第18話:空間の魔人と、福岡の魔女
――第21日 07:42/旧物流倉庫・模擬災害区画 C-3
「……ここ、寒いですね」
遠山えりこは、両腕をさすりながらそう言った。
誰も“気温が低い”とは感じていない。
だが、彼女の周囲だけ、空気が妙に張りつめていた。
遠山 えりこ。年齢39歳、職業は主婦。
中学2年の息子がいる。
穏やかだが、肝が据わっている性格。過去に特記すべき経歴はない。
――戦闘適性:最低評価。
少なくとも、試験前の書類上はそうだった。
試験の目的は、高ストレス下での防御反応の確認と、非戦闘員における魔法粒子反応限界の測定。
要するに、「何も起きないこと」を確認する試験だったはずだ。
* * *
07:55。模擬事象が開始される。
倉庫内に破裂音が響き、天井の一部が崩れ、金属片が落下する。
「危ない!」
警告が出るより早く、“それ”は起きた。
空気が、止まった。
遠山えりこの周囲――半径、約1.5メートル。
落下していた金属片が、見えない壁に当たって止まったのだ。
音が、しない。
ぶつかる衝撃すら、吸収されたように消えた。
観測室がざわめく。
「……空間圧、急上昇」
「MP-σ酵素、常時生成状態からさらに増幅……」
「壁じゃない……密度そのものが変わってる」
続いて、模擬的に魔法粒子濃度を上昇させる第二段階。
通常なら、被験者は不快感や眩暈を訴える。
だが――遠山は、眉をひそめただけだった。
「……嫌な感じですね」
その瞬間。彼女の周囲の空気が、水のように揺れた。
熱を通さず、圧力を逃がし、魔法粒子を拡散させる見えない“壁”。
攻撃でも、反射でもない。ただ、存在を拒否している。
「……意図的に、範囲を広げられますか?」
鷹宮の指示に、遠山は困ったように首を傾げた。
「ええと……子どもが危ない時みたいに、ですか?」
遠山が、深く息を吸う。
思い浮かべたのは、横断歩道に飛び出しそうになった息子の背中。
自転車で転びかけた時の小さな手。
「……ダメ」
小さな声。だが、空間が応えた。
倉庫の床が、わずかに沈む。
圧縮された空気が、ドーム状に形成される。半径10メートル。
内部は静寂。外部の音は、遠くに歪んで聞こえる。
観測室は、言葉を失っていた。
「……攻撃じゃない」
研究主任が、掠れた声で言う。
「完全防護……いや、“存在保護”だ」
高木は、遠山を見つめていた。
「……この人、最初から、守るつもりしかなかった」
そして彼は、非公式にこう名付けた。
「……この人は、空間の魔人だ」
誰も、それを否定しなかった。
* * *
――第22日 07:05/旧市街地下構造物(封鎖区域)
翌日。
試験場は、崩落防止用の簡易支柱とマジック粒子遮断シートが張られた地下空間だった。
想定敵は、複数属性の魔法を使用する散開小編隊。
通常であれば、民間人を投入する試験ではない。
だが、被験者リストの末尾には、一人の名が書き込まれていた。
時田 渚。17歳。私立高校の2年生。
08:21。観測班のブースで、研究員が声を上げる。
「……反応、来ます」
その声には、困惑が含まれていた。
「MP-α酵素、上昇……ですが、特定属性への偏りがありません」
「全部、同時に……?」
詠唱はない。意識誘導も、特定の集中点も確認できない。
地下の模擬フィールドで、時田渚は軽い口調のまま立っていた。
(……なんか、分かる)
火が出せる。水も、風も、土も。
いや――出せるかどうかを考える必要すらなかった。
高木の「想像しろ。使おうとするな」という言葉を思い出す。
「そこにあるって思えば、あるだけじゃん」
「じゃあ……」
時田が視線を向けた瞬間、火球が生まれ、背後では水流が壁を作り、足元の床がわずかに隆起した。
暗部に溜まっていたマジック粒子が光弾として反転する。
複数属性、同時展開。
切り替えではなく、併用ですらない。
「彼女は、属性を“選択”していません」
高木が鷹宮に説明する。
「火・水・風・土・光・闇。それらを別物として扱っていない。世界に存在する“作用”を、そのまま引き出している。だから詠唱が不要で、切り替えも発生しない」
高木は言葉を選んだ。
「最初から、全部が一つの操作体系にある」
模擬戦は数分で終了した。
想定敵マーカーは全沈黙。時田は無傷。
「え? もう終わり?」
首を傾げる時田を前に、鷹宮は記録にこう記した。
『既存の属性分類に依存しない魔法運用個体』
のちに彼女が「福岡の魔女」と呼ばれることになるとは、まだ誰も知らない。
本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!
第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
順次、公開予定です! 面白かった! 続きが気になる! と思っていただけましたら、ページ下部より☆☆☆☆☆の評価とブックマークをよろしくお願いいたします。作者の執筆スピードが(魔法ではなく物理的に)加速します!




