第14話:法皇国連合の亀裂と、イワン=ドルトミールの台頭
――転移3年・冬/法皇国・聖都
高天井の会議室に吊るされた聖灯が、揺れることなく燃えていた。
だが、そこに集った者たちの心は、誰一人として静まってはいなかった。
「……六千が壊滅、だと?」
枢機卿の一人が、言葉を噛み砕くように繰り返す。
報告官は汗に濡れた額を拭いもせず、羊皮紙を両手で掲げたまま答えた。
「はっ。県境を越え、糸島市街へ侵入した先鋒軍――約六千。交戦の初期段階において、奇蹟の発現が確認されず、その後……完全に壊滅したとのことです」
誰かが、喉を鳴らした。
「奇蹟が……発現、しなかった?」
「原因は不明です。敵の新兵器、あるいは異端の術式とも考えられますが――」
報告官は言葉を濁し、やがて、震える声で続けた。
「現地ではただ、神の加護が突然、途絶えたとしか認識されておりません」
ざわめきが広がる。
信仰を根幹とする国家にとって、それは「敗北」以上に、世界の前提が崩れたことを意味していた。
そして、追撃の一報がもたらされる。
「セルディア王国国王――エルバート三世。敵、福岡側に捕縛された模様です」
空気が凍りついた。
積極派の枢機卿が、椅子の肘掛けを掴んだまま、呻く。
「……聖戦を主導した王が……神に選ばれし者が……」
誰かが、無意識に祈りの文句を落とした。
その沈黙を、一人の声が切り裂く。
「違う」
大法皇エル=マルティス。
白衣の老者は、まるで揺らぎなど存在しないかのように、低く、断定的に言った。
「神は沈黙していない。救済されぬと定められたのは、福岡だ」
その言葉は、恐怖に対する慰めではなかった。
疑念を、力で押し潰す宣告だった。
「神命は撤回されていない。法皇国連合こそが、この“穢れた地”を浄化せねばならぬ」
誰も、それ以上は反論できなかった。
* * *
――連合軍集結地・ラドミール公国
衝撃は、聖都の石壁を越え、法皇国影響下の諸国へと波及していった。
最も早く、最も深刻に揺らいだのは、強制動員された一般兵たちだった。
彼らにとって「奇蹟」は、生きて帰るための唯一の保証だったからだ。
神に見捨てられた地で死ねば、魂は救われない。
その恐怖が、夜な夜な兵士たちを脱走へと駆り立てていた。
そして、ラドミール公国に張られた指揮用天幕の内では、重苦しい沈黙が垂れ込めていた。
その中央で、ゆっくりと一人の男が立ち上がる。
公爵ハインリッヒ・ラドミール。
「第二陣、一万の兵を――出陣させるべきではありません」
天幕の中に、ざわめきが走る。
「先鋒軍は六千。奇蹟の発現を前提とし、それが崩れた瞬間に壊滅しました」
地図の上に、指が置かれる。
「奇蹟が失われた原因が不明な以上、正面進軍は自殺行為です」
その言葉は、戦略としては極めて合理的だった。
だが――。
「臆したか!」
怒声が、天幕を震わせた。
振り返るまでもない。声の主は一人しかいない。
聖ラグニア侯国の若き皇太子、イワン=ドルトミール。
彼の顔は紅潮し、その瞳には、恐怖を覆い隠すための激情が燃えていた。
「セルディアは戦った! エルバート王は先鋒に立ち、捕らわれた! ならば次は我らだ! ここで退けば、聖戦そのものが笑いものになる!」
ハインリッヒは、静かな声で返した。
「感情で兵を殺すな」
その言葉は、刃より鋭かった。
「奇蹟なき地で、正面から進めば死ぬ。それだけの話だ。エルバート王は、それを証明した」
その名を出された瞬間、イワンの内側で、何かが決定的に崩れた。
「貴様……!」
剣が、考える前に抜かれていた。
一瞬の閃光。
布が裂け、肉が裂ける。
ハインリッヒの肩から、鮮血が溢れた。
「――っ!」
「拘束しろ!」「剣を捨てろ!」
天幕は怒号と混乱に包まれた。
後に「血の天幕事件」と呼ばれる凶行だった。
* * *
数刻後。
治療を受け、肩を包帯で固めたハインリッヒの前に、一人の男が立つ。
大枢機卿 アルバン=リヴェール。
「……若造が、ここまで連合を割るとは……。このまま正面進軍を続ければ、連合は内側から崩壊する」
彼は、天幕の外を見据えた。
「……やむを得ん。第二陣は再編する。大軍ではない。少数精鋭の――浄化部隊だ」
声が、わずかに震えた。
「戦線を広げ、浸透させ、連合の体面を保つ」
それは、勝利の策ではない。崩壊を遅らせるための策だった。
翌日、二つの浄化部隊が編成された。
イワン=ドルトミール率いる、苛烈なる浄化部隊。
ハインリッヒ・ラドミール率いる、沈黙の浄化部隊。
前者は、信仰の名のもとに福岡を蹂躙するだろう。
後者は、誰にも知られぬまま、終戦への細い線を探る。
――この聖戦は、すでに引き返せない地点を越えつつあった。
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第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
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