第28話:目撃された生贄と、奇蹟壊しの暴走
――救出作戦という名の「目撃」
瓦礫と土嚢の隙間を抜け、三浦慎吾と後藤零、そして特殊作戦群の隊員たちは、地下へ続く簡易拘束区画へ踏み込んだ。
一歩、足を入れた瞬間に分かる。空気が違う。
湿った土と、金属と、薬品。そして――どこか甘く、腐敗に近い匂い。
後藤は無意識に胸元を押さえた。心臓の鼓動が、ひとつ遅れて聞こえる。
「……市民、発見」
特殊作戦群の隊員が、抑えた声で告げる。
簡易ベッドが無秩序に並んでいる。横たえられた人々は皆、眠らされていた。口元には呼吸用の布、腕と足首には拘束具。
だが、それは保護ではない。整えられている。
角度、間隔、向き。まるで――使う順番を待っている部品のように。
「……数が、多すぎるな」
三浦の声は低い。刑事としての感情を押し殺した、乾いた響きだった。
そのときだった。
「……おねがい……」
ほとんど空気が震えただけのような、かすれた声。
後藤が、反射的に振り向く。ベッドの一つで、女性が目を開けていた。
女性は、三浦ではなく――後藤を見ていた。
「……あの子を……あの子を、助けて……」
指先が、震えながら、奥を指す。
後藤は――見てしまった。
拘束区画のさらに奥。壁際に設えられた、簡易的な木製の枠。
そこに――子供たちが、並べられていた。
はりつけ、だった。
手首と足首が固定され、首は前に垂れている。
その足元を、青白い魔力が流れていた。細い、細い線。血管のように床を這い、大魔法陣の方向へ伸びている。
吸われている。生きたまま。
後藤の喉が、ひくりと鳴った。
そして、その先。大魔法陣の中心部。
円の中央に、積み重ねられた――遺体。
布もかけられていない。手足の向きが揃えられ、まるで素材の保管のように置かれている。
儀式の“材料”。
その言葉が、後藤の頭の中で、意味を持ってしまった。
「……生贄……?」
ベッドの上で、女性が身をよじる。
「お願い……! あの子だけでいい……! 連れて行かないで……!」
後藤の中で、何かが倒れた。
英雄願望。怖いもの知らず。「自分なら何とかできる」という、根拠のない自信。それらが、一気に押し潰される。
「……零」
三浦が名を呼ぶ。だが、返事はない。
三浦は一歩、後藤の前に立ち、自然に視界を遮る。
「……見るな」
それは命令ではなく、必死な大人の声だった。
だが、後藤の瞳は、まだ向こうを見ていた。理解してしまったからだ。
ここは、戦場じゃない。敵を倒せば終わる場所じゃない。
――間に合わなかった世界だ。
その事実が、十四歳の心に、深く、静かに沈んでいった。
* * *
――遠くで“感じてしまう者”
元民家の中で、柳美緒は突然、膝をついた。
「……っ」
息が、詰まる。内臓の位置が、一瞬ずれるような感覚。
魔法陣の方向から、感情とも情報ともつかない“濁流”が、遮蔽物も距離も無視して、直接、意識へと流れ込んでくる。
怒り。恐怖。絶望。
集団の感情。その中に、幼い波形が混じっている。「怖い」「いたい」「お母さん」。
そして――その感情の渦の“中心”に、別の波が触れた。ひときわ不安定で、鋭く、今まさに限界へと踏み込もうとしている精神。
「……後藤くん……?」
名を口にした瞬間、柳の中で、理解が完成してしまった。
後藤零が、見てしまった。ただ見ただけではない。“知ってしまった”。
子供たちが、どう扱われていたか。何のために、そこに並べられていたか。
そのすべてが、後藤の精神を通過し、未処理のまま、反転し、外へ漏れ出している。
「……まずい……」
声が、かすれる。
見てはいけないものが、見られてしまった。
しかも、後藤の能力は――それを“遮断する”側ではない。壊す側だ。
大魔法陣が完成すれば、それは世界を連結する“共振器”になる。感情も、意志も、記憶も、“魔力”という形で増幅し、循環させる装置。
もし――その中心で。
生け贄となった子供たちの恐怖と、それを真正面から受け止めてしまった壊れかけの精神が、触れたなら。
柳の背筋を、冷たいものが走る。
それは、戦闘の予感ではない。破局の予感だ。
(……間に合って……)
遠くで、確かに。“感じてしまった者”が、そこにいる。
* * *
――兆しは、同時に
青白い光が、最初に変わったのは――床だった。
拘束区画跡。水が流れるように、魔法陣へ向かうはずのマジック粒子が、進路を乱し始める。
「……?」
三浦は、足元の石床を見た。
細い光の筋が、流れている。風のように。水脈のように。
しかも――速い。
「後藤……?」
返事はない。後藤零は、立ったまま動かなかった。視線は前方。だが、何も見ていない目だった。肩が、小さく震えている。
(……戻せない)
(助けられなかった)
(分かってしまった)
(なのに――何もできない)
理不尽。説明不能。納得不能。
世界が、間違っている。その認識だけが、感情を置き去りにして、膨張していく。
後藤の周囲だけ、マジック粒子の流れが――渦を巻いている。
「……おい、零」
三浦が名を呼ぶ。だが、その声は青白い流線の中に溶けた。
怒りでも、悲しみでもない。“戻らない現実”への拒絶。
それが、加速の引き金になった。
* * *
同時刻。砦外縁・民家潜伏地点。
「……見える」
島本が、思わず声を漏らす。窓の隙間から、砦中央方向に向かって――青白い風が立ち上っていた。
「マジック粒子が……流れてる? いや……流れが速すぎる」
「金山さん……!」
柳が叫ぶが、金山は答えない。
影が、地面を這っていた。複数。通常の倍以上。
「……くそ……!」
地脈を切断しても、すぐ別の流路が形成される。一本切れば、二本湧く。二本切れば、束になって流れ込む。
「こんなの……想定外だ……!」
影越しに伝わる感覚が、急激に変質していく。量ではない。速度だ。
「……誰かが……加速させてる」
柳の声が、低くなる。
* * *
同時刻。砦回廊・中央部へ向かう途中。
高木弘と百田遊里は、回廊の石床を踏む歩調を、ぴたりと揃って止めた。
「……班長。何か、ありましたか」
「……加速しているな」
高木は目を伏せたまま、淡々と言った。
「マジック粒子、ですね。集まってきている感じです. 中央方向へ」
「正確には、引き寄せられている。イワンの動きじゃない」
断定。迷いのない否定。
高木は回廊の先、砦のさらに奥――中央部の“先”を見ている。
「……後藤だ」
名前が落ちた瞬間、回廊の壁面を、青白い光の筋が一条、すっと走った。
それは魔法発動の兆候ですらない“前段階”。
「……班長。この反応……規模が読めません」
「読めなくなったんじゃない。……ここから先に行っただけだ」
高木は、静かに告げる。
「……進む。中央へ向かう。イワンも、後藤も……そこに至る」
* * *
同時刻。砦内部・主回廊分岐部。
ガベルが道を開け、蒼盾槍兵団が矛を収めたばかりのその場所で。
警戒しながら歩き出そうとしていた時田渚と遠山えりこは、足元の異変に息を呑んだ。
「……あれ?」
梁の上で、ガベルが首を傾げる。
流れているはずのものが、流れていない。彼が配置した兵たちの維持に回るべきマジック粒子が、前線へ届く前に「攫われて」いる。
「これは……誰かが……“源”を、掴み始めてる」
ガベルは仮面の奥で笑った。
これは、実験対象ですらない。事故だ。彼が想定していた「物語の結末」を、さらに外側から塗り替えるような、圧倒的な不条理。
時田も、遠山も、その空気の変化に足を止めた。
遠山の《絶対空間防壁》の足元が、波打っている。外からの攻撃ではなく、内側の地面を走る奔流に、存在を否定されているかのような感覚。
時田は、構えた指先から力が抜けるのを感じた。
全員が、砦の中央を見ていた。
「何かが、始まってしまった」という事実だけが、戦場を静かに侵食し始めていた。
* * *
同時刻。西糸島防衛隊・前線指揮所。
伊藤一佐は、指揮卓の前に立ったまま、報告を聞いていた。
「司令……内部からの追加報告です。砦内部で、マジック粒子の挙動に顕著な変化が確認されたとのことです。流れが、視認可能なレベルになっていると」
伊藤は顔を上げた。
「原因は」
「不明です。敵性魔法反応とも、既存の防壁崩壊とも一致しないとの分析です」
「……高木班からは?」
「現時点で定期報告、緊急通信ともにありません。回線自体は生きています」
伊藤はインカムを取り上げる。
「こちら、西糸島防衛隊司令。全隊に通達。現時点をもって、砦内部の状況は“未確定要素あり”と再評価する。各部隊、独断での前進を禁止」
そして、静かに告げた。
「対魔法特化隊第1班については、こちらからの追跡・干渉は行わない。高木は、必要な時に、必ず動く」
* * *
同時刻。糸島上空。
倉田隆俊二等陸士は、ヘリのハッチから身を乗り出していた。
眼下には砦。煙。そして、目に見えるマジック粒子の奔流。
「銃身、限界点に達した。これ以上のアウトレンジ射撃は不可能」
南里技官の言葉に、倉田は頷いた。
「了解です」
インカムが鳴り、降下命令が出る。
「倉田二等陸士、降下する」
「行ってこい」
倉田はためらいなく踏み出す。
重力が、身体を掴む。その瞬間――空気の流れと、粒子の流れと、地上のすべてが、彼の中で一本の線として繋がった。
* * *
同時刻。原初大奇蹟魔法陣・聖別域。
司祭長補佐エルンスト=カイゼンは、石床に跪き、震えていた。
眼下に広がる青白く輝く円環。その外周に沿うように、幼き子らが磔刑の姿で固定されている。
「……これが……奇蹟……?」
その瞬間だった。
《原初大奇蹟魔法陣》が――一段、強く輝いた。
魔力を帯びた奔流が宙を走り、中心部へと雪崩れ込んでいく。
円環の中心には、無造作に積み上げられた生け贄の亡骸があった。
エルンストは、顔を上げた。次の瞬間、息が詰まる。
「……魔力が……滞留して……渦を……」
青白かった渦が、灰褐色へと変じていく。
禁書庫で目にした記述。――負の印。
「……これは……奇蹟ではない……」
灰褐色の渦が、爆発的に拡大した。
円環に立つ聖魔導士が、悲鳴を上げる暇もなく渦に呑まれ、存在そのものが吸い取られるように消える。
「……喰っている……魂を……!」
エルンストの全身を恐怖が貫いた。
青白き円環の中心で、灰褐色の渦は、なおも膨張を続けていた。
* * *
――救出区画/因果の逆流
青白い光が、最初に変わったのは――床だった。
水が流れるように、魔法陣へ向かうはずのマジック粒子が、本来の進路を乱し始める。
後藤零は、立ったまま動かなかった。
視線の先にあるのは、かつての「日常」が無残に解体され、ただの“材料”として積み上げられた地獄だ。
(……戻せない)
(助けられなかった)
(分かってしまった)
理不尽な現実への、猛烈な「否定」。
十四歳の少年の中で、受け入れがたい絶望が限界を超えて膨張し、ついにその内側で爆発した。
「うわぁぁぁぁ――ッ!!」
喉が張り裂けるような咆哮。
その瞬間、後藤を取り巻くマジック粒子が、物理法則を裏切るように反転した。
青白かった光は、世界を侵食するような不気味な灰褐色へと変色し、渦を巻いて空間を削り取り始める。
意識が遠のく。
薄れゆく視界の奥で、きらめく幾何学模様が激しく変容し、巨大な“門”のように後藤を見下ろしていた。
神性とも、怪物ともつかぬ「それ」が、少年の魂を呼び寄せる。
三浦慎吾は、異変に気づくと同時に、迷わず手を伸ばした。
渦に呑まれゆく後藤の肩を、力任せに掴もうとした、その時――。
『――全にして一――』
荘厳でありながら、脳髄を直接汚染するような忌まわしき響き。
人知を超えた神性の声が、三浦の意識を貫いた。
直後、灰褐色の奔流が爆発的に拡大し、後藤と三浦の姿を跡形もなく飲み込んだ。
二人のいた空間は真空のように静まり返り、残されたのは、沈黙だけだった。
本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!
第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
順次、公開予定です! 面白かった! 続きが気になる! と思っていただけましたら、ページ下部より☆☆☆☆☆の評価とブックマークをよろしくお願いいたします。作者の執筆スピードが(魔法ではなく物理的に)加速します!




