第4話 離れない人
小屋に戻ったときには、もう夜更けだった。
袖でつながったまま少女を寝かせ、焚き火を起こし直す。
首輪の下の傷を【湧水】で洗い、裂いた着替えの布を当てておいた。
しばらくして、少女が小さく呻いた。
紫の瞳が、ゆっくりと開く。
「……ここは」
「俺が作った小屋だ。追っ手は、もういない」
少女は跳ね起きようとして、首輪の重さに顔をしかめた。
それから、焚き火越しに俺をじっと見つめる。
警戒している目だった。
鋭いのに、どこか疲れ切っている。
無理もない。
「あなたは、誰」
「ハルだ。ヴェル・ガルディアのストラング家を、今朝追い出されたばかりの修理屋」
「……修理屋」
少女は、少しだけ眉をひそめた。
「私はアイヴィスリンデ。リーノルテ王国の、ヘデラ公爵家の娘……だった者よ」
「長いな」
「アイビーでいいわ。どうせ、もう家の名前を名乗れる身でもないもの」
◇◇◇
アイビーは、焚き火を見つめながら、ぽつりぽつりと話した。
彼女は、リーノルテ王国の王太子の婚約者だったこと。
ある日、王太子の隣に「聖女」と呼ばれる少女が現れたこと。
そして、その聖女に危害を加えたという罪を着せられたこと。
裁きの場で、彼女の言葉に耳を貸す者は一人もいなかったこと。
気づけば首輪をはめられ、国境の森まで運ばれていたこと。
「王太子殿下に執着して、聖女様を呪おうとした魔女。それが、私の罪状よ」
「やったのか?」
「やっていないわ」
即答だった。
「でも、誰も信じなかった。私の魔法は、気味が悪いから」
アイビーは、自分の手のひらを見下ろした。
「触れたものを、離さない。剥がそうとしても、剥がれない。子供の頃から、手をつないだ相手はみんな怖がって逃げていったわ」
そう言って、彼女は小さく笑った。
昨夜、処刑隊の前で見せたのと同じ、ひどく寂しい笑い方だった。
俺は、ふと自分の袖を見下ろした。
「……今もくっついてるけど」
「え」
アイビーが、自分の手と俺の袖を交互に見る。
彼女の指は、気を失っていた間からずっと、俺の袖に貼り付いたままだった。
「ご、ごめんなさい……! すぐに剥がすから……!」
アイビーが慌てて手を引く。
袖が、びよん、と伸びた。
剥がれない。
「……っ、どうして……」
「魔力が戻りきってないから、制御できないんじゃないか」
「そ、そうかもしれないけど……気持ち悪いでしょう、こんなの」
俺は少し考えてから、正直に答えた。
「別に困らないけど」
アイビーが、固まった。
「片手は空いてるし。寝るのにも支障はないだろ」
「……あなた、変な人ね」
「よく言われる」
アイビーは、何か言い返そうとして、やめた。
それから、俺の袖を握る手に、ほんの少しだけ力を込めた。
剥がそうとする力ではなかった。
……まあ、いいか。
プラモの接着剤だって、乾くまではしばらく触らないのが鉄則だ。
◇◇◇
問題は、毛布が一枚しかないことだった。
着替えの袋に入っていたのは、薄い毛布が一枚だけ。
しかも俺たちは、袖でつながっている。
「……俺は床で寝る。毛布は使ってくれ」
「この距離で、どうやって床と寝床に分かれるつもり?」
正論だった。
結局、俺たちは一枚の毛布の端と端に、背中合わせで横になった。
焚き火の爆ぜる音だけが、小屋の中に響く。
……落ち着かない。
背中越しに、彼女の体温が伝わってくる。
細い肩が、ときどき小さく震えているのも分かった。
寒いのか、それとも、昨夜のことを思い出しているのか。
俺は黙って、毛布を彼女の側へ少しだけ寄せた。
前世から数えても、こういう状況には一度も縁がなかった。
(いや、落ち着け。相手は怪我人だ。俺は修理屋だ)
意味の分からない理屈で自分を納得させて、俺は目を閉じた。
「……ハル」
背中から、小さな声がした。
「助けてくれて、ありがとう」
返事をする前に、穏やかな寝息が聞こえ始めた。
◇◇◇
翌朝。
目を覚ますと、アイビーはもう起きて、ぼんやりと自分の手を見つめていた。
「……朝まで一度も起きなかったの、何年ぶりかしら」
「よく眠れたなら何よりだ」
「あなたのせいよ」
「なんでだよ」
アイビーは答えず、ふいと顔を背けた。
耳が、少し赤い。
ちなみに、袖はまだくっついたままだった。
俺はそれ以上聞かないことにして、彼女の首元に目をやった。
「それより、その首輪。外していいか?」
「外せないわ。魔封じの首輪は、王宮の術者でないと解錠できないの」
「解錠はできなくても、バラすことはできる」
俺は首輪に指先を当てた。
昨夜見たとおり、内側の術式にはひびが入っている。
作りも雑だ。
継ぎ目だらけで、魔力の流れがあちこちで詰まっている。
(パーツ自体は悪くない。組み方が悪いだけだ)
「――繋ぎ合わせる」
首輪が、俺の手の中で音もなくほどけた。
鉄の輪と、術式の刻まれた板と、魔石の欠片。
バラバラになった部品を、組み直す。
魔力を「封じる」向きに流れていた術式を、ひっくり返して「通す」向きに。
詰まっていた継ぎ目を、全部まっすぐに。
数秒後、俺の手のひらには、細い銀の腕輪が乗っていた。
「壊れてたから、直しておいた。ついでに、魔力の通りを良くしてある」
「……直した? 魔封じの首輪を?」
「ああ。作りが雑だったから、組み直すのは簡単だった」
「簡単って……」
アイビーは呆然としたまま、腕輪を受け取って手首にはめた。
次の瞬間。
小屋の空気が、ずしりと重くなった。
彼女の体から、目に見えるほどの魔力があふれ出す。
焚き火の炎が、横倒しになって揺れた。
「……戻った」
アイビーが、自分の両手を見つめて呟く。
「全部、戻ってる……ううん、前より……」
そのときだった。
森の奥から、地の底を揺るがすような咆哮が響いた。
小屋の壁が、びりびりと震える。
アイビーの顔から、血の気が引いた。
「今の魔力に、引き寄せられたんだわ」
「何が?」
「この森の主よ。斬っても焼いても、すぐに傷が塞がる化け物。リーノルテの騎士団が三度討伐に出て、三度とも逃げ帰ったの」
木々をなぎ倒す音が、まっすぐこちらへ近づいてくる。
俺は小屋の扉を開け、外を見た。
「……なるほど」
朝靄の向こうに、山のような影が立ち上がっていた。




