小瀬川邸にて
本作はフィクションですが、難病や医療制度についての描写には
できる限り現実の知見を参考にしています。
ただし、医学的な正確さよりも「登場人物の心」を優先しています。
気軽に読み進めていただければ嬉しいです。
「お父様、今夜は杜氏さんが見送ってくださったの」
応接間に案内されると、温厚そうな静かな笑顔を見せる父親と涼やかな和装を凛と着こなしている祖母に紹介された。部屋自体は豪奢なのに、どこか病院の特別室のような冷たさがあった。その理由は、後に俊も思い知ることになる。
「杜氏 俊と申します。五菱電気で経理を担当しております」
「まあ、五菱さんですか」
反応したのは、祖母の方が先で有った。
「五菱さんには、お館…いえ、ウチが代々お世話になっている会社もお世話になっておりますの」
なかなかに、家業にも精通している雰囲気がある。というか、実質的な当主はこのおばあ様の方だと、執事さんも言っていたな…
「お世話に…小瀬川って、もしかして安倍コンツェルンのCOOの小瀬川様とは?」
「まあ、番頭って未だに言われていますけどね」
安倍財閥の持ち株会社のCEOが「お館さま」と呼ばれていることは、有名であった。
室町まで遡れる代々の配下が居ることも。信じられないことに、神代からを自称する者もいると。
そして、小瀬川はその郎党の筆頭で、地方領主の時代は家老で、明治以後商売人に徹してからは番頭を代々務めた家柄のはずである。
そのCOOがこの初老の男とは、俄かには信じられない。
もっと鋭い鷹のような経営者であるイメージで有った。
その鷹のはずのフクロウが、丸メガネの中で目を細めて話しかけてきた。
「杜氏様。失礼ながら、あなたの姓は“とうじ”と読む方が多いでしょう。
しかし、古い家では“とし”と読む例がございます。
“杜”とは本来、神の宿る森を指し、
“杜氏”とは古代、神に捧げる酒を醸す役職でございました。
杜氏家は、その古い読みを守る宮司の家系でしてな。
醸す技を神より授かった家――と伝わっております。」
杜氏は驚くものの、確かに実家の出身地には立派な神社が有って親戚が宮司を務めているはずであった。
「はい、祖先の気まぐれで呼び名を変えたものと思っていました」
当主は、さらに続ける。
「涼香の祖母は、その古い読みを知っておりましてな。
合コンの資料を見た際、
『結婚する前のお爺さんに雰囲気が似ている』と申したのです。
その言葉が、涼香の背中を押しました。
苦手な人前に出てでも、あなたに逢いたいと。」
「合コンの資料ですか?」
「ああ、失礼ながら、我が家程度の家でも、娘の交友関係に変化が有りそうな時は事前に調査を入れるものなんです」
丸メガネの奥の笑顔が、胡散臭く見えて来た。
ふと涼香に目をやると、恥ずかしそうに袖口を握り締め、俯きながらも俊の反応を伺っている。
「実は娘には病がありましてな」
涼香の震える手指の血の気が引いて、白い陶磁器のようになる。
「そういえば、そう聞きました」
「ちょっと免疫系の難病に類していまして…発作の程度次第では致命的と…主治医からは、成人まで生きてこられただけでも奇跡だと…」声の湿度が高まっていた。
そこで、祖母が口を挟む。
「何としても元気なうちに、婿取りをと…」
「は?」
このお祖母さん、今、何段階ギヤを上げた?
そういえば発進からしてセカンドギアだった気もするが…
「涼香には、何としても今夜、杜氏様をご招待するように厳命いたしました」
「私を?」
「ええ」
「なぜ、私を?」
「まあ、勘かしら?」
小首を傾けると、いたずらっ子のような笑みを見せる。
「お祖母様、作戦通り、うまくやれましたでしょう?」
褒めて欲しくて、尻尾を振りまくっている飼い犬のような表情をする涼香。
あれは、作戦でも何でも無く、強制力でしかなかったと思うのだが…
「婿取りは番頭家の責務です。
涼香が子を持てなくても、婿と当主が養子縁組をし、家を継がせます。
後添いを迎えることも想定しております。」冷徹な言葉が続くが、涼香には何の動揺も見られない。
そう言うものなのだと、幼いころから教えられてきていたんだろう。
もしかすると、合コンの途中で、長く瞬きを止めて居た時など、苦しさを感じていたのではないのか?それに気が付けなかった自分は、やっぱり駄目な奴だと哀しく俊は受け止めていた。
それからは、深夜まで「安倍家」と「小瀬川家」の歴史と業歴を聞かされる羽目になった。
歴史好きだから耐えられたようなもので、天孫降臨から始まった時は(これはヤバイ)と、お腹が痛くなったほどであった。
それでも楽しそうに一緒に聞いている涼香の姿を見ると、苦痛が無くなる不思議…。
「ふふふ、僕も婿入りの際に、散々苦労して憶えさせられた逸話はまだまだ有るから、何なら毎日聞きに来てくれてもいいんだよ」
今まで上手に隠していた負のオーラが少し、父親から漏れていた。
もしかすると温厚に見せているのは、家族の前だけなのかもしれない。
「毎日!そこに僕の拒否権が有ったりは…」
「まさか、ウチの娘が気に入らないとでも?」
「いえいえ、滅相もございません。ただ年齢も離れているようですし、もっと良いご相手が…」
「私も結婚するときは、お祖父さんと二回りの歳の差でしたのよ」
お祖母様が被せ気味に自分たちも歳の差なんて、気にならなかった。幸せだったと言う。
もう彼女の中では、孫娘の婿取りは決定事項なのだろう。
そしてこの家で彼女の意見は絶対であるようだ。
なるほど、エントランスで見た使用人達の緊張感は、この路線を知っていたから。
どうしても厳しい目で、俊を値踏みしてしまったのであろう。
価値観が違うと言われて切り離された過去が、胸の奥で疼いた。
俊と雰囲気が似ているというお祖父さんの業績や、今はどうされているのか?
気になります。
もうお亡くなりになっていても、おかしくはない年齢ですね。




