12_留学生
「なんだよ、嫌なことでもあったのか?」
聞き覚えのある声、よく知っているセリフ。
私はこのシーンを知っている。
見上げた先には木の枝に座っている少年の姿。
黒い制服をラフに着崩して、第二ボタンまであけたシャツの間からは筋肉質で日焼けした肌が覗いている。
青みの強い黒髪が短く跳ねていて、顔の右側には編み込みが垂らされている。 そして、瞳の色は優しい琥珀色。
「ウォン・リーメイ!」
「っと……もう知ってるのかよ。 せーっかく名無しの騎士様を気取ろうとしたってのに」
ひょいと木の枝から降りて私の前に立ったのは金組の唯一の平民男子、東の大陸央華帝国からの留学生ウォン・リーメイだった。
あまりに予想外の相手に驚きすぎて私は自分が今ロベリアということも忘れてしまっていたが、このイベントが起きたということは……あの女! リーメイの初登場イベント回収してない!!
ウォン・リーメイはストレス値が上がりすぎると出会いが発生する隠しキャラ的な攻略対象だ。
そしてストレス値をあげるならパラメータの低い序盤の4月から6月が1番効率が良く、そしてそれ以降に響かないから私はリーメイ攻略時にはいつも部活動選択前に出会いイベントをこなしていたせいで想定していなかった。
「べ、別に何でもないわよ」
「何も無くてあのクソ女ー!なんてお嬢さんが叫ぶもんか?
ここにいるのは国内でも指折りの名家のご息女ばっかりなのにさあ」
平民出身ということもあってリーメイは他の攻略対象よりもずっと人懐っこい。
私の顔を覗き込んで、そしてようやく髪に飛び散ったインクに気付いて、背中側に回り込んできた。
「ちょ、ちょっと!」
「うわっ、ひどいな……なんだよ、喧嘩……て、インクぶつけられたんだっけ?」
「そうよ……別に、相手には酷いことなんてしてないわよ」
「それじゃ相手が酷いやつなんだ」
そう、このイベントは本来、いじめられたアリアが泣いているのをリーメイが慰めてくれるイベントだ。
けれど今はヒロインが違う。
私に対して木綿のハンカチを差し出し、頬に着いたインクを拭いてくれるリーメイを見ながら私は目線を逸らした。
「泣かないんだな」
どきりと、内心を読まれたような気がして私はリーメイの目を見れなかった。
リーメイは柔らかな頬笑みを浮かべると私の手を取り、そのまま半ば強引に歩かせた。
「ちょっと、どこ行くの?」
「どこって女子寮にお姫様をお送りするんだよ。 言っただろ、俺は騎士様だって」
「ダメよ! 級長以外の男子は談話室と寮に立ち入っちゃ行けないって聞いたでしょ」
「いいっていいって、俺が叱られておしまいなら困ることないからさぁ」
ぐいぐいと腕を引かれてしまえば私も逆らうことは出来なくて、赤くなりながら私はリーメイの隣に並んだ。
アリアの視点からは高く見えたリーメイの背丈だけれど、ヒールを履いてるロベリアからはほとんど視線が変わらない。
並んで歩きながら私はインクを被ったこの姿を他の生徒に見られないかドキドキした。
本来のロベリアはインクを被せる側で自分が被るはずなんてないから、どんなイベントが引き起こされるか想像がつかない。
「ね、ねえ、なるべく人に見つからないようにね」
「ん? それじゃ走るか?」
「無理よ! 私、ヒールだもの、転んじゃう」
「それなら、こうだ!」
勢いよく声を上げるとリーメイは自分のシャツが汚れるのも構わずに私の体を抱き上げた。
そして、そのまま勢いよく走り、校舎の中をかけて、左右対称の庭木に挟まれた前庭も通り過ぎるとあっという間に女子寮前の橋までついてしまった。
私はとにかく心臓がうるさくてまともに風景も見ていられなかった。
こんなに密着して、体温を感じて、それも、あのウォン・リーメイに抱きしめられて。
「さあ、姫。 このまま部屋までエスコートさせていただけるかな?」
わざとらしいリーメイの口調に私はハッとして彼の顔を見上げ、急いで腕の中から降りた。
リーメイのシャツはインクのせいで真っ黒に汚れていて私は眉を下げながらも彼の顔を見つめた。
「部屋には1人で戻るわ。 ありがとう、リーメイ」
「いいっていいって、あ、そういやあんた名前……」
そうだ。 ウォン・リーメイは女の子の味方。
泣いている女の子や困ってる女の子は名前を知らなくたって助けたくてたまらない。
私はそんな彼らしい姿に眩しいような思いを胸に抱え、今の自分の名前を口にした。
「ロベリアよ。 パトリクス家のロベリア、よろしくね」
「俺はウォン・リーメイ……て知ってたか。 まあ、女の子の味方ってやつさ。 よろしくな」
差し出された手を握り返して、私は確かに彼の温もりを感じていた。




