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第3話 粘着の魔女

音のする方へ、木々の間を進む。

 

……正直に言えば、関わらずに済むならそうしたかった。

 

追放初日だ。

 

自分のことで手一杯だ。

 

それでも、足は勝手に動いていた。

 

前世の会社で、困っている後輩を見捨てられなかったのと同じ性分らしい。

 

やがて、木々の切れ間に小さな広場が見えた。

 

茂みに身を低くして、そっと様子をうかがう。

 

◇◇◇

 

月明かりの下に、一人の少女が膝をついていた。

 

年は俺と同じくらいだろうか。

 

夜の闇に溶けるような黒髪。

 

泥にまみれていても分かる、上等な仕立てのドレス。

 

そして、その細い首には、無骨な鉄の首輪がはめられていた。

 

首輪から伸びた鎖が、地面に垂れている。

 

魔封じの首輪だ。

 

罪人の魔力を封じるための、重い枷。

 

彼女を取り囲んでいるのは、揃いの鎧を着た兵士たちだった。

 

二十人ほどだろうか。

 

鎧の胸には、見慣れない紋章がある。

 

ヴェル・ガルディアの兵ではない。

 

国境の向こう、リーノルテ王国のものだ。

 

隣国の兵が、なぜこんな森の奥にいるのか。

 

答えは、すぐに分かった。

 

「手間をかけさせやがって」

 

隊長らしき男が、剣を抜いて前に出る。

 

「魔女アイヴィスリンデ。王太子殿下の命により、ここで刑を執行する」

 

刑。

 

つまり、処刑だ。

 

茂みの陰で、俺は息を呑んだ。

 

少女は、ゆっくりと顔を上げた。

 

紫の瞳が、月の光を弾いた。

 

「……執行、ね」

 

かすれた声だった。

 

それでも、その声には一切の怯えがなかった。

 

「森の奥まで連れてきて、人目のないところで始末する。それを、あなたたちは刑と呼ぶのね」

 

「黙れ!」

 

「王太子殿下の婚約者でありながら、聖女様に危害を加えた大罪人が!」

 

少女は、小さく笑った。

 

「……そういうことに、なっているのね」

 

その笑みが、ひどく寂しそうに見えた。

 

隊長が、剣を振り上げる。

 

その瞬間、少女が地面に手のひらを叩きつけた。

 

「――【粘着】」

 

首輪が、ばちりと火花を散らす。

 

魔封じの枷に逆らって、無理やり魔力を絞り出したのだ。

 

次の瞬間、兵士たちの足が止まった。

 

いや、止められた。

 

足の裏が地面に縫い付けられたように、ぴくりとも動かない。

 

「な、なんだ……!?」

 

「足が、抜けない……!」

 

兵士たちが、もがく。

 

けれど、誰一人として地面から足を剥がせない。

 

(触れたものを、くっつけて離さない魔法……?)

 

すごい、と素直に思った。

 

一瞬で、二十人をまとめて止めたのだ。

 

けれど。

 

少女の体が、ぐらりと傾いた。

 

首輪の下から、細い血の筋が流れている。

 

封じられた状態で魔力を使った反動だ。

 

彼女はそのまま、地面に崩れ落ちた。

 

◇◇◇

 

「はっ……魔力が切れたか」

 

倒れた少女を見て、隊長が笑う。

 

縫い止められていた兵士たちの足が、少しずつ地面から剥がれ始めていた。

 

「全員、魔法で仕留めろ! 近づくな、あの女は何をするか分からん!」

 

兵士たちが、一斉に手のひらを少女へ向ける。

 

火球。

 

氷の槍。

 

風の刃。

 

二十を超える攻撃魔法の光が、夜の広場を照らした。

 

――さすがに、見ていられなかった。

 

俺は茂みから飛び出し、倒れた少女の前に立った。

 

「誰だ、貴様!」

 

答える暇はない。

 

魔法は、もう放たれていた。

 

火球と、氷の槍と、風の刃が、四方から俺たちに迫る。

 

(避けられない。受け止めても、たぶん防ぎきれない)

 

なら。

 

(――全部、一つにまとめればいい)

 

さっき、火種とそよ風を繋ぎ合わせたときと同じだ。

 

パーツが別々の方向から飛んでくるなら、空中で組み上げてしまえばいい。

 

俺は両手を広げた。

 

「繋ぎ合わせる」

 

迫ってきた魔法が、俺の目の前でぴたりと止まった。

 

火球が。

 

氷の槍が。

 

風の刃が。

 

吸い寄せられるように一か所へ集まり、互いに溶け合っていく。

 

炎と氷と風が混ざり合い、見たこともない色の光の塊になる。

 

手のひらに、ずしりと重さがかかる。

 

二十人分の魔法だ。

 

前世で言えば、二十人分のパーツを一度に組み上げるようなものか。

 

……いや、修行部屋では、もっと面倒なものを組まされたな。

 

「な……」

 

隊長の顔から、血の気が引いた。

 

「お返しします」

 

俺は、光の塊を兵士たちへ押し返した。

 

◇◇◇

 

閃光。

 

遅れて、地鳴りのような爆音。

 

光が消えたとき、広場に立っている兵士は一人もいなかった。

 

全員が鎧ごと吹き飛ばされ、木々の根元で伸びている。

 

……加減はしたつもりだ。

 

たぶん、死んではいないと思う。

 

「ひ、ひぃ……っ」

 

一人だけ、まだ意識のある男がいた。

 

隊長だ。

 

光の端に掠っただけで済んだらしい。

 

彼は尻もちをついたまま、俺ではなく、倒れた少女のほうを見ていた。

 

地面に残る、彼女の手のひらの形をした粘着の痕。

 

足を縫い止められたまま吹き飛ばされた、部下たちの姿。

 

「ま、魔女だ……」

 

隊長の唇が震える。

 

「魔女が、処刑隊を……全滅させた……!」

 

いや、違うけど。

 

そう言う前に、隊長は這うようにして森の奥へ逃げていった。

 

……まあ、いいか。

 

今は、それよりも。

 

俺は、倒れた少女のそばに膝をついた。

 

息はある。

 

首輪の下の傷も、思ったより浅い。

 

ただ、この首輪は放っておけない。

 

魔力を無理に通したせいで、内側の術式がひび割れかけている。

 

このままだと、着けている本人の体を蝕むだろう。

 

(直すか、バラすか……明るくなってから考えよう)

 

「おい、大丈夫か」

 

声をかけると、少女の瞼がかすかに動いた。

 

紫の瞳が、ぼんやりと俺を見上げる。

 

「……だれ……?」

 

「通りすがりの修理屋だ」

 

少女は何か言いかけて、そのまま目を閉じた。

 

気を失ったらしい。

 

ただ、その手だけが、俺の袖をしっかりと握っていた。

 

……いや、握っているというより。

 

「……取れない」

 

軽く引いてみる。

 

びくともしない。

 

どうやら、意識がなくても【粘着】は働くらしい。

 

袖から、彼女の指が剥がれない。

 

くっついている。

 

文字どおり、くっついている。

 

仕方なく、俺は彼女を背負い上げた。

 

袖でつながったまま、小屋への道を引き返す。

 

背中の少女は驚くほど軽くて、そして、少しだけ震えていた。

 

俺は夜空を見上げて、小さく息を吐いた。

 

追放初日の夜は、まだ終わりそうになかった。

お読みいただきありがとうございます!


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