第31話:制圧 ――時田の膝蹴りとアウトレンジの証明
――ゴォォォン……。
法皇国聖都、地下五層。
空間そのものが打ち鳴らされるような荘厳な鐘の音が響き渡り、七色の裂け目から一つの球体が零れ落ちた。
宝石のようでいて星の残骸のようでもあるそれは、地に触れると同時に“解け”、中から鉄の冠を戴いた赤黒い人型の存在を現出させた。
皮膚は腐肉のように裂け、内側からは戦場で朽ちた獣の骨と、鈍く濁った血の光が覗いている。
その足元から、剣と血と錆の匂いがゆっくりと地底回廊を満たしていく。
――エリゴル。
存在はゆっくりと首を巡らせ、恐怖に凍りつく大法皇や枢機卿たちを等しく見下ろした。
その視線には敵意も慈悲もなく、あるのはただ、冷徹な「観測」のみであった。
「――兆されし径は、断たれ、なお続く」
「――剣を選べ。あるいは、剣に選ばれよ」
「――我が力、汝らの争いに貸し与えん。ただし、その帰結を知る資格ある者のみに」
空間を震わせる宣告を残し、エリゴルは《原初大奇蹟魔法陣》の跡地へと、溶けるように沈んでいった。
地下六層、さらにその下。人知の及ばぬ深淵へと。
* * *
同時刻、糸島。
砦中央に描かれていた《原初大奇蹟魔法陣(プロト・ミラクリオン)》は、もはや固く踏み固められた地面に彫られた、意味を失った溝でしかなかった。 青白い光は消え、渦巻いていた灰褐色の泡も影すら残っていない。
三浦慎吾は、その中央付近に胡坐をかいて座り込んでいた。 すぐ横では、白目を剥いたまま仰向けに転がっている後藤零がピクリとも動かない。
「……なんか、終わったみたいね」
三浦は独りごちるように呟き、ポケットをまさぐって安物の百円ライターを見つけ、カチリと火を点けた。
その瞬間だった。
「三浦のおっさーーーん!!」
場違いなほど甲高く、やたら元気な声が響く。 振り向く暇もなく、次の瞬間――
「何こんなとこでサボってんねん!!われぇぇ!!」
ゴンッ!
時田渚の全体重を乗せた膝蹴りが、三浦の顔面に直撃した。
「ぐげっ!!」
情けない声と共に、三浦は後方へひっくり返る。
「渚ちゃん!!」
慌てて駆け寄ったのは遠山えりこだった。
「ちょ、ちょっと!何してんの!」
「だって、えりこさん!!私らがさっきまで、あんなキッショいピエロと命がけでやり合ってた時に!こいつ、タバコ吸ってサボってたんですよ!?」
時田は完全にキレていた。
「そりゃ……事情ってものが……あるでしょ……?」
「ない!!」
時田は矛先を変える。
「このリアル厨二病!!なんでここで白目剥いて寝てんのよ!!」
白目の後藤に、容赦なく蹴りを入れようとする。
「待って待って!!その子、今は刺激しちゃダメ!!」
「刺激!?これ刺激なの!?ただの躾ですけど!?」
後方では、案内してきた古里美香が完全にドン引きした顔でアタフタしていた。 「と、とりあえず……落ち着いてください時田さん……制圧は……もう終わってますから……」
「終わってるなら、なおさら許せん!!」
「渚ちゃん!!」
遠山がぐっと声を強める。その声に時田は舌打ちし、
「……チッ。えりこさんが言うなら、今日はこのくらいにしといたるわ」
と息をついた。
* * *
その頃、砦内部には後続の自衛隊・異界特殊作戦群の突入部隊が流れ込んできていた。
「――デルタ、北側クリア」「アルファ、中央部確認。魔法陣は機能停止」
法皇国側に、もはや魔法戦力はない。聖魔導士たちは力なく座り込み、抵抗する気力すら残っていなかった。
血と泥にまみれた砦の中庭。 百田遊里二等陸士は、高木に簡潔に報告した。
「百田。投降兵の拘束、完了しました」
「了解。あとは、あの二人を異界特殊作戦群に引き渡したら任務終了だ」
高木は、簡易担架に横たえられているイワン=ドルトミールとフランシス=マリウスに冷淡な目配せをした。
その時、簡易テントの前に一台の高機動車が滑り込むように停車した。
「高木班長」 降りてきたのは、柳美緒三等陸曹、金山健一郎、そして潜入員の島本修二一等陸曹だった。
「例の魔法陣は……止められたんですね」
柳の声は落ち着いていたが、表情はどこか浮かない。
「見えたものが何だったのかは、これから分かる」 高木は短く言った。
「今は、無事に任務を終えたことだけ考えろ」
「あー、もう終わっちゃってる?」
軽い声が割り込んだ。駆け寄ってきたのは、倉田隆俊二等陸士だった。ヘリからの降下を終え、合流地点へ走ってきたのだ。 「遅いよ」 百田が少しだけ砕けた調子で言う。
「これでも、全力で来たんだけど。でもさ、上から、よく当てたよね」
百田が笑いながら倉田の背を叩く。倉田は照れたように笑った。
――その時だった。
「ガッガッ」と、捕虜収容用の簡易テントの奥から、不気味な電流音が響いた。
次の瞬間、紫の法衣マントを翻しながら、一人の男が飛び出してくる。
ベルド修道士魔導士長――フランシス=マリウス。
気絶から覚め、魔力で拘束具を焼き切ったのだ。無差別に魔力弾が放たれる。
「百田!確保!」
高木の指示と同時に、百田の足が地を蹴った。 一瞬で間合いを詰め、逃走を図るフランシスの背後に迫る。
「――神託に従いし修道の紋章よ……」
フランシスの転移詠唱は、すでに始まっていた。
「……転移魔法!」
百田が手を伸ばし、フランシスが纏う《聖架転送宝具(サクラ・ポンティファス)》――紫のマントを力任せに鷲掴みにする。
ブチブチと布が裂け、留め具が弾け飛ぶ。 百田はマントを完全に引き剥がした。
だが、次の瞬間。
紫の光の渦がフランシスを包み込み、彼の身体だけが空間から消え去った。
「くそっ!」
百田の手には、紫のマントだけが残された。
「10時方向!距離、約1キロ!」
柳が即座に叫ぶ。
「行け、ナイト・ランナー!」
金山が影を放つ。だが、距離が遠すぎる。
「追いつく前に逃げられる!」
その瞬間だった。
「……倉田!」
高木が言った。
「《《これで》》」
近くの隊員から9mm拳銃を引き抜き、倉田へ向けて投げる。 倉田はそれを片手で受け取ると、迷いなく膝を立て、中腰の射撃姿勢に入った。
「拳銃だぞ!?距離的に無理だ!」
島本が思わず声を上げる。
「正確な位置は……このイメージで」
柳が倉田の腕にそっと手を添えた。
その瞬間、青白いマジック粒子の波が、静かに二人の間を走る。
倉田の視界に、1キロ先の空間の歪みと、そこに出現するであろう人体の座標が、一枚の図として浮かび上がる。
倉田の呼吸が、完全に整った。
「任せてください」
パン。パン。
二発。
夜空に向けて放たれた弾丸は、あり得ない放物線を描いて闇の中へ吸い込まれていく。
――――
ヌルリ、と1キロ先の空間が歪む。 フランシスが再出現し、着地しようとした瞬間だった。
ドン。 右太ももに強烈な衝撃。 次の瞬間、二発目が左太ももを正確に貫く。
「……あ、ぐぁっ!?」
崩れ落ちる身体。
「……どこから……? 距離が……」
答えは来ない。
追いついた金山の影がフランシスに絡みつき、容赦ない電撃が走る。 魔導士長の意識は、そこで完全に暗転した。
――――
数分後。両太ももを撃ち抜かれたフランシス=マリウスは、異界特殊作戦群によって無事に確保された。
致命傷となる動脈は、信じられない精度で完全に外されていた。
「……拳銃で、か」
島本一等陸曹が、呆然と呟く。
「たまたまです」
倉田は、肩をすくめて軽く笑った。
だが、その言葉を信じる者は、この場に誰一人としていなかった。
巨大砦の陥落。 夜は、静かに明け始めていた。
生き残った者たちがそれぞれの朝焼けを見つめる中、戦争は軍事の領域から、最も過酷な「政治と外交」の戦場へと移ろうとしていた。
本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!
第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
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