Part.30『姉妹』
私には不思議な能力がある。
私にしか存在していない、不思議な能力だ。
この能力について簡単に説明をするとしたら、他人の頭の上に数字が見える、となる。
いつから見えていたのか、今となってはよくわからない。物心ついた頃から見えていたような気もするし、ある日突然そうなったのかもしれないし。とにかく、数字が見えているのは他人と違うことなんだ、と認識したのは小学生になってからだった。
私が小学二年生だった当時、私の家には祖母がいた。そう、過去形だ。高齢であることに加え、病気がちだった父方の祖母だ。
祖母の頭の上に見えていた数字は、『一』。
持病が悪化したことで、やがて祖母は入院した。そして、一ヶ月ほどの闘病生活を経て、還らぬ人となった。
このとき、この数字が何を意味しているのか、なんとなく悟ったのだ。
おそらくこの数字は、その人の寿命なのだろうと。
もちろん、この段階ではまだ仮説にすぎなかった。
しかし、見えている数字が、その人の年齢と反比例している傾向があることに気づくと、この仮説は俄然真実味を帯びてくる。
そして、その仮説は〝ある日〟の出来事を経て、確信へと変わる。
私、加護咲夜は、他人の寿命が年数で見えるのだと。
脳裏に蘇ってくるのは、白いブラウスを着た女性の姿。大切な親友の、愛していた家族の姿。
あの日の、騒然とした喧騒が今にも聞こえてくるようで。
あの日私は、手を差し伸べれば救えたかもしれない命を見捨てた。目の前で人の命が失われてゆく瞬間を見届け、償うことのできない罪があるのだと知った。
あの日の自分に、意見できるのならこう伝えたい。次、救える命と出会ったときは、決して見て見ぬふりをしてはいけないと。
この考え方は、偽善かそれとも贖罪か。
答えは、今もまだ見つからぬまま。
第四章「三田姉妹の事件録」
真昼の住宅街は、精巧に作られた舞台セットのようだ。
綺麗な外壁、よく手入れされた庭、一般家庭には不釣り合いなほど広い駐車場。生活感のある二階建ての住居が並んでいる街並み。しかし、そこは不自然なほどに静まり返っている。
不景気なご時世だ。共働きの家が多いのだろう。実際、この辺りの家々の多くは夜になるまで無人だ。それゆえに、街全体が自分を拒んでいるようによそよそしく見えて仕方がない。
非現実感漂うその街の中を、私たちは今歩いている。もっとも、大手を振って闊歩しているわけではない。物陰に身をひそめながら進んでいくその様は、舞台に上がった役者というより、むしろ黒子のイメージが近いだろうか。
怪しいことこの上ない。
「あの子だよ、ポニーテールの女子高生。彼女が寿命一年の人物」
物陰から顔だけを出して、五十メートルほど前を歩いている女子高生を指差した。
「あの制服、梓さんが通っている女子高のやつだね」
隣にいた今泉京先輩が、私の発言に情報を加える。
どこかで見た制服だとは思っていたが、そういうことか。
「女子高生かあ……」と、私たちの間から三人目が顔を覗かせる。
私の親友であり、幼馴染でもある夢乃明日香だ。彼女と先輩は、私が能力を持っていることと、能力の詳細について把握している数少ない理解者であった。
「年齢からいって不自然だよね。死因として考えられるのは、事故、あるいは事件になるよね」
彼女の声に頷いた。高校生で寿命一年はどう考えてもおかしい。
今日は、週に一度ある部活動休養日。いつもより早い時間に学校を出た私たちは、先輩が毎日使っている駅の周辺を目指していた。その道すがらで寿命一年の人物を見つけ、見て見ぬふりもできずこうして尾行をしているのだった。
「なんか狭いんだけど」と、先輩が言った。
植樹帯に植えられている、小低木の上から私たちは顔を覗かせている。木の後ろで身を寄せ合っているため、体勢が苦しい。
先輩の声を無視して、明日香ちゃんと対応について相談していく。
「狭いんだけど」
不満そうに彼がもう一度。
「さっきからうるさいですね」
まったく、こらえ性のない人です。狭いのは私だって同じです。ついでに言うと、スカートから露出している素足に小枝が触れて、チクチクして痛いんです。先輩はズボンなのだからまだマシでしょうに。
それに。
「女子高生の体が密着しているんだから、そこを喜んでおきなさい」と私がたしなめると、彼は真顔で言った。
「ボリューム感が足りない」
「やかましい」と思った。いや、声に出ていた。
失礼ですね。これでも出るべきところはきちんと出ています。それなりに。少しだけ。
後ろにいるナイスバディ美少女と比べないでください。
窮屈に三人固まって、なおも様子を窺う。問題の女子高生は、同じ制服姿の友人と二人で歩いている。方角から推測すると、行き先は私たちと同じであるようだ。
「どうしよう、声をかけてみようかぁ?」
いささかも悩んでいなさそうな声で明日香ちゃんが言う。さすが、マイペース美少女。
「うーん、どうしようか。彼女の寿命は点滅しているわけじゃないし、色味が損なわれてもいない。だから、ただちに何かが起こるってことはないと思うけど、名前と住所くらいは確認しておきたいよね」
死期が目前に迫った人物の寿命は、色が薄くなって点滅を始めるのだ。だから今すぐどうこう、というわけではないと思うのだが。
ふむ、と先輩が頷いた。
「こうして眺めていても埒が明かないし、やはり直接聞くしかないだろう? 彼女らはうちの学校の生徒じゃないのだから、今を逃したら二度と会えなくなるかもしれないし」
「まあ、それは」
彼の意見はもっともだ。他校、しかも三駅先にある学校の生徒なのだから、家がこの近所ではない可能性が高い。というか、まずそうだろう。となると、このタイミングを逃すのはやはりまずい。後日、テレビのニュースか何かで彼女の訃報を聞くことになったとしたら、なんとも後味が良くない。
「そうと決まれば」
呟きひとつ、先輩が飛び出していく。なぜか腕まくりをしながら。
「ちょっと……。もう、しょうがないなあ……」
先輩はこんなところがある。精巧なプロットを組み、伏線をちりばめて小説を書く人なのだから冷戦沈着かと思いきや、意外にも無鉄砲だ。その浅慮さのせいで、寿命が短いんじゃないんですかねえ。
明日香ちゃんと顔を見合わせて嘆息し、彼のあとを追いかけた。
こうなった以上、忍び足は必要ない。一気に二人との距離を詰めていく。突然背後から足音がしたので驚いたのだろう。女子高生二人が勢いよく振り返った。
「あのう……ちょっと……いいですかあ?」
最初に到達した先輩が、かすれた声で言う。どうしてそんな声なんですか? 緊張しているのか、それとも息が上がっているのか。もしかして、運動不足じゃないですか? それではまるで怪しい宗教の勧誘です。
驚いて振り返った女子高生らの顔にサッと警戒の色が浮かぶ。何か恐ろしいものでも見たような怯えぶりだ。
これはダメだと判断し、先輩を押しのけて前に出る。
「邪魔です」
「ひでぇ」と、先輩が抗議の声を上げた。
「あの――」
言いかけたところで私は気づいた。女子高生のうちの一人、寿命が一年ではないほう――長い髪を背中で一本に結わえている友人のほうの女子高生に見覚えがあることに。
「あっ」と、私とその女子高生の声が揃った。
「誰かと思えば」ともう一度。
「怪しい人がきたと思ったら、なんだ、加護さんじゃないですか」
遅れて状況を理解した先輩と明日香ちゃんも、「ああっ」と驚きの声をもらした。
友人のほうの女子高生は、先日私たちが命を救った女性、高橋三枝子さんの一人娘、中村梓さんだったのだ。
* * *
立ち話もなんなので、私たちは場所を変えることにした。
やってきたのは駅前の喫茶店。正午をかなり過ぎた時間帯なので、店内は閑散としていた。というか、私たち以外に客はいなかった。
店内には、カウンター席の他にボックス席が複数ある。日当りの良い窓際のボックス席のひとつに、私たちは腰を落ち着けた。
「先輩は、そこのカウンター席に一人で座ってくださいね」
冷めた口調でそう伝えると、先輩はこの世の終わりみたいな顔をした。
「え、なんで?」
「しょうがないでしょう、ここのテーブルは四人がけなんだから」
それ自体は嘘ではない。が、本当の理由は少し違う。
喫茶店に着くまでの間、彼はずっと目を細めてにへら笑いを浮かべていた。女の子複数に男一人だったので、周りから好奇の目で見られていたのは確かだ。そのことで、ハーレム状態だとか思ってうつつを抜かしていたに違いない。
なので、ちょっとしたお仕置きのつもりだった。私を見てニヤニヤするのもムラムラするのも構いませんけど、他の女の子に囲まれていることでニヤつくのはなんだかムカつきます!
苛立ち混じりに椅子を引き、どっかりと腰を下ろす。
「あ、あれ? 加護さん、もしかして機嫌悪い?」
さっそく、梓さんに気を遣わせてしまった。
「ご、ごめん、なんでもないよ」
やがて、注文しておいた飲み物がテーブル上に揃った。配膳されたカフェオレを一口すすったのち、私から話を切り出す。
「梓さんは、どうしてあんな場所にいたんですか?」
出し抜けな質問だったが、梓さんは笑顔で答えてくれた。
「母さんのところに届け物をする用事があったんだ。そのあとで時間的に余裕があったから、駅前にでも行って暇つぶしをしようかとそう思っていたんだ」
なぜ、こんな所に他校の生徒がいるのかと不思議だったが、これで合点がいった。
梓さんいわく、彼女の親権を巡って、親権者変更調停が間もなく行われるのだとか。まだどうなるかわからないけれども、もしかしたら、母方の籍に移ることになるかもしれないとのこと。
「たとえそうなったとしても、父さんがあたしの父親であることに変わりはない──と思ってはいるんだけどね」
「それは、そうですよね」
どのような結果になったとしても、双方が納得できる形で落ち着いてほしいと切に願う。
「ところでさ、加護さんの通っている学校って、本牧山頂公園の近くにある公立校でしょ? あそこ、結構偏差値高いよね。……頭いいんだ」
梓さんが、瞳を細めて私を見る。
「いえいえ、私なんて、まったく大したことないですよ」
「またまた謙遜して。去年の青校の偏差値、県内の公立校で三番目だったし」
恐縮して背を丸めていると、「それで?」と、梓さんが話題を変えた。
「実際のところ、こういった雑談をするために、声をかけてきたわけじゃないんでしょ?」
「はい、その通りです」
自分の能力の話を他人に告げるとき、信用してもらえるかどうかが最大の障害になる。一度接触をしたことで、私の能力を部分的にとはいえ知っている梓さんがここにいるのは、幸いとしか言いようがない。
「他人の感情がわかるんだっけ? つまり、私か芳香のどちらかに、何か気になることがあるのね?」
そこで「あ、忘れてた」と、一度言葉を切って、梓さんは隣の友人に「ほら、自己紹介」と促した。
「三田芳香です。よろしくね」
瞳が大きくて、活発そうな女の子だ。頭を下げた拍子に、茶髪のポニーテールが楽しげにゆれた。
改めて芳香さんの頭上を見るが、何度確認をしても一年で間違いない。どうしてだろう。こんなに健康そうな見た目なのに。
突然目をそらしたので、芳香さんの顔が怪訝そうなものになる。まずいまずい……いつもの悪癖だ。警戒を解くために、しっかりと目を合わせる。
「私、加護咲夜と言います。よろしくお願いします」
自己紹介を済ませたあとで、明日香ちゃんと先輩を順番に紹介していった。二人が芳香さんに頭を下げた。
「それで、この際なので本当のことを話しましょう。私には、他人の寿命が年数で見えるという特殊な能力があります。そして現在、芳香さんの寿命は極端に短くなっています。それに気がついたので、私たちは今日声をかけました」
能力の特徴について、包み隠さず話していく。寿命が見えること。死因についてはわからないこと。芳香さんが困惑した顔になって、一方で梓さんは、口に手を当て驚いていた。
「へえ……。そういうトリックだったんだ」
「手品じゃないので、タネも仕かけもありませんけどね」
「それは本当のことなの?」
間髪入れずに、芳香さんが質問をぶつけてくる。疑問を抱くのは、むしろごく自然な反応だと思う。
「あたしもね、最初は信じられないと思った」と、梓さんが言う。
「でも、きっと本当なんだよ。彼女が母さんの異常に気づいてくれたからこそ、あたしの母さんは救われたと思うんだ」
「そういや、そんなこと言ってたもんね」
芳香さんがそう呟く。納得したような声で、しかし合点のいかないような顔をしている。真意を探ろうとする目が、こちらに向いている。
「何か悩んでいることとか、困っていることとかありませんか? 自分のことでも、家庭のことでもなんでも良いので」
明日香ちゃんが割り込んでくると、芳香さんは腕組みをして黙考した。
時計の秒針が半周するくらいの間、沈黙が流れた。
「別に何もないかなあ。――あ……ひとつだけあるか」
「何かあるんですか?」
私が身を乗り出すと、芳香さんが「うん」と頷いた。
「私には、みっつ年上の姉がいるんだけど、一ヵ月ほど前からストーカー行為に悩まされているのよね」
「ストーカー行為、ですか?」
「そうそう。姉は一年くらい前から同じ大学の男性と交際をしていたんだけれど、別れ話のもつれから嫌がらせを受けているの。今のところ、大した被害は受けていないんだけれど、あとを着けられたり、無言電話が何度もかかってきたりと、ここのところエスカレートしてきてんのよ」
「そのこと、警察には相談したのかい?」
先輩が、真面目な顔でそう訊いた。
「したよ。――でも、今のところ大した被害が起きていないからって、あまりまともに取り合ってもらえていないみたい。話を聞くだけ聞いて、あとは様子を見ていきましょう、とだいたいそんな感じ」
芳香さんがコーヒーカップに口をつける。自分のことじゃないからか、口調は存外に軽い。
「そんなものなの? 警察はあくまでも犯罪行為を取り締まる組織だから、事件が起こるまでは動けないってことなの?」
明日香ちゃんが、不満げに下唇を突き出した。彼女が憤るのはもっともだ。
「そうかもしれないね……。ストーカー規制法に反した行為ではないと判断され、危険性を認められなかった場合、思うように援助が受けられないんだ。警察に動いてもらうためには、ストーカー被害に遭っていることと、危険性があることを証明するのが必要になるかも」
「他にも、脅迫罪――本人や家族に、危害を加えるぞと脅しをかけること、あるいは、強要罪――脅迫罪に近いけど、脅すことでなんらかの行為を強要する罪、などで裁ける可能性があるけど、その場合も同じで、それが犯罪行為に当たると言えなくちゃならない」
先輩が、私の発言に補足した。
そういうものなんだ、と明日香ちゃんが憤慨した顔でため息を吐く。
「何か起こってからじゃ間に合わないのに、本末転倒だね」
実際、彼女の言う通りだ。
軽めの迷惑行為で留まっているうちは罪に問えないので、警察としても動き辛い。ストーカー規制法に反するだけの動きを相手側が起こせば、警告を行ったり、当該行為を繰り返さないよう、禁止命令を出したりできるのだが。しかし現実には、その段階で手遅れになっているケースもあるだろうし、そうなっては本末転倒だ。
とはいえ、この手の事件には冤罪がかなり多い。対応が慎重になってしまうのはやむを得ない部分があるだろう。
さて、どうしようか。
三田家にまつわる問題点は、今のところこのストーカー被害だけか。ところが、被害者は寿命一年になっている芳香さんではなく、姉のほうなのだ。これは、いったいどういうことなのだろう?
──あ……もしかして?
「ごめんなさい。芳香さんの姉の、え~と……」
私が言いよどんでいると、芳香さんが得心したように手を叩いた。
「あ、姉の名前かな? 優香だよ。三田優香。二十歳の大学生ね」
「その優香さんですが、芳香さんと容姿がよく似ていたりしませんか?」
「……よくわかったね?」
梓さんの顔が、驚きに染まる。
「芳香とお姉さんは外見が瓜二つなんだよ。二人をよく知っている人じゃないと、見分けがつかないかもね」
なるほどね……これで少しは事情が呑み込めてきた。あまり突飛な予測を立てるのはなんだが、頭の片隅に置いておく必要はある。いや、案外と的を射ているかもしれない。
私がうーんと唸っていると、明日香ちゃんがテーブルの下で私の脇腹を小突いてきた。
(これってさ、もしかしてアレだよね。なんて言うんだっけ? こういう事件)
(うん、今のところは憶測でしかないけれど、人違い殺人の可能性がある)
ストーカー被害がさらに深刻なものになった結果そうなるのか、警察が動いたあとで、逆恨みをして凶行に走るのか、動機はいろいろ考えられるが、優香さんと芳香さんを誤認して犯行を起こすのではないか、という推測だ。
もちろん今は可能性の話でしかない。が、この予測が当たっていたとしたら、話は少々厄介だ。
芳香さんに、一応身の回りに注意するよう呼びかけたあとで、今週末、同じ場所で姉の優香さんと会わせてもらう約束を取りつけた。
全員で連絡先の交換を行ったあと、喫茶店の前で解散した。
彼女らの姿が完全に見えなくなってから、いくぶんか気後れした調子で先輩が話しかけてきた。
「なあ、咲夜」
「はい」
「寿命の話なんだけど、極端に短くなっている、なんて伝え方で良かったの?」
「ああ、そのことですか。中途半端な表現かな、とは思いましたけど、過度に不安を抱かせたくなかったもので。さすがに、一年とは言い辛いですよ」
確かに、と彼は頷いた。
「それと、今回の件は、ちょいとばかり厄介かもしれないな」
「そうですね……」
同意した私の声も、自然と沈む。
「ストーカー行為を行っている男が、怨恨から芳香さんを狙うのか、それとも、優香さんと誤認した結果そうなるのか、あるいは、まったくの第三者による犯行なのか。……わからないことが多すぎます」
「可能性を探り、しぼっていくしかないね」
明日香ちゃんが締めくくるように言うと、私と先輩も無言で首肯した。
解決策を導き出せない私たちをあざ笑うかのように、寒々しい夕暮れ時の風が吹く。辺りは次第に、暗くなってきていた。
とにもかくにも、まずは警察に動いてもらわなければ話が始まらないだろう。ストーカー被害をなんとかしなければ、解決の糸口すら見つからない気がする。そのために必要不可欠なのが、被害の深刻さをうったえるための証拠だ。
そう考えた私は、二人と別れた足で単身とある場所に向かう。
三度、あの廃れた電気屋の前にたたずんでいた。




