にこちらを振り向いた。
薄暗い室内には、すえた臭いが充満していた。
窓からの光はほとんど届かず、壁も床も、長い間手入れされていないように見える。
そんな部屋に、扉から差し込んだ西日が細長く伸びた。
光に照らされた子供たちの顔が、少しずつ浮かび上がる。
黄色い瞳。
青い瞳。
そして、灰色の瞳。
三人とも、まだ幼い。
けれど、その瞳には――はっきりとした怯えが潜んでいた。
私たちを見つめる目は、まるで次に何をされるのかと警戒しているかのようだった。
……無理もない。
ここで、どんな扱いを受けてきたのか。
それを考えれば、突然現れた私たちを簡単に信じられるはずもないだろう。
私は怖がらせないよう、一定の距離を保ったまま、できるだけ穏やかな声で話しかけた。
「大丈夫。怖がらなくていいよ。私たちは、君たちを助けに来たんだ」
しかし、子供たちの表情は変わらなかった。
むしろ、顔を強張らせ、身を縮めている。
……やっぱり、相当ひどい目に遭ってきたんだ。
いきなり助けに来たと言われても、信じられないのだろう。
どう声を掛ければいいのか。
私が言葉を探していると、隣にいたローレンス様が口を開いた。
「お前たちは、アーデンヴァルト王国の出身だろう?」
三人の肩が、ぴくりと揺れた。
「うまくいけば、親元へ帰してやれる。……それとも、ここに残りたいのか?」
すると、一番大きな黄色い瞳の男の子が、ゆっくりと口を開いた。
「……でも、帰ったって……また、売られる」
そう言うと、男の子は俯いてしまった。
「……何?」
思わず聞き返しそうになったが、私は言葉を飲み込んだ。
ローレンス様も、わずかに眉を寄せている。
「お前たちは、攫われてきたんじゃないのか?」
「…………」
男の子は、それ以上答えなかった。
小さな手をぎゅっと握りしめ、ただ俯いている。
すると、少し小柄な青い瞳の女の子が、ぽつりと口を開いた。
「偉い人が……子供を集めに来るの」
「……偉い人?」
「うん。だから、帰っても……すぐ連れて行かれちゃう」
女の子はそう説明すると、再び空の魔石を手に取り、黙々と魔力を込め始めた。
まるで、そうすることが当たり前であるかのように。
……どういうことだろう。
ただ誘拐されてきたわけではない?
それとも、故郷に帰っても安全ではないということなのだろうか。
考えれば考えるほど、疑問が増えていく。
けれど、今ここで考え込んだところで、答えが出るわけではない。
まずは、この子たちを安心させることが先だ。
私は気持ちを切り替え、できるだけ明るい声で尋ねた。
「ねえ、お腹は空いていない? よかったら、私たちと一緒にご飯を食べよう?」
すると、女の子は不安そうに私を見上げた。
「……でも、終わらせないと怒られちゃう」
「大丈夫だよ」
私は安心させるように微笑んだ。
「君たちにひどいことをしていた人たちは、もういないんだ。だから、怒られる心配はないよ。もう、魔石に魔力を込めなくてもいいんだ」
「……本当?」
「うん。本当だよ」
そう答えてから、私は子供たちの足元に目を向けた。
三人の足には、足枷がはめられている。
「だから、まずはそれを外そうか」
すると、今まで黙っていた一番大きな男の子が、顔を上げた。
「……ねえ」
「うん?」
「本当に……信じていいの?」
つぶらな瞳が、まっすぐに私を見つめていた。
その瞳の奥には、ほんの小さな光が宿っている。
けれど、それはまだ、簡単に信じることのできない不安と隣り合わせの光だった。
私は何と答えればいいのか、一瞬だけ迷った。
絶対に大丈夫。
もう二度と、こんな目には遭わせない。
そう言ってあげたい。
けれど、今の私に、そこまでの約束をしていいのだろうか。
私が言葉を探していると、ローレンス様が一歩前へ出た。
「俺は、この国の王子だ」
その言葉に、三人の視線がローレンス様へと集まった。
「君たちを保護し、安全を確約しよう」
そして、ローレンス様は軽く頭を下げた。
「……君たちが置かれている状況に気づくのが遅くなってしまった。すまない」
「…………」
私は思わず、ローレンス様を凝視してしまった。
まさか……。
ローレンス様が、子供たちに謝るなんて。
これは、ダントン伯爵がしたことだ。
ローレンス様自身には、何の責任もないはずなのに。
……どうして、そこまで……。
そんな私の思いをよそに、青い瞳の女の子が不思議そうに首を傾げた。
「……かくやくって、なに?」
……あ。 確約、か。
確かに、五歳や六歳くらいの子には、難しい言葉かもしれない。
私はしゃがみ込み、女の子と目線を合わせた。
「約束する、ってことだよ」
「……やくそく?」
「うん。君たちを守るって、約束してくれたんだよ」
女の子はローレンス様を見つめた。
そして、隣の男の子たちも、互いの顔を見合わせる。
やがて三人は、ゆっくりと頷いた。
……よかった。
ほんの少しだけれど、信じてくれたのかもしれない。
私たちは子供たちに近づき、足枷を外していった。
金具が外れるたびに、かちゃり、と乾いた音が響く。
長い間、自由を奪っていたものが、一つずつ取り除かれていく。
けれど、そこで私は一つ気になることがあった。
一番小さな男の子が、最初から一言も話していないのだ。
灰色の瞳をしたその子は、私たちを見ているものの、何も言わずにじっと立っていた。
……大丈夫だろうか。
私は心配になり、男の子の前にしゃがみ込んだ。
「君も、もう大丈夫だよ。外まで歩ける?」
男の子はしばらく私を見つめたあと、こくん、と頷いた。
その様子を見ていた一番大きな男の子が、ぽつりと教えてくれた。
「……テオは、喋れなくなったんだ」
「え……?」
私は思わず、テオと呼ばれた男の子を見た。
「前は話せたの?」
「うん。でも、ここに来てから……話せなくなったんだ」
「…………」
ここに来てから。
その言葉が、重く胸に響いた。
精神的なショックが原因なのだろうか。
それとも、喉に何か問題があるのだろうか。
今の段階では、判断できない。
「……そっか」
私はテオの頭をそっと撫でた。
「帰ったら、お医者様に診てもらおうね。……喉は痛くない?」
テオは小さく首を横に振った。
……やっぱり、心の傷なのかもしれない。
もちろん、素人判断はできないけれど。
今は無理をさせず、安心できる環境を整えることが先だろう。
そう考えていると、ローレンス様の声がした。
「行けるか?」
振り返ると、ローレンス様が女の子を抱き上げていた。
「……えっ!? どうしたんですか?」
「右足を強く打たれているようだ。医者に診せるまでは、歩かせない方がいいだろう」
「私が抱えます!」
そう言って手を伸ばしたが、ローレンス様は首を横に振った。
「いや、いい。アレンは残りの二人を頼む。無理をさせないようにな」
「……分かりました」
「では、行こう」
そう言って、ローレンス様は颯爽と歩き出した。
私は二人の様子を確かめながら、その後に続いた。
こうして、三人の子供たちは、ようやくあの薄暗い部屋から解放されたのだった。
◇
屋敷を出た私たちは、レノンさんに子供たちを託したあと、再び屋敷へと戻った。
目的は、魔石の回収だ。
私たちは、完成した魔石と空の魔石を運び出した。
……とはいえ。
すべてを持ち帰るのは、さすがに無理がある。
そこで、どうしても運びきれない分については、以前通った川へと投げ捨てることにした。
そうして必要な作業を終える頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。
「……そろそろ戻ろう」
ローレンス様の言葉に頷き、私たちは馬に乗った。
今夜の宿は、レノンさんが手配してくれている。
子供たちの存在を第三者に目撃されると、後々厄介なことになりかねない。
そのため、三人には荷物を入れるための大きな袋に入ってもらい、できるだけ人目につかないように移動することになった。
もちろん、息苦しくならないよう、十分に配慮したうえでのことだ。
そして――。
私たちは、何事もなく宿へと到着した。
◇
「……あの、レノンさん?」
宿の部屋に入って早々、私は思わず声を掛けていた。
ーーーというのも。
「では、食事を手配している間に、私が子供たちの湯浴みを済ませます」
レノンさんが、そんなことを言い出したからだ。
いや、確かに子供たちは何日も風呂に入っていないらしい。
身体を清潔にするのは大切だし、本人たちにとっても気持ちがいいだろう。
……けれど。
「その子、女の子ですよ?」
私は、ルーナを見ながら言った。
見た目は五歳か六歳くらい。
まだ幼いとはいえ、知らない男性に裸を見られるのは嫌だろう。
そう思って注意したのだが――。
レノンさんは、心外だと言わんばかりにこちらを振り返った。
「何をおっしゃるのですか?」
「……え?」
「たとえ主人が成人した女性であろうとも、そういう目で見ないのが侍従というものです!」
「…………」
「ですから、アレンさんよりも、私の方が安全なのですよ!」
…………。
……いや、ちょっと待って。
言いたいことは分かる。 分かるけれど。
……こういう時、自分が女だって言えないのが辛い。
私は、内心で頭を抱えた。
男に成りすましている以上、主張を続けるわけにもいかない。
しかも、レノンさんは今、公私混同など決してしません、と言わんばかりの真剣な顔をしている。
……ならば。
ならば、どうしてあなたは今ここにいるんですか?
そもそも、今回の任務は潜入調査ですよね?
侍従の仕事ではありませんよね?
……と、言いたい。
けれど、言えない。 言えるはずがない。
結局、私は引きつりそうになる笑顔をどうにか保ち、レノンさんを信じて任せることにした。
……本当に、大丈夫だよね?
そんな私の心配をよそに、ローレンス様が口を開いた。
「レノン、その子は右足を怪我している。動かさないように頼む」
「かしこまりました」
レノンさんは恭しく頭を下げると、三人を連れて部屋を出ていった。
……行ってしまった。
大丈夫だろうか。
いや、レノンさんの言い分を信じるなら、問題はないはずなのだが。 どうにも、釈然としない。
私は小さく息を吐き、ソファーに腰掛けているローレンス様へと視線を向けた。
そして、先ほどから気になっていたことを尋ねてみる。
「……ローレンス様。さっき、どうして子供たちに謝ったんですか?」
「ん?」
「ローレンス様は何も悪くないですよね?」
ダントン伯爵が行ったことだ。
ローレンス様自身が、子供たちを傷つけたわけではない。
それなのに、あの場で謝るなんて。
私には、少し不思議だった。
すると、ローレンス様は穏やかな表情で答えた。
「悪い、悪くないの問題ではないんだよ」
「……どういうことですか?」
「ダントン伯爵は、ハインデルト王国の貴族だ。その貴族が、他国の人間に危害を加えた」
ローレンス様は、一度言葉を切った。
「……であれば、王家の俺たちにも、少なからず責任がある」
「…………」
「謝ったからといって、許されることではない。それでも、誠意を見せるのが王族としての務めだ」
その言葉に、私は思わず黙り込んだ。
……そう、なのか。
貴族の頂点に立つのが王族。
爵位の叙任や解任を決めるのも、王家だ。
その貴族が他国を巻き込むような問題を起こしたのであれば、王家にも責任がある。
そういうことなのだろうか。
……私は、何も分かっていなかった。
ローレンス様が子供たちに謝ったのは、単なる個人としての謝罪ではない。
王族として、自分たちの責任を認めたうえでの行動だったのだ。
自分の浅はかな考えに、恥ずかしさを覚えた。
「……ありがとうございます。勉強になりました」
そう告げると、ローレンス様は小さく笑った。
「そうか。なら、よかった」
そして、少し真剣な表情に戻ると、話題を変えた。
「ところで、アレン。さっき子供たちが話していたことだが……」
「はい?」
「国へ帰っても、また売られると言っていただろう?」
「……はい」
「君は、アーデンヴァルト王国について、どの程度知っている?」
「衰退した国だとは聞いておりますが、詳しい事情までは知りません」
「……そうか」
ローレンス様は頷くと、以前、書物で読んだというアーデンヴァルト王国の歴史について、詳しく教えてくれた。
魔法の国と呼ばれた豊かな王国。
強大な魔力を持つ女王。
そして、女王が討たれたことで始まった衰退と、他国からの侵攻。
さらに、魔力を持つ民が高値で取引され、子供たちが誘拐の対象になっていること。
話を聞けば聞くほど、胸が重くなった。
……豊かな魔法の国、か。
今では、その面影も残っていないのだろう。
「俺が知っている情報も、そう新しいものではない。それに、女王が討たれてからは国交も途絶えている」
ローレンス様は腕を組み、考え込むように視線を落とした。
「今回の件を機に、一度詳しく調べることも視野に入れた方がよさそうだな」
「……そうですね」
「それと、子供たちを医者に診せる件だが、明日、王宮へ戻ってからにしようと思う」
「分かりました」
私は頷いた。
確かに、ここで慌てて動くより、王宮に戻ってから適切な医師に診せた方がいいだろう。
特に、テオのことが気がかりだった。
どうか、少しでも早く元気になってくれますように。
そう願っていると――。
「ただいま戻りました」
扉が開き、レノンさんが子供たちと一緒に戻ってきた。
「……わぁ!」
思わず声が漏れた。
三人とも、見違えるほど綺麗になっていたのだ。
薄汚れていた髪は洗われ、本来の色がはっきりと分かる。
顔についた汚れも落ち、先ほどまでとはずいぶん印象が違っていた。
……よかった。
少しでも、気持ちがさっぱりしてくれていたらいいのだけれど。
それから、私たちは部屋で食事を取ることにした。
子供たちも、久しぶりのまともな食事だったのだろう。
最初は遠慮がちだったものの、少しずつ食べ進めていった。
食事の合間には、三人の名前や年齢についても聞くことができた。
一番大きな男の子は、八歳のリオン。
青い瞳の女の子は、六歳のルーナ。
そして、一番小さな男の子が、五歳のテオ。
三人とも、まだまだ幼い。
こんな子たちが、あんな場所で働かされていたなんて……。
改めて考えると、胸が痛んだ。
けれど、今はもう大丈夫。
少なくとも、今夜は安心して眠れるはずだ。
そう思っていたのだが――。
食事が終わった頃、レノンさんがとんでもないことを口にした。
「では、私と子供たちは隣の部屋で休みます。アレンさん、ローレンス様をよろしくお願いします」
「…………」
……え?
私は、思わず部屋を見回した。
ソファー。
ダイニングテーブル。
そして、奥にはベッドルーム。
……以上。
ゲストルームなど、どこにもない。
つまり。
……それは、非常にまずい。
この部屋に泊まるのは、ローレンス様と私。
そして、レノンさんと子供たちは隣の部屋。
……いやいやいや!
ちょっと待ってください!
私は慌てて、ローレンス様の寝支度を始めようとしているレノンさんを呼び止めた。
「あの、レノンさん?」
「はい、何でしょう?」
「私が子供たちと一緒に寝ましょうか?」
そうすれば、ローレンス様のそばを離れずに済むし、子供たちも安心できるのではないだろうか。
我ながら、悪くない案だと思ったのだが――。
「アレンさん」
レノンさんは、真剣な表情でこちらを振り返った。
「護衛の貴方が、ローレンス様から離れてどうするのですか!」
「……それは、そうですけど」
「それに、ルーナさんだって、知らない男性と一緒では安心して眠れないでしょう?」
「…………」
「その点、私は湯浴みを許された身。私の方が適任です」
…………。
……いや。
言っていることは分かる。
護衛対象から離れるのは、確かに問題だ。
ルーナが知らない男性と一緒に寝るのを不安に思う可能性だってある。
そして、レノンさんなら、子供たちを安心させてくれるだろう。
理屈は分かる。 分かるのだが……。
……なんだか、納得できないのは私だけだろうか。
だが、これ以上反論したところで、きっとまた言い負かされるだけだ。
私は諦めて、レノンさんを見送ることにした。
「……分かりました。よろしくお願いします」
「お任せください」
レノンさんは満足そうに頷くと、ローレンス様の湯浴みを済ませてから、部屋を出ていった。
……こうして。
子供たちの救出という大仕事を終えた私たちの夜は、何とも言えない気まずさを残したまま、静かに更けていくのだった。




