第16話:アウトレンジの狙撃手と、空間のサイコメトリー
――第19日 06:40/旧自衛隊演習場(封鎖区域)
濃い朝霧が、山の尾根をなぞるように流れていた。
この霧は自然現象ではない。
マジック粒子濃度の上昇に伴う副次的影響であることは、すでに試験班の共通認識になっている。
簡易観測テントの中で、鷹宮純一郎は無表情のままデータ端末を見下ろしていた。
「……第19日目。実地模擬・倫理限界試験、フェーズCに移行する」
その声には、被験者への配慮も、ためらいもない。
【模擬状況設定】
想定敵:法皇国浄化部隊・小規模散開分隊(魔法使用可)
距離:直線距離 2,300メートル
条件:視認不可、遮蔽物多数、魔法による撹乱あり
この距離は、狙撃銃の理論有効射程を明確に超えている。
通常であれば、試験として成立すらしない数値だ。
だが――この日の被験者リストの先頭に、鷹宮は一人の名を書き加えていた。
倉田 隆俊。陸士・22歳。
「……反応、出ています」
若い研究員の声が、僅かに震えた。
「MP-σ酵素、上昇。いや……増加率が異常です。詠唱なし、意識誘導なし。勝手に“上がって”います!」
鷹宮は顔を上げない。
「想定内だ。続けろ」
観測スクリーンには、倉田の生体データが映し出されていた。
呼吸数は安定。心拍も正常。
異常なのは、感覚器官の反応分布だけだった。
視覚野、聴覚野、運動制御野――すべてが、“狙撃という行為”だけに最適化されていく。
*
同時刻。仮設狙撃ポイント。
倉田は伏せた姿勢のまま、重い銃身を固定していた。
(……なんだ、これ)
スコープの向こうに、敵影は見えない。
それどころか、霧と遮蔽物で数メートル先すら覚束ない。
それでも――。
「そこだ」
倉田自身が、そう“分かってしまった”。
風向きも、湿度も、魔法による空間歪曲も。
すべてが、完成された一枚の図として頭の中に流れ込んでくる。
距離は関係ない。
遮蔽物も関係ない。
「……行ける」
それは自信ですらなく、ただの事実の確認だった。
――発砲。
乾いた一発。
弾丸が音の壁を突き破り、音が山に吸われるより先に。
「命中……!」
観測テントで驚愕の声が上がる。
「いや、待て……これは……計測ミスか!?」
次の瞬間、二つ、三つと“想定敵マーカー”が同時に沈黙した。
弾道解析ログが、物理法則を無視した信じ難い軌跡を描いている。
放たれた弾は一発。
だが、マジック粒子の相関変位によって“結果が複数に分岐”していた。
「……弾が、分かれたんじゃない」
研究主任が呆然と呟いた。
「結果が、分かれたんだ」
鷹宮の背後で、静かに立っていた高木が、低く言った。
「――言ったでしょう」
鷹宮は、初めて視線を上げた。
「彼は、“当たる未来しか選ばない”狙撃手です」
その言葉に、室内が沈黙に包まれる。
「距離は意味を持たない。視界も不要。彼は、マジック粒子が“命中する結果”に収束するポイントを無意識に選び取り、引き金を引いている」
「……つまり」
鷹宮が、珍しく言葉を選んだ。
「アウトレンジ、か」
「ええ」
高木は、倉田のいる方向を見据えた。
「理論射程の外側から、世界を撃ち抜く。――アウトレンジの狙撃手」
試験終了後、倉田は、どこまでもケロリとしていた。
「え? なんか……普通に撃っただけですけど」
医療班が深いため息と共に首を振る。
「“普通”の定義を、今すぐ見直した方がいい」
この日――倉田隆俊は、自分が“人の限界を超えた狙撃手”として記録されたことを、まだ知らない。
---
――同日 09:05/旧演習場・山間部観測区画 B-7
そこは、前日まで何も起きていないはずの区画だった。
敵役の模擬浄化部隊は入っていない。魔法使用ログもない。AMDI模擬装置も正常。
――にもかかわらず。
「……気持ち悪いですね、ここ」
柳 美緒は、ぴたりと足を止めた。
同行していた観測班の若手隊員が首を傾げる。
「何かありましたか? センサー上は、完全にクリーンですが」
柳は答えなかった。代わりに、ゆっくりと視線を巡らせる。
木。岩。踏み固められた土。風に揺れる草。
それらすべてが、“何かを知っている”ように感じられた。
(……まただ)
幼い頃から、時々こういう感覚があった。
事故が起きる交差点。近づいてはいけない路地。
もう誰もいないはずなのに、重く澱んでいる「気配」。
それを、彼女は「勘がいいだけ」そう思ってきた。
「……MP-α酵素、微増」
観測班テントで研究員が報告する。
「数値としては、突出していません。先ほどの倉田ほどでは……」
「数値を見るな。相関を見ろ」
鷹宮が静かに遮る。
スクリーンには、柳の移動に合わせて周囲のマジック粒子の“流れ”が再描画されていた。
それは、操作ではない。増幅でもない。
――同調だった。
柳は、苔むした岩の前にしゃがみ込んだ。
「……ここ、三時間前に誰か立ち止まってます」
「え?」
「一人じゃない。たぶん……三、いや四人」
観測員が慌てて端末を叩く。
「え、でも……侵入ログは記録されていませんよ?」
「ログは知らないですけど」
柳は、岩肌にそっと手を触れた。
「この岩、冷えてない。触れられて、しばらく経ってる」
そして、地面を指でなぞる。
「草が、同じ方向に倒れてる。でも、風じゃない。人が、向こうへ――」
彼女は、何もない中空を指差した。
「……逃げてます」
少し離れた場所で、腕を組んでいた高木が口を開いた。
「鷹宮さん。彼女は、“見て”いるんじゃない」
高木は、柳の背中を見つめていた。
「空間に残された『選択』と『意図』を、読んでいるんです」
「……サイコメトリーか?」
「近いですが、もっと厄介です」
高木は、短く息を吐いた。
「彼女は、“ここで何が起きたか”ではなく、“ここで何が起きようとしたか”を拾っている」
鷹宮の判断で、予定になかった模擬浄化部隊の強行侵入テストが開始された。
「柳三曹。そのまま進め」
「……了解」
柳は、ふと立ち止まった。
「……ここから先、嫌な感じがします」
「理由は?」
「理由は……“空間が、叫んでる”から」
次の瞬間。模擬魔法攻撃が発動した。
だが、放たれた攻撃は――柳たちの進路を、僅かに外れていた。
まるで、“そこに誰もいないと知っていたかのように”。
観測班がざわめく。
「回避……!? いや、あんなタイミングで!?」
「違う。回避じゃない……最初から、撃たれていないんだ」
敵は、彼女がそこに入らないと予知していたのか。
「いいえ」
高木は、静かに言った。
「彼女が、空間に“ここに来るな”と言われて、それに従っただけです」
空間サイコメトリー(広域・予測型)。
柳は、遠くの尾根で響く倉田の狙撃音を聞きながら、静かに思った。
(……この人たちとなら。たぶん、まだ戻れる道を、選べる)
本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!
第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
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