24
……ここは、どこ?
視界いっぱいに広がるのは、真っ赤に燃え盛る炎だった。
ごうごうと音を立て、何もかもを飲み込むように燃え上がっている。
ーーー逃げなければ。
そう思うのに、身体が動かない。
あつい……苦しい……。
息ができない。
熱気が肌を焼き、喉を締め付ける。
どうして?
私は、どうしてこんなところにいるの?
ーーーその時だった。
燃え盛る炎の向こうから、一人の女性が姿を現した。
女性はゆっくりと私に近づいてくる。
その顔は、炎に遮られてよく見えない。
けれど――。
私に向かって伸ばされた手だけは、はっきりと見えた。
そして、その指先が私に触れようとした瞬間――。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
私は勢いよく飛び起きた。
「っ……!」
荒い呼吸を繰り返しながら、周囲を見回す。
見慣れた部屋。
窓から差し込む、薄暗い明け方の光。
……夢?
「……何、今の……」
胸に手を当てる。
心臓が、うるさいくらいに脈打っていた。
夢だったはずなのに、身体には焼け付くような熱さが残っている。
息苦しさも、炎の熱気も、伸ばされた女性の手も。
まるで、本当にあの場所にいたかのようだった。
「……はぁ」
私は乱れた呼吸を整えながら、枕元の時計に目を向けた。
まだ明け方だ。
もう少し眠れる時間ではあるけれど……。
「……無理そう」
額に手を当てると、びっしょりと汗をかいているのが分かった。
このまま眠ろうとしても、きっと先ほどの夢を思い出してしまうだろう。
それに――。
昨日から感じていた、あの違和感。
身体の内側で何かが揺らめいているような、妙な感覚。
それが、昨日よりもはっきりと感じられるようになっていた。
……何なんだろう、これ。
気のせいだと思いたかった。
けれど、そう片付けるには、あまりにも奇妙だ。
「……とりあえず、汗を流そう」
考えていても仕方がない。
私は寝台から起き上がると、物音を立てないように部屋を出た。
そして、汗を流すために浴場へと向かったのだった。
◇
「アレン」
朝一番。
ローレンス様に呼ばれた私は、執務室へと足を運んでいた。
「はい、何でしょうか?」
「昨日の任務で向かった屋敷について、内部の様子を詳しく教えてほしい」
「屋敷の内部、ですか?」
「ああ。魔石に関わっている子供たちを救い出そうと思う」
「……っ!」
思わず、息を呑んだ。 子供たち。
昨日、あの屋敷で目にした光景が脳裏をよぎる。
小さな身体で、黙々と魔石に魔力を込めていた子供たち。
あの子たちは、いったいどれほどの時間、あんな場所に閉じ込められていたのだろう。
助けたいと思っていた。
けれど、私一人では、どうにもならなかった。
だからこそ――。
「……ありがとうございます、ローレンス様」
気がつけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
ローレンス様は少しだけ目を瞬かせたものの、すぐに話を続けた。
「まず、屋敷の内部について教えてくれ。子供たちがいる場所と、見張りの人数は?」
「はい。子供たちは二階の部屋にいました。見張りの男は一人です」
「他に人の気配は?」
「任務に向かったのが深夜だったこともあり、私が確認できたのは子供たち三人と男一人だけでした。ヴィンセルも、ほかの誰かに出くわすことはなかったそうです」
「……そうか」
ローレンス様は考え込むように目を伏せた。
「そして、その見張りの男は死んだ……ということだな?」
「……はい」
あの光景を思い出した途端、胃のあたりがきゅっと縮んだ。
燃え上がる炎。焦げた身体。
あの時の、息が詰まるような感覚。
私は思い出さないように、ぎゅっと手を握りしめた。
ローレンス様は、しばらく何も言わず、一点を見つめて考え込んでいた。
そして、やがて顔を上げた。
「……急いだ方がいいかもしれないな」
「え?」
「アレン、今から屋敷へ向かえるか?」
「はい! 団長に報告をして、ヴィンセルと一緒に向かいます!」
すぐに答えた私だったが――。
「いや、俺が行く」
「……え?」
ローレンス様は当たり前のようにそう言うと、椅子から立ち上がった。
いやいやいや!
ちょっと待ってください!
ローレンス様が直接行くんですか!?
王族であるローレンス様が、危険があるかもしれない場所へ?
私が慌てて口を開こうとした、その時。
「ローレンス様。それはなりません」
横から、ぴしゃりと声が飛んできた。
レノンさんだった。
「御身に何かあってからでは遅いのです」
……うん。 正論だ。
本当にその通りだと思う。
だからこそ、私は口を閉じた。
そうだ、レノンさん!
どうかローレンス様を止めてください!
心の中で全力の声援を送る私をよそに、ローレンス様は涼しい顔で言い返した。
「いいや、それでは遅い」
「ですが……」
「それに、兄上からは報告するようにと言われている。レノンも聞いていただろう?」
「もちろん存じております。しかし、危険を冒してまでローレンス様が行く必要はありません」
「……」
レノンさん、頑張って!
ここは絶対に譲ってはいけないところです!
しかし、ローレンス様は引き下がるどころか、わずかに眉を上げた。
「レノン」
「はい」
「……危険だと?」
「はい」
「いったい、誰に言っている?」
「……ローレンス様にございます」
「俺が、その辺の騎士より強いことは知っているだろう?」
……はい。もちろん、私も知っています。
ローレンス様がとんでもなく強いことくらい。けれど、そういう問題ではないのです。
王族の身に何かあったらどうするのか。
危険な場所に自ら出向く必要があるのか。
そういう話をしているのだ。
「もちろん存じております」
レノンさんは一歩も引かず、きっぱりと言い切った。
「ですが、許容できません」
……すごい!
私は思わず感動した。
あのローレンス様を相手に、一歩も引かないなんて! さすがレノンさん! 頼もしい!
このまま押し切ってください!
――しかし。
「では、レノンも一緒に来ればいい。馬には乗れるだろう?」
「……え?」
ローレンス様の言葉に、私の思考が止まった。
いや、待って。 今、何と?
レノンさんも一緒に?
……へ? 戦えない人を連れて行くの!?
思わずレノンさんを見る。
さあ、ここで断ってください!
さっきまでの毅然とした態度を思い出してください!
危険を許容できないと言ったのは、あなたですよ!?
ところが――。
「……はい! 私もお供します!」
「…………」
…………。
え?
私は目を見開いた。
えっと?…何それ? 結局、一緒に行きたかっただけってこと?
先ほどまで、あれほど強く反対していたのに。
今のレノンさんは、心なしか嬉しそうに見える。
いや、絶対に嬉しそうだ。 顔が輝いている。
さっきまでの緊迫した空気は、いったい何だったのだろう。
……分からない。
私には、まったく分からない。
けれど、どうやら私以外の二人にとっては、何の問題もないらしい。
レノンさんは早々に外出の準備を始め、ローレンス様は第一王子への報告書を書き上げている。
……あれ?
私は?
私も一緒に行くんですよね?
何をすればいいの?
……え、準備?
何の?
「……では、行くぞ」
「承知いたしました!」
「は、はい!」
二人の声に、私は慌てて後に続いた。
こうして、私の理解が追いつかないまま、救出作戦が始まったのである。
◇
馬を何度か替えながら走り続けること、六時間。
私たちは、目的の屋敷へとたどり着いた。
ヴィンセルと訪れた時には、夕闇に紛れていた建物。
しかし、陽が昇った今、改めて見ると――。
「……うわぁ」
思わず、そんな声が漏れた。
屋敷の外壁には苔がびっしりと生え、伸び放題の枝葉が窓を覆い隠している。
周囲の木々に遮られているせいか、陽の光もほとんど届いていなかった。
「アレン、この屋敷だな?」
「はい。間違いありません」
ローレンス様の問いに頷く。
そして、二階を見上げた。
あの部屋に、子供たちがいる。
今も、あの子たちは魔石を作らされているのだろうか。
そう考えると、自然と気持ちが急いてしまう。
「子供たちは二階にいます。私が先に様子を見てきます」
「いや、二度手間だ。一緒に行く」
「……わ、私も、行きます……」
背後から、今にも消え入りそうな声が聞こえた。
振り返ると、レノンさんが馬にしがみついていた。
……えっと。 大丈夫ですか?
顔色が、ものすごく悪いんですけど。
どうやら、六時間の強行軍で体力を使い果たしてしまったらしい。
ローレンス様はそんなレノンさんを見て、少し考えるように間を置いた。
「……レノンには、馬と荷物を任せたい。できるか?」
「は、はい! もちろんです。お任せください!」
その言葉を聞いた途端、レノンさんはヨロヨロと顔を上げた。
……あ。 嬉しいんだ。
こんな状態でも、任されたことが嬉しいんだ。
何だか、すごい人だな……。
「では、行こう」
ローレンス様の声を合図に、私たちは屋敷へと足を踏み入れた。
一階には、人の気配がない。
床板を踏み抜かないよう注意しながら、慎重に階段を上る。
ギシ……。
古びた板が、かすかな音を立てた。
私は思わず足を止めたが、幸い、向こうから反応はない。
そのまま二階へ上がり、問題の部屋へと近づいていく。
すると――。
「ったく、あいつ、昨日もいねーし、どこでサボってんだ?」
男の苛立った声が聞こえてきた。
「終わらないと、俺まで怒られるじゃねーか! まったく……」
ガタッ、と何かを乱暴に置く音がする。
「お前ら、さっさと終わらせろよ! 帰れねーだろうが!」
……子供たちを怒鳴りつけている。
私は唇を噛んだ。
あの子たちは、いったいどんな気持ちで、毎日ここにいるのだろう。
早く助けてあげたい。
そう思った、その時だった。
ローレンス様が、そっと私の肩を叩いた。
そして、親指で後ろを示す。
……一時撤退。
私はすぐに頷き、ローレンス様の後に続いた。
少し離れた部屋へと入ると、ローレンス様は周囲を確認してから、静かに口を開いた。
「アレン。しばらく、ここで待機する」
「はい」
「さっきの話を聞く限り、見張りは交代制なんだろう。昨日死んだ男と、今の男が交代で見張っていた。なら、今の男もそろそろ帰るはずだ」
「……でも、交代する人が来ないのに帰りますかね?」
普通なら、引き継ぎを終えてから帰るはずだ。
交代要員が来なければ、残るのが当然ではないだろうか。
しかし、ローレンス様は不敵に口元を上げた。
「ああ。帰るさ」
「……?」
「ああいう奴らは責任感がない。交代の相手が来ないからといって、いつまでも待つような人間じゃないだろう」
「……確かに」
先ほどの怒鳴り声を思い出す。
子供たちを急かし、自分が帰れないことばかり気にしていた男。
確かに、責任感があるようには見えなかった。
「それと、これからのことを話しておく」
ローレンス様は、私の目を見て続けた。
「アレンも感じたと思うが、この屋敷には子供が三人。そして、見張りの男が一人しかいない」
「はい」
「だから、昨日死んだ男が子供たちを攫ったように仕立て上げる」
「……それは、何か特別なことをするんですか?」
「いや、そう難しい話じゃない」
ローレンス様は、落ち着いた声で説明を続けた。
「子供たちだけじゃなく、完成した魔石と空の魔石も一緒に持ち出す。そうすれば、子供たちと魔石をまとめて奪っていったと考えるだろう」
「……なるほど」
「それに、あの男だって、自分が疑われるのは避けたいはずだ」
ローレンス様は、どこか確信めいた口調で言った。
「だから、すべてをもう一人の男に押しつけるために、適当な嘘を交えて報告する。俺はそう踏んでいる」
……確かに。
もし私があの男の立場なら、どうするだろう。
自分が疑われないように、いなくなった相手に責任を押しつけるかもしれない。
特に、先ほどのような男なら、なおさらだ。
「……だから、急いで来たんですね?」
「そうだ。男が何日も行方不明になってしまえば、使えない手だからな」
なるほど……。
昨日死んだ男がいなくなってから、まだ時間はそれほど経っていない。
だからこそ、今日、すぐに動いたのだ。
……すごいな。
私は、改めてローレンス様を見つめた。
ここまで先を読んで行動していたなんて。
……それに比べて、私は。
何も分からないまま、ただ付いてきただけだった。
少しだけ、情けない気持ちになる。
けれど、今は落ち込んでいる場合ではない。
子供たちを助ける。
それが、私たちの目的なのだから。
そう考えていると――。
「あいつ、今日も来ない気か?」
先ほどの男の声が聞こえてきた。
私とローレンス様は、同時に口を閉じた。
「……はぁ。ったく、ふざけやがって」
苛立ったようなため息。 そして、続く声。
「お前ら、この箱の中を全部処理しておけよ! 俺は時間だから帰る!」
ガタガタッ、と乱暴に何かを動かす音がした。
「いいか、あいつがいないからってサボるんじゃねーぞ!」
その直後。
バタンッ!
乱暴に扉が開閉される音が響き、男が階段を下りていく足音が聞こえた。
……そして、静寂。
……本当に、ローレンス様の言った通りになった。
私は思わず、隣にいるローレンス様を見上げた。
ローレンス様は落ち着いた表情のまま、耳を澄ませている。
私も息を潜め、男の足音が遠ざかるのを待った。
やがて――。
ギィ……バタン。
玄関の扉が閉まる音がした。
「……よし」
ローレンス様が小さく呟いた。
「行くぞ、アレン」
「はい!」
私たちは顔を見合わせ、頷いた。
こうして、子供たちを救い出すための作戦が、いよいよ動き始めたのだった。




