第36話:戦争責任条項 ――決裂寸前の会談と江田の覚悟
会議室の扉が閉まった瞬間、外界の怒号は、厚い防音壁の向こうへ押し込められた。
だが――完全には消えない。低い振動のように、空気の底で鳴り続けている。
福岡県庁・異界折衝局(仮称)会議室。
楕円形のテーブルを挟み、二つの世界が対峙していた。
中央に座るのは、局長代理、元・資源回廊交渉班主任――江田 勝。
彼は立ち上がらない。迎賓的な笑みもない。
ただ、視線だけを上げる。
その目は、静かだった。だが、温度がない。
法皇国側の主席、セルジュ=マルティノー枢機卿代行は、その目を見て理解した。
(……これは外交官の目ではない)
(被害を数え続けた者の目だ)
江田の背後には、県警警備部長・鷲尾一史が一歩引いた位置に立っている。
軍(自衛隊)は前に出ない。行政と警察が前に出る。
それが福岡の戦い方だった。
「――ここから先は、福岡県知事名義による、正式な条件提示になります」
江田の声は低く、抑制されていた。
手元の書面をめくる。逃げ場はない。
「第一項。法皇国連合軍は、現在位置より東方へ、追加の軍事行動を行わない」
セルジュの眉が、わずかに動く。
事実上の戦線固定。敗北の確認だ。
「第二項。福岡県側は、収容中の捕虜について、段階的解放を実施する。初回は二十四時間以内」
随行宗教顧問のロレンツォ=ヴァルミーニ枢教補が、小さく息を吐いた。
ここまでは、想定内。
だが――。
「第三項」
江田の声が、一段階、重くなる。
「法皇国側は、原初大奇蹟魔法陣に関する一切の再成就を、即時かつ恒久的に放棄する」
空気が、明確に変わった。
ロレンツォが、椅子を鳴らして立ち上がる。
「――それは、信仰への干渉だ!」
声が荒れる。
「奇蹟は、神の御業だ!それを人の側から放棄しろなどと――」
「座ってください」
制したのは、セルジュだった。低く、鋼のような声。
ロレンツォは反論しかけ――だが、歯を食いしばって座った。
セルジュは江田を見る。
「……これは、停戦条件ではない」
「ええ」
答えたのは、背後の鷲尾だった。
「再発防止条項です」
その一言で、全員が理解した。譲る気はない。
江田は、一拍、間を置いた。
そして、ページをもう一枚、めくる。
「第四項――戦争責任条項」
室内の空気が、完全に凍りついた。
「本件戦争において、軍事侵攻の意思決定および実行に直接的責任を負うと認定された者について。福岡県側が設置する特別軍事審理機関において、戦争犯罪の審理を行う」
ロレンツォが、信じられないものを見るように言う。
「……誰を、裁くというのだ」
江田は、書面から目を上げずに答えた。
「セルディア王国国王 エルバート三世」
ざわり、と空気が揺れる。
「および――聖ラグニア侯国皇太子 イワン=ドルトミール」
完全な沈黙。
ロレンツォの顔色が、目に見えて蒼白になった。
「それは……王権への冒涜だ。神授の存在である王を、地方政権の法廷に立たせるなど――」
「いいえ」
江田が、静かに、だが鋭く遮る。
「個人責任です」
淡々と。
「国家でも、信仰でもない。意思決定を行い、侵略を命じ、大量殺戮を招いた“個人”の責任です。これを曖昧にすれば、戦争は終わりません」
セルジュは、目を閉じた。
(……来たか)
これこそが、福岡側が最後に切るカードだ。
教義主義派が最も拒絶し、穏健派ですら飲むのに血を吐くような条件。
「……受け入れれば、法皇国は割れる」
セルジュの声は、掠れていた。
江田は、否定しない。
「福岡も、すでに割れています」
そう言うと、江田は手元の資料から、分厚い紙の束を一枚、差し出した。
机の上を滑る紙。
その動作に、力はない。だが、恐ろしく重い。
「行方不明者名簿です」
千を超える名前。年齢。住所。発生地点。
十代。二十代。高齢者。
江田は、名簿から目を離さない。
怒鳴らない。机を叩かない。
だが、その瞳の奥には、凍りついた怒りがあった。
個人的な激情ではない。
県庁前の怒号、遺族の涙、議会の決議――それらすべてが、彼の視線に宿っている。
「これを前に、“誰も責任を負わない停戦”は、成立しません」
逃げ道を与えない、静かな圧。
「二万七千人が消えました」
会議室が、凍る。
「その説明責任を、誰かが負う必要がある。責任を個人に帰属させる。国家全体を断罪するためではない。戦争を終わらせるためです」
責任の個別化。
それがなければ、憎悪は集団へ向く。
福岡県民の怒りが「異界人すべて」に向かうのを防ぐための、冷徹な法による整理。
エティエンヌ=ド・クラールが、静かに問う。
「……第四項を拒否した場合は?」
江田は、一拍置いて答える。
「交渉は、ここで終了します。以降は、停戦ではなく、監視下の敵対状態に移行します」
ロレンツォが、息を呑む。
決裂寸前。誰もがそれを理解していた。
セルジュは、ゆっくりと立ち上がる。
「……我々は、即答できない」
当然の言葉だ。
「だが――この条件を、本国に持ち帰ることは、拒否しない」
鷲尾が、小さく頷く。
つながった。だが、蜘蛛の糸のように細い。
「次に来るとき、我々は――法皇国の“答え”を持ってきます」
江田は、静かに応じた。
「福岡も、その覚悟で待ちます」
会談は、中断された。
決裂ではない。合意でもない。
だが、もう後戻りはできない。
この条件を飲むか、内戦覚悟で再び火蓋を切るか。
戦争を「終わらせる」という作業が、いかに血を流すより過酷なことか。
その重圧だけが、交渉室に重く取り残されていた。
物語が非常に緊迫したクライマックスに向かいます。
「正義」のぶつかり合い。
そこで行われているのは、多くの人の「怒り」が詰まったもの。
そこを決着付けるのがいかに難しいか。
物語は、佳境へ向かいます。
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第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
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