第2話:現代の「当たり前」という衝撃
「……バイタル安定。オペ、無事に終了です」
安堵の息が漏れる手術室。見学用キャットウォークのガラス越しにその光景を見つめていた私は、全身の震えを抑えられずにいた。
(なんなの、この場所は……!?)
影のない眩しい照明。壁で静かに鼓動を刻むモニター。
そして何より私を打ちのめしたのは、部屋全体を支配する徹底的な「衛生管理」と、流れるような「チーム医療」だった。
髪を覆う帽子、滅菌ガウン、使い捨ての手袋。
医師だけでなく、手渡しのタイミングを完璧に測る看護師、機器を管理する臨床工学技士。全員が対等なプロとして一糸乱れぬ動きで命を繋ぎ止めていた。
『女のくせに生意気だ』
『男の医師の指示に従え』
私がいた王立病院を覆っていた、あの理不尽で不衛生な空気はここには一切存在しない。
「――見学、お疲れ様。急な見学者だから驚かせちゃったかしら」
手術を終え、手洗いを済ませた佐藤医師がキャットウォークへと上がってきた。
青いスクラブの首元を緩め、私に温かいお茶の入った紙コップを差し出してくれた。
「佐藤先生……。あの、先ほどの術野ですが……」
私は喉を鳴らし、どうしても確かめたかった疑問を口にした。
「後腹膜の奥、下大静脈分岐部からの出血でしたね。あそこは視界が塞がりやすい……私なら、フックを外側に二センチ移動させ、ガーゼで鈍的に圧迫して視界を確保しますが……」
佐藤医師の手が、ピタリと止まった。
彼女は驚愕に目を見開き、私をじっと見つめ返した。
「……あなた、ただの倒れていた身元不明人じゃないわね。今の一言、完璧な症例判断よ。……まさに今日の執刀で、私が一瞬迷って選択した手順そのものだわ」
「え……」
「もしあなたが執刀医なら、そのあとの縫合はどう組み立てる?」
「エチボンド糸で結節縫合……いえ、この世界の滅菌されたナイロン糸なら、連続縫合で迅速に止血を完了させます。時間をかけるほど感染のリスクと体力の消耗が増しますから」
佐藤医師は呆気にとられたあと、嬉しそうに目元をほころばせた。
「参ったわね。うちの研修医よりずっと筋がいいじゃない。……いいわ、あなたが何者でどこから来たのかは聞かない。身元がハッキリするまで、うちの救命救急センターの『特別見学者』として勉強していきなさい」
◇
それから、私の「現代」での滞在が始まった。
一番驚いたのは、性別や身分による差別がないことだけではない。
「佐藤先生、この投薬量ですが、患者さんの腎機能を考慮すると少し過剰かと思います。こちらの標準治療のガイドラインに基づいた量に変更しませんか?」
病棟で、若手の女性看護師が堂々と佐藤医師に意見を述べていた。
佐藤医師も嫌な顔ひとつせず、「ありがとう、確認するわ。処方変更を出しておいて」と即座に受け入れたのだ。
(看護師が……医師に意見を言っている!? そして医師が、それを正当な根拠として聞き入れている……!?)
私がいた世界では、手柄はすべて昔からのしきたりに守られた男性医師のものだった。
しかし、この世界では違った。毎朝行われる症例検討会では、誰もが平等の立場で意見を出し合う。
(個人の立場ではなく……『患者の命を救うこと』がすべての中心にあるんだわ)
不意に、王立病院を追い出されたあの日、激しい雨の中で私を追いかけてきてくれた副院長・ルシアン様の姿が脳裏をよぎった。
『すまない……! 俺に権威がないばかりに、君を守れなかった……!』
雨に濡れながら、悔しそうに手を震わせていたルシアン様。
(ルシアン様に見せたい……! あなたが作ろうとしていた病院の理想が、ここにあります……)
胸の奥が温かい熱で満たされ、私は手元のノートにこの素晴らしいチーム医療の姿を夢中で書き留めた。




