第23話:狂信者の悦楽と、生贄の儀式
――糸島市郊外・巨大拠点砦 中央
砦の中央、巨大な石床に刻まれた《原初大奇蹟魔法陣》は、すでに生き物のように呼吸していた。
聖都の大聖堂地下、《禁忌蔵書》の最奥――法皇国魔術史において“存在を語ることすら忌まれた術式”が、いま、異界の地で再現されようとしている。
魔法陣の文様は、円環の外縁から内へ、幾重にも絡み合い、古代語、神代文字、失伝した異端教義の符号が重なっていた。
――生贄転化術式。
地霊・人魂・信仰残滓を媒介に、奇蹟を“現象”へと引きずり落とす禁忌。それはかつて、一つの都市国家を丸ごと消滅させ、関与した聖魔導士団すら正史から抹消された大罪そのものだった。
その罪を――イワン=ドルトミールは、悦に入った顔で見下ろしていた。
「美しい……」
吐息混じりの声。陶酔。もはや軍人でも貴族でもない、狂信者のそれだ。
青白い光が、魔法陣の底から滲み出す。荘厳な詠唱が幾重にも重なり、円を描くように陣を囲む聖魔導士たちの声が、何かに引きずられるように低く、重く、歪んでいく。
その異変に、司祭長補佐エルンスト=カイゼンは顔色を失った。
「……イワン殿下。それだけは、許されてはならぬ術です」
老司祭は震える足で一歩前に出る。
「禁忌蔵書に記された、神に最も近づいた者が、最初に堕ちた術……これは明確に、絶対禁忌と定められたものです!」
「……だから何だ」
イワンはゆっくりと振り返った。その瞳には、狂気と確信が区別できないほどに濁った光が宿っている。
「禁じられたのは、力が足りなかったからだ。理解できぬ者たちが、恐れ、封じたに過ぎん。……神は、私を選んだ。だから私は、今ここに立っている」
イワンは高々と手を掲げる。視線の先には、鎖で繋がれ、跪かされた糸島市民たちがいた。泣き叫ぶ子供。必死に庇う母親。
「選べ。最も純粋な魂を。幼き者、女、老いた者――神に近き者ほど、奇蹟は高まる」
「それは信仰ではない!!」
エルンストは膝をつき、地に額を打ち付けた。
「それは……冒涜だ! 神を利用し、己を神と錯覚する――最も忌まわしき傲慢だ!!」
「錯覚?」
イワンは笑った。静かに、愉悦に満ちて。
「いいや……これは覚醒だ。私は、神に近づいている。いや――神を引きずり下ろしているのだ」
彼は眼下の人々を見下ろし、慈悲を与えるかのように、穏やかに言った。
「恐れるな。お前たちは、歴史に名を残す。私の奇蹟の礎としてな」
エルンストの悲痛な叫びは、低く響く詠唱と青白い光の中に呑み込まれていく。
魔法陣は、確実に完成へと近づいていた。それは信仰の象徴ではない。大量殺戮を前提とした、神殺しの装置だった。
* * *
――潜入要員の目撃
ミラ――潜入名で呼ばれるその裏で、古里美香は歯を食いしばっていた。
石壁の隙間から、見てはいけないものが視界に飛び込んでくる。
鉄が擦れる音。誰かが引きずられる音。
「やだぁぁぁぁぁぁ!!」
子供の声。喉が裂けるほどの、恐怖そのもの。母親の叫びが重なる。
兵に突き飛ばされ、泥に顔を押し付けられながらも、必死に腕を伸ばす母親。だが、鎖は外れない。
老人たちは、ただ虚ろな目で空を見ていた。自分たちが「何になるか」を理解してしまった、絶望の目だった。
ミラの喉が、ひくりと鳴る。
(……くそ……)
ここで撃てば。ここで斬れれば。
衝動を必死に抑え、震える手で布の下の通信装置に指を伸ばす。
「……こちら、ミラ……砦内部にて、禁忌術式の準備を確認……生贄は……市民……子供、女性、老人……」
喉が、焼けるように痛い。
「……時間が、ない……」
送信した瞬間――背後で気配が動いた。
ゆっくりと振り返る。そこに立っていたのは、兵ではなかった。整った服装。静かな目。
「……面白いものを見ているな。安心しろ、私はあの男の部下ではない」
男は、一拍置いて告げた。
「ハインリッヒ・ラドミールの名を、知っているか?」
心臓が強く跳ねた。この戦争は、単純な正義と悪では終わらない。
* * *
### ――西部方面異界防衛総監部
封印指定の赤いランプが、静かに点灯している。
「……黒沢、か」
谷川剛陸将補の声は、わずかに震えていた。通信の内容が、彼の意識を一瞬だけ白くした。
「……生贄、だと?」
『対象は糸島市民。子供、女性、高齢者を中心に選別されています』
谷川は椅子の背にもたれかかった。指先が冷たくなる。
「……阻止する。何としてもだ」
『対魔法特化隊――第1班ですね』
谷川は即座に頷いた。
「あれしかない。倫理と理性の限界線を踏み越えられるのは、彼らだけだ」
その時、別回線が割り込む。鷲尾警備局部長の声は、いつもの冷静さを欠いていた。
「谷川総監……福岡は今、法も倫理も通用しない場所に立たされている。……ですが、別の情報があります。ラドミール――法皇国穏健派の配下が、潜入要員に接触しました」
「……利用するしかありません」
谷川は決断した。
「……高木弘に伝えろ。任務中、ラドミール配下との接触を許可する」
* * *
――情報は届く
隔離された簡易指揮室。
高木弘は、壁際に立ったまま、無表情で通信端末を見つめていた。
「……高木です」
『急ぎだ。イワンが――糸島市民を生贄に使う、禁忌術を準備している。……止められるか』
鷲尾の問いは、一人の福岡県民としての叫びだった。
高木は、即答した。
「止めます」
声に揺れはない。瞳の奥に、絶対的な零度の意志が宿る。
『……分かった。もう一つ。潜入要員がラドミール配下と接触した。利用できるかどうかは――お前次第だ』
通信が切れる。室内に、音が消えた。
高木は、ゆっくりと拳を握り締める。
即座に、作戦端末を叩いた。
【作戦目的:追加】
・市民生贄阻止
・捕縛市民の奪還
それだけを記載し、ガラス越しに班のメンバーたちを見る。
笑っている者。緊張を隠す者。特に――時田渚と、後藤零。
(……まだ、知らなくていい。知らずに動け)
それは、指揮官としての冷酷な合理性であり、同時に――彼らをまだ「こちら側」に留めておきたいという、残酷なまでの優しさだった。
本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!
第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
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