表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

302/306

第301話 錆びた蝶番

 鉄製のドアノブを両手で握り締め、体重をかけて右に回した。

 ガチリ、という硬質な音が手のひらに響く。内部の金具が噛み合った感触はあるが、そこから先へ進まない。蝶番ちょうつがいのあたりから、金属同士が擦れ合う高い音が鳴り、ドア板が枠に張り付いたまま沈黙した。

 私は一度手を離し、手袋の掌についた赤茶色の粉を払った。

 扉の向こう側から、ドンドンと板を叩く音がする。

「奥様、外からはびくともしません」

 くぐもったレオの声が聞こえた。

 さらにその奥から、御者が馬をなだめる声と、荷車の車輪が砂利を噛む音が重なる。

 公共食堂の裏口、食材搬入用の勝手口だ。冬の間の結露と春の雨が、鉄の蝶番を侵食していたらしい。今朝の配達でキャベツの木箱を運び込もうとした矢先、この扉は開くことを拒否した。


 私は廊下の壁に立てかけてあった工具箱を足元に引き寄せた。

 留め金を外す。中には油紙に包まれたスパナや金槌、そして小瓶に入った潤滑油が整然と収まっている。

 メインホールの方へ向かおうとしていた若い給仕が、私を見て足を止めた。

「あの、誰か呼びましょうか。工兵隊の方とか」

「いりません。人が来るのを待っていたら、葉野菜が萎れます」

 私は工具箱から平たいタガネと金槌を取り出した。

 スカートの裾を捲り上げないように気をつけながら、扉の蝶番の前にしゃがみ込む。

 赤錆が浮いた金属の筒の中に、太い芯棒が通っている。ここが固着しているのだ。

 タガネの先を芯棒の頭に当てた。

 金槌を振り上げる。

 カーン。

 乾いた衝撃音が廊下に反響する。

 錆の粉がパラパラと床に落ちた。

 芯棒は動かない。

 もう一度。カーン。

 今度は少し鈍い手応えがあった。芯棒の頭が数ミリ浮き上がる。

「レオ、扉を持ち上げて。少し浮かせるだけでいいわ」

 扉越しに声をかけると、「はい」という短い返事とともに、扉全体がガタガタと揺れた。彼が外側から取っ手を持ち上げている。

 蝶番の継ぎ目に隙間ができた。

 私はそこへ油を差した。粘度の高い琥珀色の液体が、錆の隙間に吸い込まれていく。

 再びタガネを当て、金槌を振るう。

 カーン、カーン、ガン。

 音が重くなる。

 芯棒が下から抜け落ち、床の煉瓦に転がった。カラン、という軽い音がする。

 上側の蝶番も同じように外す。

 これで扉は枠から自由になった。


 ガタン、と扉が外側へ傾く。

 レオがそれを支え、ゆっくりと開いた。

 外の光が差し込み、土埃が舞う。

 レオは額に汗を浮かべ、袖口で拭った。

「開きました。……すごい音でしたね」

「錆が回っていました。全部磨いて、油を馴染ませないとまた固まります」

 私は床に転がった芯棒を拾い上げた。表面はザラザラとして、赤い粉が指に付着する。

 外には、野菜を積んだ荷馬車が待機していた。

 御者が帽子を取り、安堵したように息を吐く。

「助かりました。次の配達が詰まっていたんで」

「すぐ降ろせます。通してください」

 レオが指示を出し、厨房スタッフたちが木箱を運び込み始める。

 キャベツの青い匂いと、土の匂いが廊下に満ちた。

 活気のある足音が、私の横を通り過ぎていく。


 私はその場を動かず、腰に下げていた布を取り出した。

 外した芯棒と、蝶番の受け口に残った錆を拭き取る作業が残っている。

 布に油を含ませ、金属の表面を強く擦る。

 布が黒く汚れていく。

 赤茶色だった金属肌から、鈍い銀色の地金が見え始めた。

 地味な作業だ。

 魔法で直すわけでも、新しい扉に付け替えるわけでもない。ただ、古くなった油を拭い、新しい油を差す。

 その繰り返しだけが、この建物を維持する。

 レオが荷運びを終え、戻ってきた。

「手伝います」

 彼は布の端を持ち、反対側の蝶番を磨き始めた。

 二人の手が動く音と、油の匂いだけがする。

「……こういうのも、公爵夫人の仕事ですか」

 レオが手を動かしながら、視線を落としたまま尋ねた。

「建物の管理は所有者の責任です」

 私は芯棒を穴に戻し、金槌で軽く叩いて収めた。

「それに、開かない扉の前で立ち尽くすのは嫌いなんです」

 レオが小さく笑った。

「奥様らしいです」

 彼は磨き終えた蝶番に油を塗り込み、余分な液を拭き取った。

 金属が黒光りしている。

 私たちは扉を枠に戻し、芯棒を完全に打ち込んだ。

 レオがノブを握り、扉を動かしてみる。

 音もなく、滑らかに扉が閉まった。

 カチャリ、とラッチが収まる。

 もう一度開く。軽く、抵抗がない。

「完璧です」

 レオが言った。

 私は汚れた布を畳み、工具箱にしまった。

 手袋を外し、ポケットに入れる。素手には油のぬるりとした感触と、鉄の臭いが残っていた。

 厨房の奥から、野菜を刻む音が聞こえ始める。

 滞っていた血流が、再び巡り始めた音がした。

 私は工具箱の取っ手を握り、立ち上がった。

 膝の関節を伸ばす。

 次の予定は、公会堂の二階で行われる試食会だ。

 私は油のついた手をスカートで隠すことなく、廊下を歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ