56.
朝のホームルームが終わり、ようやく自由行動の時間になった。外には出店や屋台、お化け屋敷なんてものもあるんだったか。全学年の劇は午後からだからまだ始まらない。
カオリと一緒に行こうか。あと、葵も。
そう思って私は教室から廊下へ出る。
さらりと辺りを一瞥する。ついでに白がいれば誘ってみようか。あ、でも誰かと回っていたらどうしようか。少しだけ目を閉じて白が誰かと一緒に回っている様子を思い浮かべてみる。しかしあまりにも想像がつかなくて口から息が漏れてしまった。
カオリと葵の教室を通ると、すでにもう二人が立っていた。
「ミクちゃん、一緒に回ろう。」
そう言ってカオリが私に向けて手を伸ばした。私はその薄い手のひらに自分の手を合わせて葵を見上げた。
「葵も一緒に?」
すると葵は太めの眉を持ち上げて口を右にギュッと寄せた。
「なに、俺がいちゃだめなのかよ?」
不貞腐れたように言う葵だったが、その寄った口からは笑みが溢れている。
その顔に私は笑みを返した。
「うそうそ、一緒に回ろう。」
隣のカオリも笑っている。私は三人と一緒に出店に並びに行った。
フランクフルト、綿あめ、焼きそば。少し凝ったクレープなんてものもある。
いつもより高くなった薄いガラスのような空の下にカラフルなビニール生地の屋台がパラパラと並ぶ。どこも制服を着ているうちの高校生だけじゃなく、私服で来ている保護者たちだったり一般の人たちもたくさん並んでいる。
「結構人いるね」
「やっぱみんなまつり好きなんだろうな。中学生もいる。」
葵の言う先には小さな白いラインの入ったジャージを着た地域の中学生がいた。やはりイベントごとはみんな好きなんだろう。
ある程度ぐるりと回りながら、それぞれ食べたいものを買って演奏だったり出店以外の出し物を眺める。
ある程度屋台を見回った後、カオリは友達たちに呼ばれて少しだけ離れていった。私と葵は近くの用意されたベンチに座って待つことにした。
さっき買ったパインのトロピカルジュースをチュッと吸う。葵はブルーハワイだ。青い透き通った透明の液体は、曇りがかった空の薄い光も上手に吸収しながら自分の輝きへと姿を変える。”あおい”だから青のジュースなんだろうか。
「なあ」
ふと、隣で葵が声をかけてきた。
トロピカルジュースを飲み込んで、「ん?」と葵の方へ顔をずらすと、葵はぼんやり遠くを見たまま口を小さく開いた。
「ずっと気になってたんだけどさ、香織って何かあった?」
飲み込んだトロピカルジュースが身体の中の管を通って全身を冷やした。
私はもう一口トロピカルジュースを飲んだ。冷たさで肌が粟立つ。
「なんで?」
私が聞き返すと、葵は変わらず遠くを見つめたまま話した。
「だって、最近香織から話してくることとか減ってきてるし、なんとなく元気なさそうだし。光虹なら何か知ってるんじゃないかと思ってさ。」
葵は、今度は私の方を見つめた。私はその目から逃げるみたいに視線を落とした。足元には大きめの雑草が生えていた。私は雑草の葉を足で持ち上げた。
「どうだろう…、私もわからない。」
私がそう言うと、葵は「そ、」と小さく相槌を打った。
胸の中がさわさわと小さな欠片が這い回るのを感じた。
葵にカオリのことを言うことはできない。だけど。私は、朝のカオリの薄い笑みを思い出した。
「中学生の時さ、違うクラスに仲いい友達がいたんだけど、」
葵は飲んでいたトロピカルジュースを膝上にことりと置いて、話し始めた。
「ある時から段々元気なくなっちゃって。最初は失恋でもしたのか、ちょっと嫌なことでもあったのかな―って思ってたんだけど、しばらく経った後、急に転校して行っちゃったんだよね。何にも言わないで。」
私は、斜め上にある葵の顔を見つめた。真っ直ぐな輪郭線が顎をつなぐ。
風で葵の短い髪が少しだけ揺れた。軽くて細い葵の髪は光で透かされて青がかって見えた。
「その時のこと、まだ後悔しててさ。話でも聞いてたら、ちょっとは変わってたかもって。だから、香織のことも気になって。」
「そっか」と、呟くみたいに、私は音を吐いた。
「何かわかったら伝えるよ。葵もカオリの大事な友達だから。」
そう言って私は、食べ終わった食べ物のゴミを掴んで立ち上がった。「ちょっとゴミ捨ててくる。」と葵の食べ終わったゴミも混ぜて私はベンチを離れる。
「光虹だって、大事な友達だよ。」
ふと、そんな声が背中を指で突くみたいにふわりと触れた。
顔を下から温かいものが撫でるみたいに包んだ。
「ありがとう。カオリにも伝えてあげて。」
私は、振り返らずにそう言った。
握りしめた、食べたゴミがカサリと鳴る。
私は、ゴミ捨て場に向かってそれらを黒いゴミ箱に捨てた。しっかりと分別して捨てる。
辺りからは、沢山の人の話し声が混ざってできた雑音が聞こえる。鼓膜がトントンと揺れた。
なんとなくぼんやりと周りでたのしそうに話している人達を眺めた。あのジャージは中学生か。あれは多分、大学生くらい。
すると、ゴミ捨て場から少し離れた建物の影で、カオリが一人で入るのが見えた。友達とはようが終わったんだろうか。
「カオリ?どうしたの…」
カオリに近づこうとしたとき、そこにカオリ以外に人がいるのに気付いた。
「なんで…」
カオリの前に立っているのは、遥花と瑠夏だった。二人とも制服ではなく私服で来ている。
私は慌ててカオリに駆け寄る。そしてカオリを二人から引き剥がそうとしたが、「待って、ミクちゃん。」と、後ろからカオリが私の肩を優しく掴んだ。
「待ってって…」
「私たちは別にそいつに文句言いに来たわけじゃないよ。たださっき偶々会っただけ。」
遥花は息をふっと吐いて私を見た。乾いたハルカの唇は少しだけ血色が悪い。
「それに、私たち転校するからどうせもう会わないよ。」
「どうせ私達が学校に行ったところで何か言われるだけだし
。」
遥花と瑠夏の言葉を聞いて、カオリはぐっと手を握りしめた。
私はそっと肩に置かれたカオリの手を握った。ふつ、と腹の底で小さな泡が弾けた。私はお腹あたりの布をぐっと握ってお腹をかいた。
私は口を開く。
「私も、あなたたちと同じように人生壊されたんだよ。一度、本気で死のうと思ったくらいには。」
自分が思っている以上に、感情に乗っていない声だった。段々と気温の下がってきた空気と、その声は水と油のように混じり合うことができなかった。
私の声を聞いて、二人は無表情のまま、だけど鋭く息を吸った。その表情は、よく分からない複雑そうな顔だった。
「ごめん。」
三文字、遥花が音を出した。瑠夏も自分の足元を眺めていた。
思っていなかった言葉に、少しだけ驚く。だけど嬉しいとは思わなかった。
遥花は自分の伸びた前髪を隠すようにかいた。風がそれに突っかかるように流れる。
二人の顔は建物の影ではっきりとは見えなかった。眉から上あたりからはっきりと影が分かれていて、後頭部のあたりが陽の光で艶めいていた。
「許すつもりは微塵もないし、謝って欲しいなんて思ってないよ。」
二人は、私の言葉で黙った。隣で立っているカオリも何も言わず私を見ている。
私は一歩二人に近づいた。足の裏が小石にぶつかって小さい鈍い痛みがにじんだ。
「一つだけ聞いてもいい?」
なんとなく、そう聞いてみた。対して気になったわけでもないけれど、ぼんやりとした頭の中に一つ質問がふわりと浮かんだ。
遥花と瑠夏は、さっきよりも眉を緩ませてこちらを見た。
私は続けて話す。
「なんで亜美たちは私のことをいじめたの?」
想像していた言葉じゃなかったのか、少しだけ意外そうに二人は瞬きをした。
足元に、雲の影が落ちる。私はそれを踏んだ。
視線を泳がせて、少しだけ悩むように顔を合わせたが、遥花が口を開いた。
「亜美のお父さん、ブラック企業に勤めてたストレスが原因で、亜美が小学生の時に自殺しちゃったんだよ。それで、私達が一年生の時にいじめてた、あんたが庇ったやつの親がその企業の社長だった。」
ネットにもあった情報。合っていたのか。
「それで、親の仇を邪魔した私にキレていじめてたってこと?」
私がそう聞き返すと、遥花は何か言い返そうと口を開いたが、すぐに閉じて黙った。代わりに、瑠夏が口を開く。
「亜美、お父さんが死んじゃった時に、近所の人達とか学校の子達が亜美に向かって「大変だったね」「可哀想だね」って皆口を揃えて言ったの。皆お父さんが死んだときに野次馬みたいに集まってきてたし、どうせお父さんの噂話で欲を満たしてたくせに。その時から亜美は偽善者ぶって近づいてくる奴らが嫌いだって周りに対して当たりが強くなった。」
「だから、私たちがいじめてた奴を庇ったあんたに亜美がキレていじめ始めた。」
亜美のことを話したとき、瑠夏は少しだけ表情を険しくさせた。それでも、遥花と瑠夏は、話し終わった後もう一度「ごめん」と消え入りそうなくらい小さな声で言った。
私は「そっか。」とだけ言って息を吐いた。
もう頭の中に残ってることはない。これで二人たちと別れても特に後悔は残らないと思う。そう何となく思った。
すると、隣でカオリが身を乗り出した。私の握っているカオリの手が強く揺れる。
「私の親は、ミクちゃんの両親を事故で殺した。」
真っ直ぐで、重たい声。
突然のことに、遥花と瑠夏も、私も驚く。特に二人は、カオリの発言に信じられないとでも言うように声を漏らした。
「それで、光虹と仲良くしてるの?」
ああ、たしかに、立ち位置が亜美ともともと三人がいじめていた子に似ているんだ。
二人は信じられないというように私の方を見た。
「お母さんとお父さんを轢いたのはカオリじゃなくてカオリの親だよ。私はカオリが好きだから。」
二人は、私の言葉にぐっと目を細めた。それは嫌悪とは違う表情だったと思う。
「仲いいんだね。」
羨むような、妬むような、無表情とは少し違う顔に、薄めた笑みが乗っていた。その顔は、いつもみたいに黒く無かった。
そう言って、二人は帰っていった。
カオリと私の二人だが、ポツリと残された。
「カオリ。」
私は、そっとカオリの手を握り直した。
カオリは、瞳だけを動かして私を見る。アーモンド色の瞳が影で黒く見えた。下半分を照らすように、目の表面に張った水分がカオリの瞳を潤す。
「さっき葵が、最近カオリの元気がないって心配してた。カオリは大事な友達だからって。」
カオリは、それを聞いて、細めた目の縁に水をためて笑った。向日葵みたいな愛顔。
やっぱり、カオリには笑顔が一番似合う。私はカオリの髪をすっとすくった。
「私も、カオリのこと大好きだから。」
カオリは、私の手を握り返した。ほんのりと温かい手。私はその手を握ったまま葵のところへ二人で戻った。
ぼんやり空を見上げる。雲の隙間が大きくなってそこから白い光が差していた。
亜美とは、最後まで私に合わなかったけれど、次にまた会えることがあったら、その時は黒くないといいな、と思った。




