第27話:簡易監視塔の急襲と、未完の円環
――簡易監視塔 ―― 崩れる統制
簡易監視塔の上段。粗末な木組みの床が、遠くの爆音に合わせて微かに震えていた。
「……またか」
イワン=ドルトミールは、苛立ちを隠そうともせず舌打ちする。
砦内部に、敵が“降ってきている”。
そう報告を受けたのは、つい先ほどだ。しかも一方向ではない。複数箇所――まるで、最初から内部構造を知り尽くしていたかのような急襲。
「ヴァーレンはどうした」
問いに、答えはない。
騎士団長ヴァーレン。重騎士団を率い、正門から出立した直後――忽然と消えた。
それを境に、砦は壊れ始めた。統率は崩れ、命令は届かず、兵は右へ左へと走り回る。
夜空を裂く光。
――矢ではない。
天空から落ちてくる、細く、鋭い光の線。ベルド修道士が、次々と射抜かれて倒れていく。
「……あり得ん」
魔法防御結界が、弱まっている。
展開は維持されている。だが、確実に“穴”が生じ始めている。砦の外では、福岡側の猛烈な爆炎が上がり、簡易外壁はいつ破られてもおかしくない。
だが、肝心の――。
「《原初大奇蹟魔法陣》はどうした!」
聖魔術士からの発動報告は、ない。
イワンは、神の護符を強く握りしめた。歯ぎしりが、音を立てる。
「……神よ。なぜだ」
そのとき。
――下が、騒がしい。
悲鳴。金属音。何かが、確実に“こちらへ近づいてくる”。
階段を駆け上がる足音。直属の騎士侍従長が、息を切らして現れた。
「イワン閣下! 直ちに退避を! 福岡の兵士が――」
言葉は、途中で途切れた。
影が、閃いた。
目にも留まらぬ速さ。鎧の継ぎ目。喉元。ナイフのような刃が、正確に走る。
侍従長は、声を上げる暇もなく崩れ落ちた。
「――なっ!」
イワンは反射的に動く。腰の愛剣、片手剣を抜き放つ。
次の刹那。突進してきた影の刃を、剣身で受け止めた。
金属が噛み合う音。火花。間合いが、離れる。
そこに立っていたのは――迷彩服を纏った、若い女。
百田遊里だった。
「福岡の兵か!」
問いに、答えはない。女は、短いナイフを構えたまま、再び踏み込む。
華奢な身体から放たれるとは思えぬ斬撃。速い。重い。純粋な速度と、力の暴力。
イワンは、直感する。
(――只者ではない)
数合。斬り結ぶたび、床が抉れ、空気が裂ける。
百田は、間合いを詰め、押し切ろうとする。イワンは、舌打ちし、短く詠唱した。
「――《幻樹武装・アラストラ》」
ジュブエールの剣身から、白銀の産毛を蓄えた木の枝のような魔術構造体が伸び、イワンの右腕へ這いずるように絡みつく。それは寄生植物が獲物を飲み込む瞬間に似ていた。魔力が注ぎ込まれると、剣は脈動を始め、周囲の空間を淡い燐光で塗り潰していく。
「小娘が……この《幻樹魔剣ジュブエール》を使わせるとはな」
周囲の景色が、万華鏡を覗いたように歪んだ。
イワンの背後から、透き通った巨木が芽吹く。それは神話の情景のように美しく、同時に、見る者の脳を掻き乱すほどに禍々しい。
イワンの姿が、揺らぎ、増殖した。一体、二体。
どれもが実体に見え、どれもが陽炎のよう。幻像の枝が空を薙ぐたび、甘い花の香りと、神経を逆撫でする死の気配が混じり合う。
「お前で五人目だ」
百田は、迷わない。分裂したイワンへ、片っ端から斬撃を叩き込む。
幻像が砕け、だが、次の幻像が迫る。
「力技で、幻惑を破るつもりか!」
イワンの叫び。幻惑は、何重にも重なり、百田を包囲する。
剣戟。金属音。百田の動きが、わずかに鈍る。
その瞬間。
――背後。空間に、縦の切れ目が入った。
布を裂くような、生理的に不快な音。そこから、ぬるりと現れる白髪の男。
ベルド修道士連合・魔導士長、フランシス=マリウス。
「……」
詠唱は、ない。右手から、雷撃が放たれる。
百田は反射的にナイフで受け止めるが――電撃。
「っ――!」
衝撃に、後方へ弾き飛ばされる。
「ほう。我が雷撃を受け、無事とは」
フランシスが、感心したように呟く。そしてイワンの背後で、首を垂れる。
「閣下。お迎えに参りました」
「うむ。この小娘、手練れだ。侮るな」
「承知」
フランシスは顔を上げ、上目遣いで、再び笑った。
そのとき。百田の背後。空気が、冷える。
そこに――いつからいたのか分からない男が立っていた。
高木弘。
ゆらり。生気の感じられない立ち姿。まるで、そこに“現れた”のではなく、最初からそこにいたかのように。
イワンとフランシスが、目を細める。
「大人しく投降するなら、命は取らん」
高木が、静かに言う。左手の日本刀を、ゆっくりと抜く。
「何をほざく。たかが小娘と、お前二人だろ」
「もう一度言う。ここで投降すれば、命までは取らん」
抑揚は、ない。
百田は、後ろへ下がりながら、ゾッとした。殺意ではない。覇気でもない。
――無。
床を滑るように、高木は一歩、前へ出る。構え。静止。それだけで、死の匂いが、満ちる。
気圧される、イワン。反射的に、右手のジュブエールを掲げた刹那。
ヒュン。空間が、切れた。
次の瞬間。
イワンの右手首が、剣を握ったまま、床に転がった。
「……は?」
遅れて、鮮血が噴き出す。
「右手が……!」
痛みすら、まだ来ない。
「イワン閣下!」
フランシスが駆け寄り、両手で切断面を押さえる。治癒魔法。緑の光が溢れ、血が止まり、肉が塞がる。
「一旦、引きますぞ!」
「な……なんだ……お前は……」
イワンの声は、掠れていた。
フランシスが短い詠唱を紡ぐ。《聖架転送宝具》。
閃光。フランシスが、イワンを引き込む。
高木が、一歩踏み出す。日本刀が、左下から右上へ。
消えゆく光が、二つに割れた。
だが――そこに、二人はいない。
「……あと一歩だったな」
高木は、百田に振り向き、感情のない声で言った。
「まだ、次がある」
刀を鞘に納め、踵を返す。階段を、降りていく。
(……この人)
百田は、理解する。
逃げるのを、知っていた。こうなることも。
幽霊のような背中を見送りながら、百田は、戦場の温度が、さらに下がったのを感じていた。
* * *
――決戦前夜 ― 原初大奇蹟魔法陣
柳美緒と金山健一郎は、潜入要員・島本修二の誘導によって、砦中央部近くにある一軒の元民家へと身を潜めていた。
目的地は、この民家から少し離れた場所に構築された《原初大奇蹟魔法陣》。
砦は、糸島市郊外に広がっていた農地と山間部を切り開き、急ごしらえで築かれたものだった。それでも規模は大きく、福岡ドームのおよそ三分の一。
少し離れた正門の方角から、爆音が断続的に響いてくる。怒号とも悲鳴ともつかぬ声が、夜気を引き裂くように広がっていた。
「ここから見える、あの青い光……あそこが魔法陣ね」
窓の陰から外を覗いた柳の視線の先、かつて農地だった一帯に、青白い光が灯っていた。直径はざっと五十メートル。
「……さすがに、これ以上は近づけないな」
島本が言った。魔法陣を取り囲むように、重装備の兵士たちが幾重にも配置されている。
「ダメ……ノイズが酷い」
柳は目頭を強く押さえた。視界の端が、どろりと濁った。
そこにあるのは、ただの魔法の輝きではない。
何万もの悲鳴を煮詰め、幾千の怨嗟を織り上げたような、吐き気を催すエネルギーの渦だ。
「……あの魔法陣、気持ち悪い。周囲のマジック粒子が吸い寄せられてるんじゃない。無理やり引き剥がされ、喰われてるの。首を絞められているみたい……空気が、澱んで……粘ついて……」
柳の肌に、粟立つような嫌悪感が走る。視ているだけで、自分の魂までがその澱みに引きずり込まれ、形を変えられてしまうような生理的な恐怖。
それは、生命という存在そのものを否定する、剥き出しの「悪意」だった。
島本は外を見たまま、短く問いかける。
「……どうやって破壊する?」
「――金山さんの出番ね」
柳は腰のポシェットから端末を取り出し、地図を呼び出して指でなぞる。
「今から、魔法陣の位置と地脈を書くから……“例のやつ”で、切断して」
「……地脈?」
「私の感覚だけど……あの魔法陣、発動装置みたいなものよ。かなり破滅的な“何か”の。でも……まだ完成してない。マジック粒子が、足りてないの。だから――ここ一帯の地脈、つまり粒子の流れを、無理やり吸い上げてる」
地図を一目見て、金山は即答した。
「……配電ですね」
「そう。これを断ち切って」
「……少し、時間かかるかも。配線、多い」
「あまり時間をかけると、見つかるわ。……出来るだけ、急がせて」
金山は近くの椅子を引き寄せ、どさりと腰を下ろす。目を閉じ、両手を掲げた。
「……さぁ。仕事だぞ。今回も……電気工事みたいなもんだ. 急いでくれよ」
その瞬間。
足元の影が、軋むような音を立てて動き出した。影は、床から剥がれる。
一体、二体、三体――人型に近い、小ぶりな“それ”が、次々と這い出してくる。《影の騎士》。
影たちは民家の壁を抵抗なく透過し、闇の外へと散っていった。
金山は、もう微動だにしない。石像のように、そこに座ったままだ。
「……ともかく、あれは止めるべきものよ」
柳は立ち上がり、再び窓の向こうの青白い光を見据える。
(――受け入れられない。……あれは。私たちが、存在していいものじゃない)
空間全体が、歪んでいる。マジック粒子は澱み、重く、粘つき――明確な悪意を孕んで、渦を巻いていた。
* * *
――未完の円環を見下ろす者
転移の光が消えた瞬間、血と香油の匂いが混じった空気が肺に流れ込んだ。
石床に膝をつくイワン=ドルトミールの右腕は、肘から先が不自然な角度でフランシス=マリウスの両手に収まっている。
切断されたはずの手首は、今まさに“縫い戻されて”いた。
不自然に白く、継ぎ目の残るその手首。かつて高貴な血筋と神への忠誠を象徴していた美しい手は、今や異能の術師によって無理やり繋ぎ合わされた「肉の塊」に成り果てていた。
《聖架転送宝具》の副作用か、神経の接続が戻るたび、鈍い痛みが遅れて押し寄せる。
「……耐えられますか、侯子」
フランシスの声は静かだった。祈りの言葉と治療呪文が重なり、白金色の光が縫合部を包む。
イワンは答えなかった。視線は、ただ前方――広大な空間の中央に展開された、大魔法陣へと注がれている。
未完。だが、完成が近い。
青白い光が幾重にも重なり、円環は呼吸するように脈動していた。規則正しい鼓動。それは、もはや術式ではない。胎動だ。
イワンは、治療が終わりかけた右手を、ゆっくりと持ち上げる。
「……赦さぬ」
低く、押し殺した声。
イワンの瞳に宿っていたのは、もはや軍指揮官としての冷静な怒りではなかった。それは、自分という「聖なる存在」を否定した世界に対する、狂信的な呪いだ。
「神に選ばれし私が、この地上を導く義務を背負う私が……あのような不浄の輩に、この手を汚されるとは」
右手に力を込めると、縫合部からピリピリと不快な神経の疼きが伝わる。だが、その痛みさえも、彼にとっては神からの「試練」という名の陶酔へと変換されていく。
「この地が……福岡が……原初の奇蹟を拒むとはな」
フランシスの手が止まる。だが、その顔には動揺ではなく――恍惚が浮かんでいた。
「拒んでいるのではありません。選ばれているのです。この地は」
フランシスは、大魔法陣を見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべる。
「まもなく――《原初大奇蹟魔法陣》は完成します。抵抗。妨害。犠牲。それらすべては、“条件”に過ぎません」
「救済……だと?」
「ええ。人は、神意に触れれば壊れます。ならば、壊れる前に捧げるべきでしょう。これは虐殺ではありません、侯子。大いなる選別です」
イワンは、ゆっくりと立ち上がった。
折れた誇りの破片を拾い集めるように、血走った眼で大魔法陣を睨み据える。新たに縫い戻された右腕に、狂おしいほどの力を込める。
「……完成させろ」
それは祈りでもあり、絶叫でもあった。もはや神の慈悲など求めていない。ただ、この屈辱を拭い去るための破壊だけを望む、妄信者の声だった。
「この地が、神意に抗った代償を――余すところなく、思い知らせてやれ」
未完の円環は、確かに応えるように、静かに、深く、鼓動を打ち続けていた。
本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!
第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
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