第32話:決着の報告と、掃討戦への移行
前線指揮所の空気は、まだ張り詰めていた。
だが、先刻までのそれとは質が違う。 爆音は遠のき、無線の交信は整理され、報告は「悲鳴」ではなく「結果」になり始めている。
西糸島防衛隊司令・伊藤孝之一等陸佐は、地図盤の前に立ったまま、ヘッドセット越しに流れてくる報告を一つずつ受け取っていた。
「――砦外縁部、第一突入班。制圧完了。抵抗勢力、掃討済み。敵指揮系統、機能停止を確認」
短く、余計な感情のない報告。 それが何よりの証拠だった。
「了解。第一突入班は現位置確保。後続部隊の展開を待て」
伊藤の声もまた、平板だった。 だが、内心では、確実に手応えを感じている。
――崩れ始めている。
砦の防衛線は、単なる物理構造ではない。 魔術的結界、地脈制御、異形存在の補助――それらが一体となった“体系”だった。 その体系が、今、瓦解している。
「第二班より。中央部周辺、敵性反応低下。結界干渉、著しく減衰」
「第三班。《夜走り》反応消失。再出現なし」
伊藤は、無言で頷いた。
――核が、止まった。
中央の“何か”が失われたことで、末端の浄化部隊――いや、浸透部隊は、もはや統制を保てない。
「……これで、他の浸透線も持たんか」
誰に聞かせるでもなく、伊藤は呟いた。
砦は拠点だ。 象徴であり、供給源であり、精神的支柱でもある。 その砦が落ちるということは――この戦域に展開していた“浄化”の名を持つ部隊群が、一斉に浮き足立つことを意味する。
逃げる者。隠れる者。 あるいは、制御を失い自壊する者。 いずれにせよ、もはや組織だった抵抗は続かない。
「各班へ通達。掃討段階へ移行。敵性個体の無力化を最優先、捕縛可能な者は生け捕りを徹底」
指示を出し終えた、その時だった。
――割り込むように、通信が入る。
「こちら高木。重要人物の確保を報告する」
その声は、あまりに淡々としていた。 伊藤は、瞬時に察する。
「……確認する。対象は?」
一拍。ほんのわずかな間。
「イワン=ドルトミール。生存、身柄確保。抵抗能力、喪失状態」
それだけだった。 勝利を誇るでもなく、戦果を強調するでもなく、ただ事実を並べただけの報告。 だが、その名前が持つ意味は、あまりに大きい。
伊藤は、深く息を吐いた。
「了解した。そのまま確保を維持。後続に引き渡せ」
「了解」
通信が切れる。
指揮所のざわめきが、一段階、低くなる。 伊藤は地図盤を見下ろし、砦の中心に引かれた赤線を、静かに指でなぞった。
――これで終わる。 少なくとも、この戦域は。
イワン=ドルトミールは、単なる指揮官ではない。 彼は“核”であり、“鍵”であり、この異形の作戦そのものだった。 それを失った浸透部隊が、もはや連動して動けるはずがない。
「……よし」
伊藤は、誰にも聞こえない声で言った。
「これで、西糸島は守り切った」
戦闘は、まだ完全には終わっていない。 だが――勝敗は、すでに決していた。 前線指揮所の時計が、静かに次の分を刻んだ。
***
――陸自・野営キャンプ/前線本部
砦の火煙は遠のき、代わりに発電機の唸りと冷たい夜気がキャンプを支配していた。
高木弘は、焚き火の爆ぜる音を聞きながら、静かにその男を待っていた。
「高木班長。お待たせしました」
暗がりの向こうから、古里美香が姿を現す。潜入時の地味な外套は汚れ、短く切った髪には煤が混じっていたが、警備局外事課員としての鋭い目だけは、一仕事終えた後の冷徹さを湛えていた。
彼女の背後には、金髪で痩せた顔の男が一人。
男の身なりは整っていたが、その瞳には逃げ切れなかった時間が泥のように溜まり、深い疲労が刻まれている。
「ハインリッヒ=ラドミール側の間者です。――身柄、予定通り確保しました」
高木は、その男を無言で一瞥した 。
感情を読み取らせない、砥石のように鋭い視線。
男は、高木が放つ圧倒的な威圧感に気圧されたように、小さく息を吐いた。ここが、長い潜入と逃走の終着点であることを悟ったのだろう。
高木は男と言葉を交わすことなく、胸元から簡易通信機器を取り出した。
短い呼び出しののち、相手が繋がったことを確認する。
「……鷲尾部長」
ノイズ混じりの声が返る。高木は淡々と、しかし確実に事実だけを告げた。
「接触しました。――ええ、例の男です。あとは、そちらに引き渡します」
話し終えると、高木はそれ以上の言葉を待たずに通信を切った。
夜空には、昨夜の狂乱をあざ笑うような静かな月が浮かんでいた。
本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!
第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
順次、公開予定です! 面白かった! 続きが気になる! と思っていただけましたら、ページ下部より☆☆☆☆☆の評価とブックマークをよろしくお願いいたします。作者の執筆スピードが(魔法ではなく物理的に)加速します!




