何とかという奇書
本作はフィクションですが、難病や医療制度についての描写には
できる限り現実の知見を参考にしています。
ただし、医学的な正確さよりも「登場人物の心」を優先しています。
気軽に読み進めていただければ嬉しいです。
東北の巨人と言われる南部敏行が久しぶりに、川反の化けものに逢いに来ていた。
「そうだ。君なら、あの何とかという奇書を解読できるんじゃないか」
会話の転換点として、南部が何気なく話題を投げかけて来た。
「ヴィオニッチ手稿ですか、いや僕には無理ですね。もし、行けるとすれば、杜氏俊か」
「天恵無しでも、彼に?」
「彼の場合、これを解読出来たら涼香さんの病状改善のヒントになるとでも言って預ければ、まあ5年くらいはかかるでしょうが、不眠不休でやり遂げますよ」
「それでも5年もかかるのか」
世間ずれしているはずの老人が驚く。
「5年と言えば、あっという間ですよ。もっとも我々の年齢になると、5年の重みは20代の頃とは格段に違いますが」
南部は、湯呑を指先で軽く回しながら、
川反の化けものの横顔をじっと見つめた。
「しかし……杜氏俊という男は、
本当に“天恵無し”なのか?」
「ええ。
彼は、ただの人間ですよ。
ただし、ただの人間が持ち得る限界を、
平然と踏み越えていくタイプです」
川反の化けものは、
どこか誇らしげに、しかし淡々と答えた。
「天恵が無いからこそ、
彼は“努力の天才”になった。
あれは、天恵持ちより厄介ですよ。
自分の限界を知らないから」
南部は喉の奥で笑った。
「限界を知らない、か。
それは……人間にとっては祝福だが、
周囲にとっては災厄にもなるな」
「ええ。
だからこそ、涼香さんの存在が必要なんです。
彼女がいなければ、俊は自分を壊してしまう」
南部は湯呑を置き、
少しだけ真顔になった。
「……ヴィオニッチ手稿を解読することが、
涼香さんの病状改善につながる可能性はあるのか?」
「直接ではありません。
しかし、あれは“未知の医学体系”の断片です。
俊なら、そこから何かを拾うでしょう。
微生物、発酵、免疫、生活医学……
彼の頭の中では、全部がつながっている」
「なるほどな。
あの奇書を“医学書”として扱うのか」
「俊なら、そうします。
彼は、常識の外側で考える人間ですから」
南部は、深く息を吐いた。
「5年か……
わしらの年齢では、5年は命の切り売りだぞ」
「ええ。
しかし俊にとっては、
5年は“集中の一瞬”です」
川反の化けものは、
どこか遠くを見るような目で言った。
「彼は、涼香さんのためなら、
世界の言語体系を全部ひっくり返してでも解読しますよ。
それが、あの男の愛の形です」
南部は、静かに頷いた。
「……ならば預けてみる価値はあるな。
奇書の解読が目的ではなく、
俊という男の“限界の先”を見てみたい」
「ええ。
あなたなら、そう言うと思っていました」
川反の化けものは、
湯呑を持ち上げ、軽く南部に向けて傾けた。
「では、次の章は“奇書の到来”ですね」
すみません。
これは起こりえない世界線です。
こんな研究を始めてしまったら、AIシステムの感性も、涼香との新婚生活も全て破綻してしますでしょう。命が助かったとしても、涼香がそれを望むとは思えません。お嬢様ですが、案外、普通のお嫁さんへのあこがれもお持ちなのです。杜氏俊も、涼香の希望が最優先です。すみません、筆が滑り過ぎました。
(補足)
この章は、筆者自身の「危うい方向へ滑った思考」を
そのまま記録しておくための脱線回である。
ヴィオニッチ手稿の解読など、
この世界線では起こりえない。
もし俊がそんな研究に没頭してしまえば、
AIシステムの感性も、
涼香との新婚生活も、
生活免疫モデルの未来も、
すべて破綻してしまうだろう。
涼香はお嬢様でありながら、
案外「普通のお嫁さん」への憧れを持つ女性だ。
俊もまた、彼女の希望が最優先である。
だから、この方向性はありえない。
この章は、
その“危うさ”を忘れないための記録として残しておきます。




