ローレンス視点
俺は兄上の執務室へと向かい、その扉を軽くノックした。
「兄上、参りました」
「ああ、入って来い」
扉の向こうから返事が聞こえる。
俺が視線を向けると、控えていたレノンが静かに扉を開けてくれた。
「失礼します」
執務室へ足を踏み入れると、机の上にはいくつもの書類が広げられていた。
兄上はそれらに目を落としていたが、俺の姿を認めると、手を止めて顔を上げた。
「こんな時間に悪いな」
そう前置きした兄上は、向かい側の椅子を手で示した。
「だが、今日、特殊部隊が持ち帰った物について整理しておきたくてな。……悪いが、少し付き合ってくれ」
「分かりました」
俺が椅子に腰を下ろすと、兄上は机の上に置かれていた資料を手に取り、静かに話し始めた。
「まずは、これだ」
差し出されたのは、二つの魔石に関する資料だった。
「ビンゼフ子爵の別邸にあった魔石と、ダントン伯爵の屋敷で見つかった魔石。調べさせたところ、同じ物だと判明した」
兄上はそこで一度言葉を切り、俺の反応を窺うように視線を向けた。
「それでだな。今日、あの屋敷で魔石の密造現場を目撃したそうなんだ」
――その瞬間、俺の脳裏に一人の人物が浮かんだ。
アレンだ。
ダントン伯爵の屋敷を担当したのは、アレンだったはず。
「……それで、現場では何があったのですか?」
俺が続きを促すと、兄上は両手を組み、わずかに表情を引き締めた。
「子供たちが、空の魔石に魔力を込めていたそうだ」
「子供たちが……?」
思わず聞き返してしまった。
すると、兄上は重々しく頷いた。
「この話を聞いた時、俺はアーデンヴァルト王国のことを思い出した。……おそらく、間違いないだろう」
アーデンヴァルト王国。
その名を聞いた途端、以前、書物で読んだ内容が頭の中によみがえった。
◇
【アーデンヴァルト王国】
通称、魔法の国。
この国に生まれた者は、大なり小なり、誰もが魔法を使うことができる。
そして、絶対的な魔力を誇る女王が君臨し、何者にも侵略を許さない鉄壁の守りを築いていた。
豊かな国土に恵まれた、平和な王国。
悪意を持つ者が国境を越えようとすれば、たちまち烈火のごとく炎が燃え上がり、その命を奪うという。
それほどまでに強大な力を持つ女王は、まさに国そのものを支える存在だった。
アーデンヴァルト王国は、女王なくしては成り立たない。
そう言われるほどに。
――しかし。
今から十五年ほど前、その国で反乱が起こった。
女王は討たれ、王国はその絶対的な守護者を失った。
そして、そこからが地獄の始まりだった。
権力を手にした反乱勢力の大臣たちは私腹を肥やし、民は苦しみ、嘆く。
かつて豊かだった国は、貧富の差が激しい国へと成り下がってしまったのだ。
……だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。
女王を失ったことによる、もう一つの弊害。
それは、王国を守っていた絶対的な防壁が消え去ったことだった。
鉄壁を誇った国は、女王がいなくなった途端、外敵に対して無防備になった。
それを機に、略奪や侵略を目論む国々が、次々と侵攻を開始したのである。
もっとも、アーデンヴァルトの民も、ただ蹂躙されるだけの存在ではなかった。
彼らは生まれながらに魔法を使う。
そう簡単にねじ伏せられるはずもなく、戦いは長く続いた。
ーーーそして現在。
王国は、ようやく小康状態を保っているという。
だが、その平穏が本物なのかどうかは分からない。
さらに問題なのは、アーデンヴァルトの民が持つ魔力だった。
彼らは魔力を有するがゆえに、高い価値で取引される。
そのため近年では、能力が未発達な子供を狙った誘拐事件が多発しているらしい。
そして――。
【人身売買】
我が国では、固く禁じられている行為である。
◇
「ローレンス。この帳簿を見てくれ」
兄上の声に意識を引き戻され、俺は差し出された帳簿へと目を落とした。
そこには、簡潔にこう記されていた。
――買取金額 三人。
「……これは、人身売買ですね」
「そうだ」
兄上は短く肯定した。
「干魃を理由に減税まで願い出たのは、人身売買の為に金が必要だったのだろう。そして今は、アーデンヴァルトの子供たちに、紛い物の魔石を作らせている」
兄上の言葉には、確信が滲んでいた。
「……間違いないだろうな」
「そうですね」
俺も同意する。
ここまで証拠が揃っている以上、ダントン伯爵が関与していることは疑いようがない。
しかし、そこで一つの疑問が浮かんだ。
「正式に屋敷を取り調べるのですか?」
そう尋ねると、兄上はすぐには答えなかった。
組んだ両手に顎を乗せ、何かを考えるように目を伏せる。
「……そうしたいのは山々なんだがな」
やがて、兄上はゆっくりと口を開いた。
「この事件は、氷山の一角に過ぎないような気がしてならない」
「……」
「叩くなら、黒幕に逃げられる前に一気に叩き落としたい。中途半端に動いて、尻尾を掴む前に逃げられてしまっては意味がないからな」
兄上はそこで言葉を切り、俺を見据えた。
「……何か、いい方法はないか?」
……確かに。
ダントン伯爵が何の伝手もなく、人身売買や大規模な魔石の密造を成し遂げられるとは思えない。
背後には、協力者がいるはずだ。
下手に動けば、そいつらに警戒されてしまう。
ならば、どうするべきか。
俺は少し考えたあと、一つの案を口にした。
「では、人身売買の出どころを聞いてみるのはどうでしょうか?」
「……」
兄上の表情が、ぴたりと止まった。
「それをダントン伯爵に聞けと?」
「いえ、そうではありません」
「……では、誰に聞くというんだ?」
眉を顰める兄上を見据え、俺は答えた。
「子供たちに、です」
「……なるほど」
兄上は納得したように頷いたものの、すぐに難しい顔へと戻った。
「だが、接触すれば保護しなくてはならない。下手に話されたら厄介なことになるぞ」
「ええ。ですから、連れ去ったように見せかければいいんです」
「……三人とも、か?」
「はい」
俺は迷わず頷いた。
「三人を保護したことが伯爵に知られれば、警戒される可能性は高いでしょう。ですが、屋敷の者が連れ去ったように見せかければ、少なくともこちらが関与したとは思われにくいはずです」
もちろん、細かい手順については詰める必要がある。
だが、屋敷の内部事情については、アレンが知っている。
「屋敷の構造や、使用人たちの動きについてはアレンに確認します。彼なら、何かしら手がかりを持っているはずですから」
すると兄上は、何かを思い出したように「ああ」と声を漏らした。
「そういえば、お前の専属だったな」
「はい」
「ならば、その件はお前に任せよう。詳しいことが分かったら報告してくれ」
「承知しました」
こうして、兄上との話し合いは終わった。
◇
執務室を出た俺は、廊下を歩きながら考えを巡らせていた。
――アレン。
ふと、先程の様子が頭に浮かぶ。
いつもより元気がなかった。
普段なら、もう少し表情に変化があるはずなのに。
あの屋敷で、いったい何を見たのだろうか。
子供たちが魔石を作らされていた現場。
その光景を目の当たりにしたのなら、心を痛めても無理はない。
……だからこそ。
俺は、彼の心を曇らせている原因を取り除いてやりたいと思った。
子供たちを無事に保護する。
それに、人身売買の出どころについても情報が得られるかもしれない。
事件の解決にも繋がるし、アレンの心も少しは晴れるだろう。
……まさしく、一石二鳥だな。
我ながら、悪くない考えだ。
俺はそう結論づけると、明日、アレンに詳しい話を聞いてみることにした。
――彼が、少しでも安心して笑えるように。
そんなことを考えながら、俺は静かな廊下を歩き続けた。




