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「星が綺麗ですね」× ∞  作者: 桜凜翠
クロッカス
29/58

29.

 そこは、回転寿司だった。しかも、新鮮さが売りの少し高いお店。

 木の木目が目立つよう作られたあたたかみのある建物は、不思議と厳かな雰囲気を醸し出していた。

 私が美咲さんに話しかけるよりも先に、美咲さんは自動ドアをくぐって店の中に入ってしまった。

 私も慌てて後をついていく。

 「すみません。予約していた者なのですが…」

 そう美咲さんがドアのすぐ近くにあるレジの店員さんに話しかける。

 予約までしていたのか。そう思って美咲さんの鼻筋のよく通った横顔を眺めると、視線に気づいたのか美咲さんは少し舌を噛んで私を見た。 

 「今日は贅沢しちゃおう。」

 そう茶目っ気のある猫目で笑う美咲さんは、店員さんに案内された席についてメニュー表を手に取りながら言った。

 美咲さんと外食するなんて、いつぶりだろうか。

 いつの日だったか、私が誕生日の日、美咲さんがドレスコードがあるような豪華なお店に連れて行ってくれた。慣れないめかした服に袖を通して食べた料理の味は、正直もう覚えていない。それよりも、良かれと思って連れて行ってくれた美咲さんとうまく会話ができなくて味わった罪悪感のほうが覚えている。

 今日もそうなってしまうんじゃないか、と少しだけ緊張感が走った。

 しかし、そんな私を無視して美咲さんは注文用のタブレットを使って次々に注文をしていく。

 タブレットから鼻から上を覗かせながら、「なにか食べたいものある?」と尋ねてきたので、私は「じゃあ、サーモンで。」と答えた。

 遠慮しすぎだと美咲さんに指摘されるかと思ったが、予想外に美咲さんはまたあの愛でるような笑みを浮かべただけで何も言わなかった。

 注文が終わったのか、美咲さんは台座にタブレットを戻し、私に向き直した。

 「二年生一位だっけ?運動会。」

 美咲さんは自分の手の甲を撫でながら言った。

 そうだ。結局、私達のクラスは目標通り二年生一位を取ることができ、それどころか、一つの三年生のクラスと僅差で勝利するという結果となった。

 たしか、二年生二位はカオリのクラスだったはずだった。

 私はカオリさんの問いに首を縦に振る。

 「すごいね〜。しかも、三年生にも勝っちゃったんでしょ?徒競走も二位だったし、玉入れも活躍してたよね。私鼻が高いな〜。」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべながらも、美咲さんの顔からは嬉しそうな色がにじみ出ていた。

 大縄も、リレーも足を引っ張るようなことはなく、残りの競技はカオリと、その友達とで観戦した。自分のクラスのテントに戻っていくときに、カオリから誘われたのだ。

 どうやらカオリは友だちが多いようで、数人の生徒に囲まれて楽しそうに話していた。

 けれども、その友達に私を含めてくれたことは、うぬぼれかもしれないが、驚きに近い喜びを感じた。

 そうこうしていると注文していたものが到着し、回転レーンにのって運ばれてきた。

 私がそれを取ろうとしたが、美咲さんが左手で軽く制止し、運ばれた皿を綺麗にテーブルに並べていく。

 いくら軍艦に、納豆巻き、かっぱ巻き。他にも、ハンバーグや唐揚げを巻いたものまである。もちろん、私がお願いしたサーモンも二皿注文されている。

 私が好きなものばかりだ。目の前に並べられていくカラフルでキラキラした皿の光景を眺めて驚く。

 「さ、遠慮せず食べて。」

 美咲さんが手元にあったサーモンを軽く滑らせて私の方へ差し出す。頬杖をついて斜めの目線で見る美咲さんはどこか余裕そうだった。

「ありがとう。」

 差し出されたお皿を両手の指でなぞる。美咲さんが両手を合わせたのを見計らって、私も両手を合わせた。

 「いただきます」

 「いただきます」

 声を合わせてそう言って、私はひとまずサーモンに醤油をつける。

 表面張力によって縁がつやりと丸くなった醤油に白く線のついたサーモンをつけると、表面張力によってサーモンに吸い付くように醤油がくっついた。

 しっとりと醤油が色づいたサーモンを口に放り込む。

 「ん、おいしい。」

 そうつぶやくと、美咲さんはいくら軍艦を掴んだ手を止めた。

 「変わったね、なんか。」

 独り言みたいな、けれども私に向けてささやく声で言った。

 私も箸で更にサーモンをつまんでいた手を止めて、美咲さんの顔を見た。

 大きな目を細めて、赤い濃いリップの似合う唇には安堵が滲んでいた。

 美咲さんの言っている意味が分からないという顔をしていたのか、美咲さんは苦笑したように息を漏らした。

 「んー、前よりイキイキしてる気がする。」

 軽く握った手の第一関節を顎につけて美咲さんは言った。

 「前まで学校に行く時と帰ってくるときは、すごく嫌そうだし疲れてそうだったけど、最近はそういう顔を見るのが少しだけ減った気がする。」

 私は止めていた手を再度動かし、サーモンを口に放り込んだ。

 そこまで美咲さんに見られていたことに驚き、自分がそこまで表情に出ていたことに更に驚いた。

 どう返したらいいかわからず私が黙っていると、美咲さんはいくら軍艦を醤油にトントンとつけて一口食べた。

 何度か噛んで頬を膨らませる美咲さんを私はじっと見つめる。

 「何かあった?」

 飲み込んだときに喉が動く様子を見ていると、美咲さんは人差し指を箸に添えて斜め下を差した。

 そして箸を丁寧に手元に置くと、美咲さんは左右対称の綺麗な瞳で私を見つめた。

 その瞼には綺麗に等間隔で引かれた二重線が描かれていて、眼力の強い美咲さんがいつもよりもきれいに見えた。

 私は目をそらしたくなって、納豆巻きを箸でつまんだ。

 私の様子を察して美咲さんはさらに口を開いた。

 「でも、嬉しいな、私は。何も力になれなかったっていうやるせなさはあるけど、少しでも元気になってくれて。」

 ふへ、と効果音が鳴るような、幼い子供みたいな溶けた笑顔を浮かべていた。

 じわりと胸に温かい物が広がる。

 ベタで恥ずかしいことを言っているかもしれないが、愛されてたんだな、と一言頭に浮かんだ。

 それはパチパチと胸を撫でながら熱を放つ。

 くすぐったくて、嬉しくて、恥ずかしい。

 胸の真ん中がむず痒くて、私は胸に手を当て服をきゅっと握った。

 数刻の沈黙の後、私は思い切って口を開いた。

 「いじめられてるんだ。クラスの子に。」

 言った後、後悔とは違う熱がぼっと顔まで上り詰めた。頰と耳が熱い。心臓が早鐘を打った。

 自分から言ったくせに、美咲さんの返事がなくて今更どうしようと困惑する。

 私はいくら軍艦に箸を伸ばす。その手が震えていることに気づき、震える箸先が美咲さんに見られないよう私は素早く自分の皿にいくら軍艦を乗せた。

 「そっか、」

 美咲さんが声を発すると、私の身体はその音に過剰に反応してふるりと震えた。

 でも、予想したよりも穏やかで、分かっていたとでも言うようなその声は、お店の雑音にかき消されそうなほど透明だった。

 チラリと瞳だけ上げて美咲さんの表情を見ると、意外にもまだ薄く笑顔を浮かべていた。

 「辛くて、逃げたいって思ったら、私に言ってね。約束。」

 しばらく黙ったあと、美咲さんはもう一口残ったいくら軍艦を口に放り込むと、そう言って左手の小指を立てて私に向けた。

 瞳も、声も、全部溶けてしまいそうな柔らかい顔。

 でも、溶け出した丸い瞳の奥だけは、すごく硬くて鋭いものが息をしていた。

 私も手元の皿に当たらないよう左手の小指を立てて美咲さんに向ける。

 美咲さんの小指が私に絡みつき、指の腹を包みこまれる。潤った肌がキュッと音を立てながら私の小指をヘビみたいに丸め込んだ。

 その肌は冷たかったけれど、中身はきっと温かいんだろうな、と思う。

 呼びきりげんまんの歌はどちらも歌わなかった。だけど、同時に指を離した。

 美咲さんの指が離れた後も、小指にはじんわり感触が残っていた。

 私はまた箸を握った。

 「力になれなかったは違うよ。それに、お弁当美味しかった、です。」

 口の端に空気が擦れるみたいな、ボソボソした呟きだった。

 だけど、美咲さんはそれをちゃんと拾って、下唇を持ち上げた愛顔で「よかった」と一言言ってくれた。 


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