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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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305/306

第304話 北風の隙間

 封筒の紙質は、公爵家で使う亜麻紙よりも繊維が粗く、指の腹にざらりとした感触を残した。

 封蝋の代わりに、乾燥したラベンダーの茎が一本、糊付けされている。

 私はナイフで封を切り、中身を取り出した。

 折り畳まれた便箋から、強いミントの香りが立ち上り、朝の食堂に漂うコーヒーの湯気と混ざり合った。

 書かれているのは、時候の挨拶でも、姉への甘えでもない。

 『新商品入荷のお知らせ』。

 事務的な文字の列が、インクの濃淡を伴って並んでいる。

 『温石おんじゃく専用布袋。厚手綿使用。二重縫製。火傷防止仕様』

 その下に、卸値と小売価格が記されていた。


 私は便箋をテーブルに置いた。

 向かいの席で、アレス様が新聞をめくる音がする。

「セシリアからですか」

 彼が紙面から目を離さずに問う。

「はい。店の商品案内です」

 私はパンの端をちぎり、口に運んだ。

「温石を入れる袋を作ったそうです。公会の手引きを読んで、需要があると考えたのでしょう」

「商魂が逞しいな」

 アレス様がカップを持ち上げる。

「現物を見る必要がある。良ければ公会で一括採用してもいい」

「そうですね。買いに行きましょう」

 私は残りのパンをスープに浸した。

 昨夜の決算作業の疲れは、数時間の睡眠と、濃いスープの塩気で洗い流されていた。

 今日は公務のない休日だ。

 私たちは食器を片付け、外出用の厚手のコートを手に取った。


 * * *


 屋敷を出ると、北風がコートの襟の隙間から滑り込んできた。

 頬を刺すような冷気だが、日差しには春の明るさが混じっている。

 私たちは腕を組み、坂道を下った。

 雪解け水が乾ききっていない路面を、革靴が踏む。ジャリ、ジャリ、という砂の音が、二人の歩調に合わせて重なった。

 大通りを抜け、商店が並ぶ路地へと入る。

 風が建物の隙間を通り抜け、看板を揺らしてキイキイと鳴らしていた。

 目指す店は、路地の奥にあった。

 古びたレンガ造りの建物の(いっかく)、半地下になった店舗だ。

 入り口の扉には、乾燥したハーブを編んだリースが飾られている。

 アレス様がドアノブに手を掛けた。

 カウベルがカラン、コロンと乾いた音を立てる。


 店内は薄暗く、外よりも湿度が保たれていた。

 床から天井まで届く棚には、ガラス瓶が隙間なく並んでいる。

 緑色の葉、茶色い根、赤い実。

 それぞれの瓶から漏れ出す匂いが混ざり合い、森の奥のような濃厚な空気が充満していた。

 カウンターの奥で、誰かが作業をしている音がする。

 ザラザラと何かを袋に詰める音。天秤が揺れる金属音。

「いらっしゃいませ」

 声がした。

 棚の陰から、エプロン姿の女性が現れる。

 セシリアだった。

 彼女は袖を捲り上げ、手には小さなスコップを持っていた。髪は実用的に束ねられ、後れ毛が額にかかっている。

 私とアレス様の姿を認めると、彼女は一瞬だけ目を丸くした。

 だが、すぐに表情を引き締め、スコップを置いた。

「……お待ちしておりました、公爵ご夫妻」

 姉に対する甘えた声ではない。

 上客に対する、礼儀正しく、少し距離を置いた店主の声だった。

「手紙を見ました。新しい袋が入ったとか」

 私が言うと、彼女はカウンターの横にある藤籠を指差した。

「こちらです。昨日、仕上がったばかりです」


 私は籠に近づき、中身を手に取った。

 生成りの木綿で作られた、掌サイズの巾着袋だ。

 生地は厚く、しっかりとしている。

 紐を引いて口を開け、裏返してみる。

 縫い目は二重になっており、布の端の処理も丁寧だった。

 中に石を入れても、これなら熱が直接肌に触れることはない。

「丈夫そうですね」

 生地を指で擦り合わせながら言うと、セシリアが頷いた。

「はい。洗濯に耐えられるよう、糸を太くしました。中の石が暴れないように、サイズも調整してあります」

 彼女はカウンターから見本用の温石を取り出し、袋に入れてみせた。

 口を絞る。石は中で安定し、布越しにじんわりとした温もりが伝わってくる。

「いい仕事だ」

 アレス様が横から袋を検分し、短く評した。

「公会の手引きにある『安全な加温』の条件を満たしている」

「ありがとうございます」

 セシリアは深々と頭を下げた。

 その横顔には、かつてのヒステリックな影も、誰かに依存する弱さもなかった。

 自分で考え、自分で作り、自分で売る。

 そのサイクルの自信が、彼女を地に足のついた商人に変えていた。


「二つ、いただけますか」

 私は商品をカウンターに置いた。

「かしこまりました。銅貨八枚になります」

 彼女は馴れ馴れしくまけることも、代金を辞退することもしなかった。

 私は財布から硬貨を取り出し、トレーに並べた。

 チャリ、という音が店内に響く。

 セシリアは硬貨を確認し、レジスター代わりの木箱に収めた。

 そして、商品を薄紙で包み、麻紐で縛る。

 手つきは滑らかで、迷いがない。

「ありがとうございます。またのご利用を」

 包みを手渡される。

 指先が触れた。

 彼女の手は荒れていた。ハーブの汁で爪先が黒ずみ、指の節には小さな切り傷がある。

 それは、働き者の手だった。

 私は包みを受け取り、頷いた。

「ええ。また来ます」


 私たちは店を出た。

 カウベルが再び鳴り、背後で扉が閉まる音と共に、ハーブの濃厚な香りが断ち切られた。

 路地の冷たい風が、鼻孔を洗い流していく。

 私は包みをコートのポケットに入れた。

 指先に、布の感触が残っている。

 姉妹の情などという湿っぽいものは、そこにはなかった。

 店主と客。

 提供する者と、対価を払う者。

 その乾いた関係性が、今の私には何よりも心地よかった。

 アレス様が、私のポケットに入った包みを外から軽く叩いた。

「帰ったら試すか」

「はい。ちょうど肩が凝っていましたから」

 私たちは並んで歩き出した。

 路地を抜け、大通りに出る。

 北風が吹き抜け、ショーウィンドウのガラスを揺らした。

 その音に混じって、家具屋の店先から、木材を削る音が聞こえてきた。

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