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「星が綺麗ですね」× ∞  作者: 桜凜翠
クロッカス
27/58

27.

それはまるで川に思い切り打ち付ける濁流のようだった。

 肌寒かった朝が、一瞬にして周りの熱気で温められる。

 右を見ても左を見ても、皆ほとんどが声を枯らして応援している。空気をガンガンと震わせる衝撃波が、私を襲うように三六〇度を囲んだ。

 ビリビリと震える空気が鼓膜を太鼓のように叩き、ベース音みたいに私の心臓もドクドクと鳴る。私は薄い体操服に包まれた胸に右手を当てた。

 肌がシュワシュワと泡立ち、足の下から登ってくる。

 頭上を覆うテントの先には、グラウンドに引かれた白線の間を疾走する三年生が土埃を起こしている。

 三年生の徒競走だ。

 徒競走は一、二、三年生の順に行われる。二年生の徒競走は十分前くらいに行われて、私の結果は二位だった。まあ、及第点だろう。走るのは特に得意というわけではないが、たまたま相手にあたった人たちに特別足の速い人がいなかったのが幸いだろう。

 正直、勝敗はどうだっていいが、走り終わった後に、保護者席から美咲さんが笑顔で手を降ってくれていたのは素直に嬉しかった。

 まぶたを閉じて美咲さんの顔を思い出していると、周りの音が少しだけ遠くなった。

 徒競走に備えて待機する三年生の生徒を見てみるが、やはり白はそこにいなかった。なんとなくいないだろうとは思っていたが、少しばかり心に影が落ちる。

 私は抱えていた膝から手を離し、土を払いながら立ち上がる。

 次の競技は玉入れだ。玉入れは全学年一斉に行われる。そしてその後は大縄跳びだ。大縄跳びも全学年一斉に行う。

 三年生の徒競走が無事に終わり、クラスの数人の生徒がグラウンドの前の方にかけていった。

 どうしたのだろうと走る生徒たちの後ろ姿を目で追う。生徒たちは、配点表の前に行くと他の学年からも何人かの生徒が合流し、何やら紙に書き込みながら配点表に書かれた大きな数字を書き換えた。

 なるほど、配点係か。なんとなく自分のクラスの点と他のクラスを比べて見てみる。流石というべきか、やはり三年生が上位を埋めていて、私達のクラスは同じ二年生のクラスで比べると三位のようだ。

 「うわ〜負けてるね。」

 「他の競技で追い抜かそう!」

 周りの生徒達も配点が更新されたのを見つけたのか、口々に悔しさや、あるいは闘志をあらわにしている。

 「そろそろ次の競技だよ―」

 委員長の呼びかけで、ざわめいていてバラバラに分散していたクラスが統治される。

 委員長はそのまま私達を綺麗に整列させ、「頑張ろうね」と嬉々して笑顔を浮かべるクラスメイトに向け、改めて声を張り上げ「目指せ、一位!」と腕を上に上げた。それに答えるように周りの皆も「おお!!」と雄叫びを上げた。

 一人一人の高さのバラバラな声は混ざって合体すると不思議なことに低い声に変わった。

 「足引っ張んないでよね。」

 気づけばいつの間にか私の横にいた遥花がいつもより小さな声で、けれども鋭さはいつもより増した声で囁いた。

 瑠夏も近づいてきて、「そうだよ。」と同意する。

 私は、鋭い爪で刺されたような胸を奮ってまた同じように返事をしようとすると、突然瑠夏が「ね―皆―!」と振り上げた腕と同じくらい声の大きさを上げてクラスメイトに呼びかけた。

 「二年の一位になれなかったら、光虹のせいってことで、いいよねー?」

 そんな瑠夏の言葉をふっかけられたクラスメイトは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに「うん」「そうだね」と同意するような短い言葉をきれいに並べる。

 そんな彼らの顔は目と口だけがくり抜かれた黒い物体みたいだった。

 彼らの頭に結ばれたハチマキだけが嫌に白く輝いていて、私は眉の間にシワを作る。

 運動会の熱気に煽られた彼らの言葉は一つの布状のようになって私を閉じ込めるように覆ってくる。

 私は目を閉じて息を深く吸って同時に息を深く吐いた。

 好きに言えばいい。私は視界を塞ぐ彼らの黒い布を手で持ち上げる。

 視界の端に、亜美が映った。その表情はなぜか不快そうで、私はすぐに視線を外す。

 運動会の練習が始まってからと言うものの、亜美はずっと機嫌が悪そうだ。

 去年も同じで、理由はわからないがどうやら亜美は行事ごとは嫌いなようだ。だからこそ、瑠夏たちのように行事にあやかって私に嫌がらせをすることも少ない。

 視界に映った亜美の顔は他の生徒のように黒く塗りつぶされていなくて奇妙な気分になる。前に白と黒が同じなら亜美たちは白でもあるんだろうかなど変なことを考えたせいかもしれない。

 ピーーッと空気をまっすぐ震わせるビリビリとした笛がなった。

 生徒たちはその音に反応して再び列を整え始める。

 いよいよ玉入れが始まるようだ。

 気にはしないと思ったものの、もし本当に一位になれなかったらどうしようか、と冷たい焦燥感が足元に広がった。

 ピッピッピッとリズムよく笛が短くなり始める。

 周りの生徒全員が足踏みを始めた。タイミングはバラバラでだらりと力を抜いた足踏みだったが、玉入れのかごに向かって進んでいく。

 私は足元のそれに呑まれぬように地面を強く踏んで、周りに合わせながら前へ前へと走り始めた。

 まとわりつく布も焦燥感も、気持ちが悪いほどに執拗で、私達のクラスの玉入れのかごへたどり着き列を整えたときまで足を掴みながら引きずられてきた。 

 ピッ!と最後に強調するように鳴らされた増えの合図で、皆は一斉に足踏みを止めその場に次々と座り始める。

 私も同じように膝に両手を据えて体育座りで座る。いまだ怪我が完全に治らない瘡蓋の張った膝が手のひらに突っかかった。

 両手を組んで底に顎を埋める。足に引っかかった布と焦燥感が混ざりあった物を取ろうとするが、それは私の足に滲み出していて取れない。

 しかしすぐに玉入れが始まりだし、先頭に並んだ生徒たちが次々とかごを囲んで競技し始める。

 なかなかに調子が良さそうで、皆満足そうに列に帰って来る。

 一試合一五秒とはなかなかに短くて、すぐに私達の番になってしまった。

 隣りに座っている生徒が立ち上がり、私も重い腰を動かす。

 立ち上がるとさっきまでの景色とはずいぶんと変わって目の前に円形に並べられた玉がたくさんある。

 腕に包まれたさっきまでの体操とは違って立ち上がると嫌に開放感があって自然と背筋を軽く曲げた。

 擦るように地面を蹴りながら進んでいき、かごを囲んで並ぶ。

 なるべく何も考えずにしようと思っていたが、そう意識すると嫌でも脳裏にさっきの瑠夏の声が響く。

 一位。頭に張り付くその言葉を私は剥がす。

 胸を強めにがんと叩き、私は息を深く吸った。負けたって、私だけのせいではない。大丈夫だ。そう言い聞かす。

 「よーい、ドン!」

 先生の声を合図に、私達は一斉にしゃがみだし玉を手のひらいっぱいに掴む。しかし掴めたのは三つだけだった。時間は限られている。構わず膝に力を入れて立ち上がり、かごに向かって玉を投げる。

 しかし、私の投げた玉は他の玉とぶつかり合って跳ね返り、一つも入らなかった。それどころか、玉がぶつかり合ってかごの中には一つも入っていない。

 後ろから、一つも入っていないことの圧を感じる。声こそ出さないが、十五秒しか無い中で、初動がこれでは勝敗は難しくなるだろう。

 「負けたら私のせい」あの言葉が足を引っ張る。胸が苦しいほどにバクバクと拍動する。

 だめだ。私は太ももをパンと叩いた。鋭い痛みがピリピリと広がるが、構わずしゃがみ込む。

 玉をぐっと掴むと、土も一緒にえぐるように爪に食い込んでくる。

 勝敗なんてどうでもいい。ただ、朝応援してくれた美咲さんと香織に、「お疲れ様」と満足に言えるようになれればそれでいい。

 私はただがむしゃらに玉を投げ続けた。

 息が苦しくなり呼吸が乱れてきた頃、「そこまで!」と先生の声が響いた。

 私は手から玉を離し、その場から離れた。

 係の生徒がかごに近づいてきて、かごを傾けて数を数える。

 私はかごを見ることは出来なかった。なんとなく上を見るのが怖くて私は顔をうつむかせ、かごが見えないように抵抗する。

 気づけば後ろからの圧も感じられなくなっていて、結果がどうだったかわからない。

 まるで周りの音が消えたみたいだった。

 「四一、四十二、四十三。四十三!」

 係の人がそう言った。

 途端、「よっしゃ!」と後ろで声が上がる。

 それを皮切りに、「一番入ったんじゃない?」「すご―!」と波が押し寄せるみたいに声が上がる。

 よかった、と思った。

 肺にこもっていた空気がすべて外に出る。脱力した膝を動かして、私は一番うしろの列に戻った。

 「すごかったね」

 ふと、前の生徒が振り返らずにそう言った。

 「え?」

 「玉、一番入れてたんじゃない?」

 「えっ、と、どうだろう。」

 急に声をかけられ、返し方がわからず声がどもる。

 「でも、ありがとう。頑張ってね。」

 かろうじてそう返事をすると、前の生徒はやはりこちらを振り返らないままで「うん」と頷いた。

 変な人だ。私に優しくしたって、いいことなんてないだろう。

 でも、頑張って良かったと思った。

 自然と手がそわそわと動いた。


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