26.
厚い雲に覆われ、空に怪しげな色が落ちる。
今日はついに運動会だ。傍を通る学生たちも皆いつもよりも軽いカバンを引っ提げて浮足立った様子で歩いていく。
あれから白は基本毎日のように屋上にいる。香織とも、毎日朝顔を合わせているお陰でもうずいぶんと打ち解けることが出来た。
運動会練習も、私が前のように無反応を貫こうとしなくなったせいで面白くなくなったのか、目立ったような嫌がらせはなく比較的ストレスの減った練習が続いた。もちろん、嫌がらせが少なくなったわけではないが、前みたいに怪我が残るようなものはされていない。
去年は前日に風邪を引いてしまったため、実質的には初めての運動会となる。
肩から下げたカバンを、揺らさないように意識する。朝、美咲さんがわざわざ早起きをしてくれて作ってくれたお弁当が入っているのだ。
卵焼きと、タコさんウインナー。小さい頃お母さんがお弁当のときに作ってくれた料理。そして、私の大好きなおかずだ。
今日は珍しくお仕事が休みだから、運動会を見に行くことができるとかで、美咲さんはずいぶんと嬉しそうにしていた。今でも朝にニコニコと笑っていた美咲さんの顔を思い出せるくらいに。
カバンに入ったお弁当から美咲さんの優しさが伝わってくるようで、胸が満たされていくような気分になる。食べ終わったら、必ず美咲さんに「美味しかった」と伝えよう。そう思うと頬が緩んだ。
「光虹ちゃん、うえのそら?」
隣で歩いていた香織が私の顔を覗き込む。
運動会だからか、いつもと違う編み込んだ髪は香織によく似合いそうで、とても可愛らしい。
「それを言うなら上の空ね。」
そう言うと香織は「そうだ!」と手をパンと叩き、ニコニコと笑顔を浮かべた。やはり香織は子犬によく似ている。
そよそよと吹く風は冷たく、日差しが出ていないせいもあって今日は肌寒い。天気も怪しいし、雨が降るかもしれない。
「香織、その髪かわいいね。」
私は思ったことを香織に伝えてみる。
最近意識していることだ。いいと思ったところを見つけたらすぐに伝える。もちろんこの前白に言われたことを自分なりに実践しているのだ。
そう言うと、香織は頬を持ち上げ、照れたように口をニッと伸ばした。指は長いが小さな手を滑らすように自分の髪を撫で、編み込みされた髪をなぞった。
「ありがとう。これ、動画で見て昨日何度か練習したんだ。」
「難しかったんだよー」と話す香織はとても嬉しそうだった。つられて私も口角を上げる。
「楽しみだね―、運動会。」
香織は髪をなぞっていた手を首筋へと滑らせ、体ごと少し傾かせて私の方を見た。香織の丸い瞳が私を見つめる。瞳の色はよく見ると青がかった茶色で、ゼリーみたいで綺麗だ。
「光虹ちゃんは何の競技するんだっけ?」
「えっと、徒競走とクラス対抗リレー、大縄跳びと、玉入れ。二年生だから香織も同じじゃない?」
香織は「あ」と口を開けた。
「たしかに、そうだね。」
笑い声が何割か交じる震えたその声は、少し面白くて私も息を漏らす。顔を傾けると後頭部あたりで髪の束が揺れるのがわかる。今日は一応運動会だから、動きやすいようにしておいたほうがいいと思い、美咲さんの髪ゴムを借りた。
風が吹いて香織の髪を揺らした。曇り空で陰っているせいか、香織の髪はいつもより黒く見えた。
冷たい風は体操服と肌の間に冷えた空気を送り込む。その冷たさに肌は粟立ったが、その開放感は心地良かった。
いつもより肌当たりの良い風は、ふわりふわりと頬や髪を撫でる。もう少しで夏がくるというのに、今日だけは春のようなのどかさだった。
ふっと空を眺めると、水色の雲が全面を覆っている。よく見ていると私と同じ方向へ動いていってるようだ。でも、それはすごくゆっくりで私が動くたびに雲の速度をかき消してしまっているようだ。
「頑張ろうね、光虹ちゃん」
香織がコロコロとした飴みたいな声で言った。
その言葉に、私はコクリと頷いた。




