杜氏一族の長の影響力
本作はフィクションですが、難病や医療制度についての描写には
できる限り現実の知見を参考にしています。
ただし、医学的な正確さよりも「登場人物の心」を優先しています。
気軽に読み進めていただければ嬉しいです。
杜氏 俊が宗家を辞し、山道を下っていったあと。
静まり返った奥の間で、長は茶碗を置き、ふっと口元を緩めた。。
「分家の跳ねっ返りが、ずいぶんと丸くなっておったな」
傍らで茶器を片付けていた神官が微笑む。
「ずいぶんと苦労もしてきたようです」
長は肩をすくめた。
「わが一族を背負って立つ傑物かと期待しておったのだがのう…」
その声音には、
“期待していたが、別の道を選んだ”
という寂しさと、
“それでも見守ってきた”
という温かさが混じっていた。
どうやら俊は、宗家から影日向に目を掛けられていたらしい。
神官は、茶道具を整えながら続けた。
「それが、わが一族に留まらず、この国…もしかすると世界をも背負う可能性も」
長は片眉を上げる。
「ほう、それほどの力が小瀬川家に有るとでも?」
「いや、安倍一族の後援が有ってもそれは無理でしょう。しかし」
神官は少し声を落とした。
「周囲の状況や時期も丁度良いことですし、何よりも五菱の懐に入れた手が効いておりますな」
長は、懐かしむように笑った。
「なるほど、あの折は、佐伯翁にご尽力をいただいていたな…ついでに、甘えるとするか。あの怪物も、けったいなバケモンを育てているというし、面白い時代に巡り逢えたものよ」
神官は深く頷いた。
「はい、それでは、繋ぎを送ります」
神官は、茶道具をまとめると立ち上がり退室する。
長は、なおも笑みを浮かべたまま、ぽつりと呟いた。
「それにしても変革の主人公たちが、揃いも揃って50歳過ぎとは…
先人達も呆れているだろうて。
我が国のモラトリアム傾向やらを何とかしないと、
ご一新の志士など期待も出来ぬわ。どれ、儂ももうひと働きをするべきか」
その笑みは、
苦汁を湛えてた。
その日の夕方。
東北の里山にある研究所に一本の電話が入った。
五菱商事の重鎮--佐伯翁からの直々の電話である。
受話器を取った男は、
傍らに積んだ「神農本草経」「本草綱目」「大和本草」「倭館三才図会」などを、手探りつつ答えた。
「貪食ですか…
中国の饕餮みたいなお話ですね、
鬼子母神の要素も混じっているのかな」
男は楽し気に笑った。
「それはともかく、彼へのアドバイスは翁の名義でお願いしますね。
まずは、小瀬川のお嬢様には--
”持病を克服するために陸自の訓練を体験する美少女”というストーリーを喧伝します」
「秋田駐屯地で横田さんが、鍛えてくれるはずです。
あとは、杜氏一族の本草学のお知恵を拝借する代わりに、
ウチからも詩織のノウハウを提供して共同研究としましょう」
「そのAIにも研究結果をどんどん喰わせて、精度を上げましょう」
男はノリノリだった。
「ヒトも派遣しましょう。
本人にまだ打診はしていませんが、赤ひげ先生というあだ名の立派なお医者さんが居るので、一度診てもらいましょう。大丈夫、涼香さんの病状を聞いたら、落ち着き次第に飛んでいきますよ」
そして、ふと真顔になった。
「それにしても自己免疫疾患の娘の彼氏候補が、
醸す技を伝える神道一派の出身って…
誰かがシナリオを書かなきゃ、こんな偶然起きないでしょう?」
当然の疑問も口にする。
電話の向こうで、佐伯翁も笑った。事情を説明する。
「小瀬川の大奥様の勘ですか…
あの安倍の経営危機を何度も救ったと言われる女傑ですね。
きっとギフテッドなんでしょうね」
男は、自らが天恵持ちであるがゆえに、それを察する。
「それでは、今後もよしなに。
こちらもビジネスとしてマネタイズしていきますから、
斟酌は無用で願いますね」
翌日。
俊は五菱商事・佐伯翁からの訓令文書を受け取っていた。
上司が目を丸くする。
「こんなの聞いたことないぞ……異例中の異例だ」
読んでみる。
「弱い兵は、強い兵も殺す。
守られないよう、弱い兵を弱いままにしておくな!
身体を鍛えるためには、相応しい場所がある。
東京は軟弱すぎる。
暑さも良くない。
ちょうど良い心当たりが有るので、連絡を待て」
これだけである。
しかし、涼香の身に予想外の試練が降り注ごうとしていることだけは、察知できた。
「杜氏さん。外線2番に〇〇プロダクションとかからです」
「はい。お待たせしました。
え?涼香さんをアイコンに?ですか?
弱さに悩む女性が強くなりたいと…
はあ、一定層の需要は有るでしょうが…
え?防衛省と文科省の後援ですか?
何ですか、そのバーガーキングみたいな企画は?
ちょっと本人の意向も確認しなくては」
当然、佐伯翁の掌の上とは気づきながらも、杜氏は迷ってしまう。
「次は、陸上自衛隊秋田駐屯地からだそうです」
矢継ぎ早の着電。
「はい。初めまして。
はい。聞きました。
はい。本人とも相談をして。
はい。もちろん。
はい」
女性士官だが、有無を言わさぬ口調に、俊は悟った。
(これは、完全に外堀を埋められたな)
そして、
今頃は小瀬川家も安倍家も同様なのだろうと、推測した。
小瀬川涼香という華奢で小柄な女性の、
体験入隊が本決まりとなりつつあった。
(無理だろ……
発作が起きたらどうしてくれるんだ)
俊の本心は、全力で反対していた。
しかし――
もう、誰も止められない流れになっていた。
第8話は、
涼香の秋田駐屯地入り
が中心になります。
お嬢様に訓練など可能なのでしょうか?
それともフェミニンな自然体で受け入れていくのでしょうか?




