第29話:理合
――砦・中央部/青白の奔流の先
高木弘はインカムの通信を切った。
背後から――いや、背中を貫いて前へ抜けていくように、青白いマジック粒子の奔流が流れている。高木は、その流れを背で受けながら、ゆっくりと視線を正面へ向けた。
渦の先に、いる。
聖ラグニア侯国皇太子イワン=ドルトミール。
ベルド修道士会魔導士長フランシス=マリウス。
そしてその周囲を固める、魔力で身体強化された五十名以上の近衛兵団。
「イワンと魔導士は、私が相手をする」
高木は抑揚のない声で告げた。
「君は、周囲の近衛を頼む」
「了解」
百田遊里がアーミーナイフを逆手に構え、短く返す。
次の瞬間――百田の左足が地面を蹴った。
消えた。
それが近衛兵たちの最初の認識だった。前列の兵の盾が内側から叩き折られ、衝撃で身体ごと後方へ吹き飛ぶ。
「囲めッ! 距離を取るな!」
「密集陣形だ! 三列で抑えろ! 個別に追うな、面で潰せ!」
近衛兵団長の怒号が飛ぶが、百田は止まらない。
盾の縁を踏み台にして跳び、剣の“下”を滑り込むように抜ける。人間の可動域を無視した角度。金属が軋み、剣が弾かれ、体勢が崩れた刹那に鎧の継ぎ目へ刃が差し込まれる。
「……速すぎる……!」
誰かの声が、次の瞬間に喉で潰れる。血飛沫が舞う。
五十名の重装兵が、たった一人の華奢な女性自衛官によって、為す術もなく削られていく。
その戦闘を横目に――高木は、すでにイワンの間合いに入っていた。
踏み込みは音もなく、意識が動くより早く、身体が前へ出ている。
神速。鞘から刀が抜かれると同時に、斬撃。
――キィン!
甲高い音が弾ける。
高木の刃は、イワンを覆う《幻樹武装・アラストラ》の分厚い表層で阻まれた。だが、高木の表情は変わらない。
「ほう……そこから詰める速度……なかなかのものよ」
イワンが口角を歪める。だが、その言葉が終わるより早く、高木はもう刀を鞘に納めていた。抜いて、斬って、納める。すべてが、一息。
「――詠唱、重ねる!」
背後のフランシスの唇が、滑るように秘儀の言葉を紡ぐ。空間が軋み、マジック粒子が凝縮して青白い光が黒い影を孕む。
「《聖雷秘儀――ヴォルティクス・カタストロフ》!」
雷ではない。雷を内包した“檻”。
幾重にも重なる電磁の環が、高木の足元から天へと立ち上がる。
「今です、殿下!」
フランシスの声に呼応し、イワンの《幻樹魔剣ジュブエール》が異様な鳴動を発した。刀身から木枝の幻樹が一斉に伸び、時間差で咲く無数の“斬撃の芽”が空間そのものに根を張る。
「《樹界奥義――千裂森葬》!」
前後左右、上下すべてからの不可避の波状攻撃。
イワンは、勝利を確信した。
だが。
高木は、静かに息を吐いた。目を閉じる。
激動する魔力の嵐の中で、彼一人だけが「無」へと沈んだ。
それは剣道の、あまりにも基本的な所作。
――構え直し。
世界の音が、すっと遠のく。呼吸が凪ぐ。
高木の周囲だけ、時間の密度が変質したかのように静まり返った。
次の瞬間。高木は、雷の檻が閉じる“前”に、静かに踏み出していた。
動。
落雷が石床を砕くが、そこにはもういない。
斬撃の芽が空間を埋め尽くすが、高木は既にその「隙間」を通り過ぎている。
すべてが、半拍遅い。
予測ではない。反応でもない。
「因果の確定」――。
次に起こる「結末」を先にシステムへ書き込んだ者の動き。
「……な……」
イワンの喉が、ひくりと鳴る。
このとき、彼は初めて理解した。――死は、すでに通り過ぎていたのだと。
高木の刀が、抜かれる。
一太刀目。
抜き放たれた刃が、空間を断ち切る鋭い風切り音さえ置き去りにして奔る。
峰。
フランシスの詠唱が途中で断ち切られる。顎下に正確に、脳を揺らす衝撃だけが走り、魔導士の身体が操り糸を切られたように崩れ落ちた。
二太刀目。
一歩。その踏み込みが、物理的な距離を無視してイワンの懐を侵食する。
踏み込み。体捌き。間合い。
剣道の理合そのままに放たれたそれは、もはや斬撃というより「決定事項」だった。
胸。
しかし深くは斬らない。
刀身が放つ凄まじい「重圧」が、《幻樹武装》の因果律を内側から粉砕する。
バキ、という、硬い結晶が砕けるような絶望的な音が響いた。
イワンの身体が大きく弾き飛ばされ、背後の壁に激突する。
ドサリ、と鈍い音。剣が床に転がる。
高木はすでに刀を鞘に収め、無表情のまま、静かに立っていた。
仰向けに倒れたイワンは、天井を見つめていた。
遅れてくる、自分が負けたという実感。血の匂い。剣を握れない手。
「……ば、かな……」
その言葉は、誰にも届かなかった。
高木の周囲には、ただ静寂だけが戻っていた。
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第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
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