47.
カサリ、と袋がこすれて音がなった。さっきまでその中に収まっていたテカったコッペパンは全て私の胃中に収まり、私は手を合わせた。
上を見上げてみれば、時計はまだ十分弱ほどしか進んでいなかった。まだ昼休憩の時間は余っている。かといって、香織と葵は部活の集まりがあるとかで今はいない。香織はテニス、葵は弓道部だ。
少しパンの袋をゆっくり手の中で丸めて結びながら考えていたが、このまま教室にいても、読む本もなければ特別話し相手がいるわけでもない。思いついて、私は椅子を立ち上がった。
久しぶりに、図書室にでも行こう。最近は白だったり香織たちとお弁当を食べることが多かったから、久しく行けていなかった。ついでに読書用の本でも借りよう。
私は廊下の突き当たり、端にある階段へ足を乗せた。
このあたりはやはり人が少なくて、代わりに階段の匂いや音が良く感じる。小さな窓から入ってくる秋風と階段のホコリが混じり合った匂い。上靴が階段にあたって鳴る柔らかい音。
ふと、上から足音が近づくのに気付いた。
四壁に反射する高い音。ふわりと空気が変わった気がした。
自然と足を止めて待っていると、黒い制服に包まれた長い脚が壁から覗いた。それが誰のものかすぐに分かった。
「あれ、ミク?」
正反対の色同士が、グチャッと混じったみたいな気分。
階段は薄暗いせいか、白の髪はいつもより色数が少なくて、素朴できれいな色だった。
カツンと音を鳴らして白が階段を降りてくる。口角を少しだけ上げた顔で、白は私に向けて片手を挙げた。
「もしかして屋上に行くつもりだった?最近来てないよね。」
白は制服の布で覆われた細腕を揺らして、ゆっくりと私の方へ近づいた。一段ずつ白の靴が階段と触れるたびに、コツコツと柔らかいおもちゃのような音がする。
三段ほど私の前まで降りてきたとき、白は私の顔を見て「なんかあった?」と揺れることない真っ直ぐな声で言った。
私は片足を一段下の段に擦る。陰って黒に近く見えた白の瞳には私が映ってる。私は視線を落とした。
白は私の反応を見て黙ったかと思うと、すぐに私の手を引いて私を座らせた。そして自分もその一段上に座る。いつものように隣へは座らなかった。秋風が私の脇腹を冷やす。
「もしかして、ミクのことをいじめてた人たちが原因?」
大きな筆で、背中を撫でられるような感覚。この前もここで、香織と話したときと同じ感覚だった。
「インターネットの書き込みが原因で最近学校を休んでるって聞いた。」
白は感情のない声で淡々と話した。
もうそこまで話が回っているのか。驚いたが、あの騒ぎようだ。数日も経てば学校の小さなコミュニティの中じゃすぐに噂は回るだろう。私は何もしてないが、胸がざわついた。
私は冷たい息を吸った。
「書き込んだのは、私の友達。私が亜美たちにいじめられてるのを知って、私のためにやってくれたの。」
「助けてくれた」と言おうとしたが、やっぱりやめた。
白は斜め後ろに座っているせいで表情が見えない。代わりに私の全部が向こうからは見えてしまっているようで、私は足を揃えた。
「それで、ミクはどう思った?」
ハクは、硬い固形物みたいな声で言った。その声がこの前の先生みたいで、胸の底が小さく沸く。
「なんで、そんなこと聞くの?」
思い切って腰を捻って振り返ると、白は目尻を歪ませて、怒ったような苦しそうな不思議な顔をしていた。放ったさっきまでの威勢がしぼむ。
白は答えなかった。
「ミクの友達がやってるのは、ミクをいじめてた子たちがやってたことと同じだよ。」
代わりに白は目を閉じてそう言った。瞼が伏せられて長い睫毛が際立つ。目元にはホクロがあった。
何かせり上がるものがあって私は勢いよく、でもゆっくり息を吸った。
同じなら、私が苦しんだ分返すのは間違ってない。そう言い返したいと内側から何かが私を叩いたが、白のこの歪んだ顔にそれをぶつけられなくて、私は口をつぐんだ。言ったら、白がどこか遠くに行ってしまいそうで。さっきの歪んだ目が私を軽視する目に変わってしまいそうで。
香織たちは私を受け入れてくれたのに。代わりに私は言った。
「私は、白みたいに光る人になれないよ。」
白は目を開いた。でもすぐに力んだように目を細めた。その目がいつもより細く、光を取り入れようとしなくて暗く見えた。
白みたいに、私はきれいな人間じゃない。香織だって、白みたく白に近い色だったけど、反対に黒に近い色にもなった。白みたいに、ずっと光ってられる人なんて、限られてる人だけだ。
私は、普通の人間だから傷つけられれば当然その人を憎む。
白だけはずっと私の気持ちを理解してくれていると思っていたのに、裏切られたような気持ちになっています胸が切れる。
「ミク。」
白は声を出した。さっきよりも柔らかい声。もしかしたら、脆くなっただけかもしれない。
一つ一呼吸を置いて、白は私の目の前に手を差し伸べた。
いつもより暗い髪色に肌。日が照らしている姿とは違った白の姿は、どうしてか儚く見えた。
私が白の手を握れなくて黙って眺めていると、私の右手を白はぐっと掴んで、そのまま階段の1段目まで飛び降りた。床までは数段だけだったとはいえ、突然の白の動きに驚いて私の身体はグラッと揺れた。
視界の端で揺れる白の髪は梛の葉みたいにゆらゆら揺れた。
「次の土曜日、一緒に見に行こう。」
軽々と着地した白の細脚は、すぐに体勢を変えてつま先を私に向けた。白の綺麗な目は、いつも以上に私を真っ直ぐ見ていて、私は咄嗟に何も言えなかった。
「どこに?」
そう私が聞くと、白は目を細めて口の端を下げた。慣性の法則に則って髪が大きく揺れる。
身体の真ん中をぐっと掴まれたような、喉がくっと鳴った。私は白を見つめ直す。
いつもの笑顔じゃない、白の顔。
「光ってる人のとこ。」




