第3話:病院はゴールじゃない
見学を開始してから、二週間が経った。
今日見学させてもらったのは、胃がんを患う70代の男性患者・山下さんの病室だった。
「山下さん。手術の方法について、選択肢がふたつあります」
ベッドの脇で、佐藤医師が図解の用紙を広げながら語りかけていた。
「ひとつは、胃を大きく切除して再発を抑える方法。もうひとつは、身体への負担を減らし、退院後の『食べる楽しみ』を残すために部分切除にとどめる方法です」
佐藤医師は、手術のリスクや術後の生活への影響も隠さず、丁寧に言葉を重ねていく。
「お孫さんと一緒にご飯を食べたいとおっしゃっていましたよね。ご自身の体調と、これからの生活を一番に考えて決めましょう」
山下さんは安心したように目元を緩め、深く頷いた。
「先生……ありがとう。私の気持ちを聞いてくれて。前にいた病院じゃ『黙って任せろ』としか言われなくて、怖かったんだ」
「当たり前ですよ。治療を決める主役は、僕たちじゃなく山下さんですから」
ドアの影でそのやり取りを見ていた私は、息を呑んだ。
(患者自身が、自分の治療法を選択する……?)
王立病院での記憶が蘇る。そこでは古い権威にしがみつく医師たちが絶対的で、患者は黙って従うだけの存在だった。
(患者をひとりの『人間』として尊重する……これが、現代の医療……)
◇
数日後、山下さんの手術は無事に成功した。
だが、本当のドラマはそこからだった。
重症者室(ICU)で体を管で繋がれた山下さんに、看護師や理学療法士がそっと寄り添う。
「痛い……もう歩ける気がしないよ……」
弱音を吐く山下さんに、理学療法士は微笑んだ。
「大丈夫、昨日より二歩多く立てましたよ。お孫さんに会う約束、覚えてますか?」
「……そうだったな。あいつに、リハビリ頑張るって約束したんだ」
歯を食いしばり、立ち上がろうとする山下さん。その横には、喉に詰まらせない食事を工夫する栄養士や薬剤師の姿があった。
(命を救うだけじゃない……。医療は、救ったあともずっと続いているんだ)
ふと、私の命懸けの執刀をただ一人庇おうとしてくれたルシアン様の真剣な目を思い出す。
『彼女の技術は本物だ、責任なら私が取ります!』
あの時、彼だけが私の技術だけでなく「目の前の患者を助けたい」という情熱を分かってくれようとしていた。
(もしルシアン様なら、この山下さんにどんな言葉をかけて寄り添うだろう……)
彼もきっと、患者をただの症例として扱うのではなく、ひとりの人間として幸せにする医療を目指したかったはずだ。
◇
一ヶ月後。リハビリを乗り越えた山下さんは、ついに自分の足で退院の日を迎えていた。
「佐藤先生、エレノアさん。本当にお世話になりました!」
駆け寄ってきたお孫さんの手をしっかりと握り、笑顔で去っていく山下さん。
手を振るその背中を、私は胸がいっぱいになりながら見送った。
「どうして、あそこまで届けるのですか……? 手術が成功すれば、医師の役割は終わりではないのですか」
呟くように尋ねた私に、隣に立った佐藤医師は缶コーヒーを一口飲み、遠くを見つめた。
「病院は、ゴールじゃないから」
「……え?」
「ここで命を繋いで、その人が自分の生活に戻っていく。笑顔で『ただいま』って言える場所まで届けるのが、私たちの仕事よ」
胸の奥が、静かに、けれど強く震えた。
(この国では……一人の『人生』を守っていた)
ふとポケットに手をやると、『救済の銀メダル』が温かい青い光を宿し、静かに脈動していた。




