第3話:転移後3年・春 ――ドゥルガンと十歩先生の「問い」
――県境農業地帯自治区 共同教育学校 初等部(転移後3年・春)
その男は、場違いだった。
朝霧が畑の畝を低く覆う頃。共同教育学校の木造校舎の前に、一人の男が立っていた。
白衣を着ているが、泥がついている。ヨレヨレのシャツに、しわだらけのズボン。無精ひげ。
「……ああ、いい匂いだ」
男は農地の方を見てそう言った。
その男の名は、十 歩。
かつて九州大学宇宙物理学研究所に籍を置き、今では県の一部資料で「未知粒子理論の実証者」「阻害・誘因理論の提唱者」と書かれている人物。
だが本人は、そんな肩書きなど一切気にしていなかった。
そんな彼が初等教室の教壇に立った。
教室の空気は独特だった。人間の子も亜種族の子も混じっている。
小さなホビットの少女。腕の太いオークの少年。
そして、一番後ろの席。少し姿勢を正しすぎるオークの子が座っていた。
名は、ドゥルガン。
十歩は教壇に立つなり、名簿を見なかった。
代わりに黒板にこう書いた。
『わからないことは、宝だ』
子どもたちがざわつく。
「先生、答えはどこに書くんですか?」
十歩は振り返り、少し笑った。
「書かない。今日は“問い”を持って帰る日だ」
授業は簡単な内容だった。
「石を水に落とす。なぜ沈む?」
手が上がる。
「重いから!」
「神がそう作ったから!」
十歩は頷く。
「いい答えだ。じゃあ、この石が“浮く世界”を考えたら?」
教室が静まる。
その時。後ろの席から低い声が上がった。
「……密度が逆なら」
十歩の眉がわずかに動いた。視線が交わる。
「誰だ?」
ドゥルガンは一瞬ためらったが、ゆっくりと立ち上がった。
「……水より軽い構造なら、石でも浮く……と思います」
教室がざわつく。オークがそんな言葉を使うこと自体、珍しかった。
だが十歩は驚かなかった。確信した顔で言った。
「いい。非常にいい」
十歩は黒板に円を描く。
「じゃあ、もう一つ。魔法で浮いている石があるとする。それは“なぜ”浮いている?」
沈黙。
ドゥルガンは目を伏せ、指先で机をなぞった。そして言った。
「……魔法は、理由を作っている。でも、理由自体は自然と同じ……だと思います」
十歩は動かなくなった。
数秒の、完全な静止。
そして。
「……君」
ゆっくりと近づく。
「名前は?」
「ドゥルガンです」
「ドゥルガン」
十歩はその名を噛みしめるように繰り返した。
心の中で十歩は呟いた。
(……いるじゃないか。種族を越えて“構造”を見る目を持った子が)
彼は確信していた。この子は魔法を信じる前に理解しようとする。それは研究者の資質だった。
チャイムが鳴る。
十歩は最後にこう言った。
「答えは急がなくていい。問いを手放すな」
そしてドゥルガンにだけ、付け加えた。
「君は、“先に考えていい”」
ドゥルガンの胸が熱くなる。
初めてだった。“オークだから”ではなく、“考えたから”声をかけてもらったのは。
この日蒔かれた「問い」の種が、やがて異界の理を解き明かす鍵となることを、まだ二人は知らない。
本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!
第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
順次、公開予定です! 面白かった! 続きが気になる! と思っていただけましたら、ページ下部より☆☆☆☆☆の評価とブックマークをよろしくお願いいたします。作者の執筆スピードが(魔法ではなく物理的に)加速します!




