第9話:聖戦布告 ――福岡県議会の決断と避難命令
――転移3年・冬/法皇国中枢・沈黙の円堂
法皇都イグナティアの地下深く。
窓も聖画もない「沈黙の円堂」で、歴史的な宣告が為されようとしていた。
中央の玉座に座す大法皇エル=マルティスは、静かに立ち上がった。
老いた身体だが、その背は一切曲がっていない。
「奇蹟を拒む者は、救済を拒む者」
「救済を拒む者は、裁きを選んだ者」
静かな声だった。だが、逃げ場はなかった。
「これは侵略ではない。これは支配でもない。神意の防衛である」
「――よって。法皇国は、聖戦状態に入る」
その瞬間、地上の大聖堂で鐘が鳴り響いた。
それは戦争開始の合図ではない。
思想を守るための宣言だった。
* * *
――福岡県庁・危機管理室
それは、静かすぎる朝だった。
「……知事」
差し出した職員の声が、わずかに震えていた。
「法皇国法王庁より、公式文書です」
分厚い羊皮紙。異様な重み。赤黒い血蝋の封印。
それを見た瞬間、福岡県知事・森山は、無意識に息を止めた。
「……開封を」
読み進めるにつれ、知事の顔色が変わる。
異教国家。浄化。聖戦状態。
『悔い改めよ。奇蹟の前に膝を折れ。さもなくば、神の裁きは炎と鉄と血をもって下される。これは交渉ではない。警告でもない。――これは、神意である』
最後の一文を読み終えたとき、森山はしばらく言葉を失った。
「……宗教国家による、正式な宣戦布告、か」
誰も否定できなかった。
「これは……外交問題ではありません」
危機管理室長が静かに言う。
「思想戦争です」
「……議会を、招集してください」
知事の声は、かすれていた。
* * *
――臨時福岡県議会・本会議場
議場は満席だった。
与党である「福岡県共同再建党」と、野党「異界共生連盟」が互いに睨み合っている。
議長が槌を打った。
「これより、緊急案件――法皇国からの聖戦布告に対する対応協議を行う」
ざわめきの中、野党代表が立ち上がる。
「これは誤解です! 対話の余地はある! 武力で応じれば、全面戦争になる!」
与党の若手議員が声を荒げる。
「では聞くが! すでに浄化と称した略奪が始まっている地域があるのを、どう説明する!?」
「これは国家意思としての聖戦布告だ! この文書は、警告じゃない!」
議場中央で、知事・森山が静かに立ち上がった。
「……皆さん」
声は小さい。だが、全員が耳を傾けた。
「私は、政治家です。戦争屋ではありません。しかし――」
知事は、文書を掲げた。
「この紙に書かれているのは、福岡県民を救済の対象から外すという宣告です」
「彼らは、対話の席を用意していない。我々が選べるのは、従うか、守るかだけだ」
議場が静まり返る。
「私は――県民を守る知事でありたい」
「信仰も、思想も、文化も尊重する。だが、子どもが焼かれることを許す自由はない」
野党議員の一人が、ゆっくりと立ち上がった。
「……我々は、対話を信じてきた。だが、対話には相手が必要だ。県民防衛を最優先とする決議に、反対はしない」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、議場全体が立ち上がった。
満場一致。
『福岡県は、県民の生命・自由・生活を守るため、あらゆる防衛措置を講ずる』
* * *
――博多駅・昼下がり
平日の午後。
空は青く、戦争の匂いなど、どこにもない。
そのときだった。
『臨時ニュース速報:福岡県より緊急避難命令が発令されました。対象地域:糸島市全域および周辺農業地帯自治区――』
一瞬、誰も動かなかった。
「避難……? 何の冗談?」
駅構内の大型モニターに、赤い帯が流れる。
『聖戦布告を受け、県境において武力衝突の危険性が高まっています』
駅員の無線が一斉に鳴り始める。
「こちら博多駅、県危機管理室より連絡。混乱防止を最優先、構内放送は段階的に実施」
その声が、現実が始まった音だった。
* * *
――糸島郊外
「こちら県警です! 落ち着いてください!」
農道に入るパトカー。
拡声器の声が、田畑に響く。
「避難命令が発令されました! 指定避難所へ、速やかに移動してください!」
老夫婦が立ち尽くす。
「戦争……なんですか?」
巡査は、一瞬言葉を選び、それでも正直に答えた。
「……可能性が、あります」
県道沿いでは、自衛隊車両の列が、黙々と進んでいく。
そのすべてを覆うように、再びニュースが割り込む。
『速報:福岡県知事と、西糸島防衛司令官・伊藤一佐による初の正式防衛会談が始まりました』
映像が切り替わる。
「県境で、衝突は避けられませんか」
知事の問いに、伊藤一佐は一瞬も迷わず答える。
「不可能です。相手は、思想として来ています。引けば、さらに踏み込んできます」
知事は、拳を握った。
「……県民を、守ってください」
伊藤一佐は、深く一礼した。
「命令がなくとも、守ります」
人々は、ようやく理解し始めていた。
これは訓練ではない。噂でもない。
戦争が、来る。
――第一次西糸島事変、避難開始の日。
本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!
第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
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