86:// 進撃の邪神
白い天使は片翼でも空を舞えるが、青い鳥は片翼では羽ばたけない。
一枚でも羽を抜かれれば、すぐに地に墜ちてしまう。
だからこそ、常に誰かが隣にいる必要があった。
<1>
最初にラノベ作家になるって決めたときは、たかがラノベくらい誰にだって書けるものだって思ってた。特にWeb小説なんて所詮素人が隙間時間に書いてるんだから、人生のほぼ全部費やしてる私が超えられないわけがないって、そう信じてた。
でも実際に書いてみるとすぐに違うってわかった。私が三年半かけてようやく完成させた初めてのラノベの評価欄は真っ白で、あれから一年放置しても特に変わってなかった。
ごしゅじんさまに「リメイクしよっかな」なんて言っちゃったから、文章とか設定とかを見直してみた。でも、何回書き直しても全然上手くなった気がしない。ごしゅじんさまに紹介してもらった本をもっとじっくり読んで、構成とかテンポとかを真似してみたけど、特に変わんなかった。むしろ、上手い文章を読めば読むほど自分の才能のなさを突き付けられて、筆と心がぽきって折れそうになった。
「私ってほんとに才能ないんだな……」
私はベッドの上で一冊のノートを広げた。そこには私の魔術で導き出された運命の日がずらりと並んでいて、普通の人でいうところの日記と予定表を足した感じのものだった。ノートにはこう書かれている。
『七月九日 ラノベの投稿を始める、初日から高評価いっぱい。ごしゅじんさまに褒めてもらえる』
その日はもうとっくに過ぎていて、それなのに、ごしゅじんさまからの感想はまだもらえてない。たぶん、URLを送って「これ、書いたから見て!」って言えば、第一話くらいは読んでくれるとは思う。でもごしゅじんさまにはやっぱり自力で見つけてほしかったし、何より私の下手な文章を見せて嫌われたくなかった。
(これは叶わなかった。これも、これも、これも……)
ノートをめくっていくと、たくさんの日付が現れる。その隣には「ごしゅじんさまのイラストで書籍化」とか「ごしゅじんさまとコラボして画集を出す」とかそんなことが書いてあって、どれも過去の日付だった。これを書いたとき、まだラノベを投稿する前には未来だったはずのことは、すでに過去のことになっていた。
運命が書かれたはずのノートは、本当はただの希望が書かれただけだったのかもしれない。でも、その中に「ごしゅじんさまと付き合えることになった」とかは書かれてないから、たぶんこれを書いたときの私は本気で実現するって思ってたんだ。それでも、どれも現実にはならないままだった。
「あーあ。つまんない人生だったな……」
自分の声がやけに大きく聞こえて、なんか誰かに聞かれたんじゃないかって思うと恥ずかしくなって、私は頭から布団に潜り込んだ。そういえば、私の書いた最初のプロットを見せたときもそんなことを言われたっけ。
<2>
パパと約束した二年間が終わった日、私のスマホにはごしゅじんさまからの感想はまだ来てなくて、パパはちゃんと約束を覚えてた。
「お前もそろそろいい加減に働け。」
私は頷いたけど、どっちかっていうと俯いたのほうがあってた気がする。私だって、そろそろラノベ作家を諦める時期なんだってことくらいわかってる。でも現実の私は二年も引きこもってたわけで、その間、ごしゅじんさまとの毎週のメッセージと、パパとの毎日の会話を除けばほとんど誰とも話してこなかった。そんな私がいきなり外に出て働けるのかっていえば、答えは決まってる。
(……今さら外出て働くとか無理に決まってんじゃん。)
だから今日も、私はベッドの上に座ってパソコンを点ける。なんか仕事してる感じを装って、キーボードを叩いてみる。タイピングの音が部屋に響くけど、画面は真っ白だった。
別にパパに仕事してるアピールをするためじゃない。パパはもう私に才能がないことを知ってるし、容赦なく仕事しろって言うようになった。じいじとばあばみたいに、そんなの仕事じゃないって言うようになった。だからこれはたぶん私のためなんだと思う。次こそは人気が出るかもしれないって、そんな期待なんだ。
「……これで何回目なんだっけ……?」
もちろん私だって、このままだらだらしてていいとは思ってない。あのときの約束のうち、私がラノベ作家になるほうは結局叶わなかったけど、ごしゅじんさまがイラストレーターに戻ってくれる可能性はまだ残ってる。ごしゅじんさまは「イラストレーターだと将来が不安だから」って理由で歯学部に行ったんだから、イラストレーターのほうが歯医者さんよりも稼げるってなったら、きっとイラストレーターを目指してくれるはずだ。
「八百から千四百ってとこか……うーん……」
私はふとスマホを取って検索してみた。勤務医か開業医かで違いはあるみたいだけど、だいたいそれくらいらしい。ってことは、私が毎年ごしゅじんさまに千五百万払えれば、ごしゅじんさまはイラストレーターになってくれるってことになる。すごく簡単な計算、そのはずなのに画面の数字がぐにゃりと歪んで見えた。
(こんなの無理に決まってんじゃん……)
もし私が本当に超絶人気のラノベ作家になれてたら、そのくらいは簡単に払えてたのかもしれない。でも実際は真逆で、一円も稼いでないようなただのニートの私にそんなお金が稼げるはずがない。そもそも、仮に世界トップクラスの作家になったって、毎年千五百万を保証することなんてそうできることじゃない気がする。
結局私はごしゅじんさまの隣には立てないし、陰で支えることもできないんだ。運命に刻まれたはずの未来は全部過去のものになって、私に残された未来なんてないのかもしれない。
「……私の生きてる意味って、なんだったんだろうね……」
<3>
私の仕事机には、今も液タブとMIDIキーが置いてある。見た目だけなら立派なクリエイターって感じだけど、どっちもほとんど使われてない。正直使う予定もないから、ごしゅじんさまにあげてもいいくらい。
(できると思ったのにね。)
最初のラノベを書き終えたとき、文章を書くのがあまりにも嫌になって、なぜか今度は絵を描こうって気になった。たぶん、ごしゅじんさまが絵を描くのが好きだから、そうすれば自分もごしゅじんさまに近づけるって思ったんだ。
だから私はまず最初に、年賀状で送られてきたごしゅじんさまの絵をトレスして練習することにしてみた。線を写すだけなのに、なんかちょっと上手になれたような気がするから、トレスは好き。でも、ちょっとレベルアップして模写をしてみた瞬間、体のバランスが崩れて、目も左右でずれて、フランケンシュタインの怪物でも描いたみたいになった。
こんなに難しいことができるなんてごしゅじんさまはすごいって再確認できたけど、やっぱり私はごしゅじんさまにはなれないんだって気持ちのほうが強かった。それで結局デジタルで何かを描くことはないまま、今みたいに電源コードの抜かれた飾りになった。
(動画見たときはできるって確信してたはずなんだけどな……)
MIDIキーも似たようなもので、イラストよりもずっと無理だって感じがした。今じゃもうソフトの使い方も忘れてるし、勉強したはずのコード理論なんて初めて聞く言葉だった。それでも机の上にこうやって置いてあるのは、こうしてればいつか才能に目覚めるかもしれないから。
「耳コピ動画とか作ってみたかったなぁ……」
それに比べれば、ラノベを書くのはまだ続いてるほうだと思う。別に書きたいからじゃなくて、ごしゅじんさまに「リメイクする」って言っちゃったからってだけ。そのおかげで、評価されないってわかってても書き続けてる。でも、リメイクしても結果は変わんなかった。
ごしゅじんさまは「毎年やれば?」って言ってたけど、次のリメイク案なんて私にはもうなかった。きっと、私の人生はもう寿命なんだ。
<4>
私の頭の中に、ごしゅじんさまの顔が浮かんだ。年収千四百万に世界に向かって歩いてる、私の大好きな人。白衣を着て、微笑みながら患者さんに「お大事に」って言って、私とは全然違う場所にいる。こっちは年収どころか生涯賃金がゼロの世界を漂ってて、これじゃ隣に立つどころか、遠くの立見席すら買えやしない。
お金で人の価値が決まるわけじゃないのは知ってるから、収入の問題であれこれ考えて劣等感を感じてるとかじゃない。でも、私は今全然楽しくないラノベ作家のおままごとをしてて、ごしゅじんさまはたぶん毎日楽しく大学に行って歯医者さんを目指してる。
『人生なんて、楽しいのが一番に決まってんじゃん。安定した収入なんて二の次でいいでしょ。』
そう言ったのは確か私のほうだったはずなのに、振り返ってみれば、楽しかったことなんて一回もなかった気がするし、そのくせ安定した収入なんてものも持ってない。
(……いや、一生ゼロのまんまだからむしろ超安定してる?)
自分で言ってて笑えなくなった。
そんなことを考えてると、やっぱりどこかで道間違えたんじゃないかなって思ったりする。もちろん、私は運命に従って最良の選択をしてきたつもりだし、魔術が使えるようになったときも、これは希望なんだって信じてた。でも、実はもっとやりようがあったのかもしれないし、そもそも魔術が使えるようになったときにはすでに全部が手遅れだったのかもしれない。
例えば、じいじとばあばに都会を追い出されてなければ。中学の時に冤罪にかけられてなければ、ちゃんと小学校に通えてれば、そもそもこんなド田舎に引っ越してこなければ、何かもっといい未来があったかもしれない。
(考えても無駄か……でもなぁ……)
もう起きちゃったんだからしょうがない。その過去から導かれる運命の中でも、せめてマシなものを選ばないといけない。ちょっと前までの私はそう言ってきたけど、今の私はもう選ぶことすらできなくなってる気がする。ゲームみたいに、人生をリセットしたかった。
<5>
最近は本当に忙しかった。大学の講義と実習は朝から晩までみっちり詰まっていて、レポートの提出期限に追われながら、サークルの後輩の相談にも乗らないといけない。その上一人暮らしだから、家に帰ればご飯を作って、洗濯をして、掃除をして、買い出しに行って、それだけで一日は終わってしまう。
何かを犠牲にしないと成り立たない毎日で、今の翠にとっては、それが絵を描く時間だった。
(……疲れた……もっと絵描きたい……)
歯医者になるための勉強も、将来への準備も、人付き合いも、どれも大事なことだと分かっている。けれど、やはり筆を執らなくなると心のどこかが乾いてきて、二年生までの、もっと自由でぼんやりとした春のような空気が懐かしかった。
あの頃はよかった、なんて簡単に言いたくはないが、ふと「もしあのとき本気でイラストレーター目指してたらどうなってたかな?」と思うことがある。普段はそんなことを考える余裕すらもないのだが、ユイからのメッセージが来ると、どうしても意識してしまう。
『ねえごしゅじんさま。私来年配信者やってみたいからさ、アバターの絵描いてくれないかな? もちろん報酬はちゃんと払うよ!』
ユイからそんなメッセージが来たのは、確か一昨年の秋か冬くらい。三年になったら実習で忙しくなるみたいだから無理だと返事した覚えがある。あのときはそこまででもないかと思っていたが、今になって思えば正しかった。
メッセージのやり取りを見る限り、あの子はあの子なりに頑張っているらしい。努力して書いて、投稿して、それでも上手くはいかなくて、泣き言のような文章が送られてくるたびに少し胸が痛むが、同時に、自分の選んだ道に対してある種の納得も生まれてくる。
あの子のように今でも夢を諦めきれないでいたら、きっと泣き言を言っているのは翠のほうだったかも。今の翠は歯医者という現実的な夢に手を伸ばそうとして、ちゃんと前に進んでいる。
「……もうちょっとだけ、描きたいんだけどな……」
呟いた声は、自分でも驚くくらい小さかった。
<6>
私のじいじとばあばは世界で一番優しい人で、毎日おいしいご飯と温かいお風呂を用意してくれて、欲しいものがあったらなんでも買ってくれる。私が夢を叶えられるように応援してくれる。
「孫が立派な作家になるのを応援するなんて、家族として当然のことだろう。」
「ええ、ユイちゃんならきっといい本が書けるからねぇ。」
そう言って笑う二人を見ていると、胸の奥があったかくなる。これまであのド田舎でずっと一人ぼっちだったこととか、先生にも生徒にも嫌がらせをされていたこととか、そんなのが全部許せるくらいだ。
都会に戻ってきてからの私は本当に幸せになったと思う。朝起きて色とりどりのご飯を食べて、部屋にこもってラノベを書いて、色んな動画とか本とかを見たり読んだりして、気づいたら夕方になっててご飯の匂いがキッチンから漂ってくる。
ヒビキ兄さんとお話を考えてたときは辛くて重たい世界の話だったけど、今の私には明るいお話が書けるようになった。笑える主人公と、支えてくれる仲間と、夢に向かってまっすぐ進んでくストーリー。こういうのを書いてると、自分でも元気になってくのがわかる。
「投稿が始まるのが楽しみだなぁ。」
「私たちももっと長生きしなきゃねぇ。」
「そうだよ。完結するまで死んじゃダメだからね!」
投稿を始める運命の日まではまだちょっと時間があったけど、私のほうは準備万端だった。キャラ表とか相関図も用意して、じいじとばあばに何回も読み返してもらって、そのたびに面白いねって言ってもらえた。
そんな話をしてるうちに投稿が始まって、最初の数話は静かだったけど、投稿を続けてるうちにちょっとずつ読んでくれる人が増えて、ランキングの端っこのとこに名前が載った日があった。私はすぐに画面をスクショして、それをじいじとばあばに見せてあげた。
「見て見て! ほらここ、ランキング載ってる!」
「すごいじゃないか! やっぱりユイは天才なんだな。」
そのうち書籍化の話が来るかもしれない。なんならアニメ化だってしちゃうかも。もしそんなことになったら、ミドリちゃんに連絡してイラストお願いしないといけない。きっと今ごろは専門学校とかに通ってて忙しいけど、私たちの仲と約束なら、たぶん描いてくれる。
<7>
小学校のころは、まあ色々あった。先生に毎日体温計でいじめられて、いつの間にか学校になんて行かなくなってたし、そんなだから友達なんて一人もいなかった。
でも、中学に上がってからはちょっとずつ変わっていった。新しい制服を着て、知らないクラスメイトたちに囲まれて、最初は緊張してたけど案外普通に話せた。小学校ではほとんど関わりのなかった子たちともちゃんと話せたし、今まで見たことのない子たちとも笑えるようになった。二年生になるころには親友っていえる子が何人かできてて、三年生のときにあの子と同じクラスになった・
「……もしかしてミドリちゃん?」
「え? まさかユイ? 学校来れるようになってたんだ~!」
小学校のときに唯一優しくしてくれた記憶のあるミドリちゃん。中学ではちょっと雰囲気が変わってたけど、いざ話してみると昔と変わらず優しくて、真面目で、でもどこか抜けてる感じで、私たちはすぐに友達になった。
そのあとはマンガの貸し借りをして、休日は一緒に田舎村の中で遊んだり、文化祭では同じクラスで出し物をしたりした。高校に行ってもこんな日々がいいね、なんて話してたらほんとにみんな近所の同じ学校を選んで、また毎日がにぎやかになった。たまにミドリちゃんのおうちに遊びに行ってはマンガを読んだりイラストを見せてもらったりして、朝から夕方までみんなで外で遊んだり家でゲームしたりして、それでもまだ話し足りないからって、買ってもらったスマホでメッセージを送り合ったりした。
「私、イラストレーターになりたいんだよね。」
「知ってる。じゃあ私はラノベ作家かな~。」
進路の話が出てきたとき、私たちは自然とそんな夢を語り合った。そういう専門学校に行こうって決めて、お互いの作品を見せ合って、褒め合って、毎日がマンガの中みたいにキラキラしてた。そんな時間を過ごしていくうちに、私はただの友達で終わりたくないって思うようになっていった。
だから卒業式の日、私は思い切って勇気を出して、ミドリちゃんに告白した。
「私ね。ミドリちゃんのこと、ずっと好きだったんだ。たぶん小学校のときから。」
ミドリちゃんは最初ちょっとびっくりした顔をしてたけど、すぐに「なんかのアニメみたいだね」って照れ笑いして、それからまっすぐに頷いてくれた。
「うん。いいよ。」
それだけで、世界のどこかが変わった気がした。あんなに退屈だった小学校の六年がふっと消えて、そのあとの六年は、ずっとずっと輝いてた。一緒に勉強して遊んで、一緒に泣いて笑って、二人で夢を追いかけて、世界がこんなに楽しいなんて、あの頃は思ってもみなかった。
<8>
連休になると、私はなんだかテンションが上がってしまう。普段の土日もまあ楽しいけど、だいたいは家でアニメ見たりゲームしたりでだらだら過ごすだけ。でも連休はじいじとばあばの家に行けるからちょっとわくわくする。さすがに三連休のたびにってわけにはいかないけど、お盆休みと年末年始、ゴールデンウィークと、あとなんか秋のやつ。だいたい季節ごとに一回は行ってる気がする。
パパの車に揺られてじいじとばあばの家の前まで行くと、なんか空気が止まったみたいな感じがした。家の中に入ると、この前と全く変わらない匂いが出迎えてくれて、じいじがリビングの柱身長を記録してくれる。
「お、また伸びたな。」
「そうかな? なんも変わってない気がするけど。」
「いやいや、ちゃんと成長してるってことだ。」
それから決まって、リビングの椅子に三人で座って近況報告会みたいなことが始まる。この数ヶ月で何があったか、学校の友達のこととか、テストのこととか、私はちょっとだけ緊張しながらも一個ずつ話していった。夜ご飯のときになると、今度はじいじがお酒を飲みながら自分のことを話す番になる。とは言っても、今何してるとかじゃなくて、昔はこうだったっていうやつ。
「俺の若い頃はな、学校なんて行かずに大人に混じって仕事を――」
海外を飛び回ってたときのこととか、子供時代のバイトの話とか、中にはちょっと信じられないような話もあった。私はこの街を出ていくつもりはないし、冒険なんてゲームの中だけでいいって思ってるけど、そういう話を聞くのは嫌いじゃないし、むしろちょっと憧れるくらいだった。
「で、少年は何になりたいんだ?」
じいじがそう訊いてくると、私はテレビをつけて、アニメのチャンネルに切り替えた。画面の中ではカラフルなキャラが元気に動き回っている。
「アニメーターって言ってね、こういうのを作る人。ああいうの描いてみたいって思ってるんだ。」
「ほう。アニメーターってのか。」
「昔から絵描くの好きだったもんね。ちょっと待ってて。」
ばあばはふと思い出したみたいに昔のアルバムとか幼稚園の頃のお絵描き帳とかを持ってきて、昔の写真とか絵を見せてくれた。小さい頃の私がじいじの肩車に乗って笑ってる写真とか、なんかよくわかんない迷路みたいな地上絵みたいなものとか、そんなのがいっぱい残ってた。
「懐かしいねぇ。あっという間に大きくなって。」
ばあばはそう言いながらページをめくって、私はちょっと照れくさくなったけど、でも写真の中にいる私を否定はできなかった。そこにいるのは確かに私で、今もちょっとずつその続きを生きてるんだから。
<9>
バスの中で、私はミドリちゃんと隣の席に座っていた。何の話をしてたのかはよくわかんないけど、たぶんアニメの話だったと思う。でも、次の瞬間には全然違う話をしてたから、もう思い出せない。ミドリちゃんのリュックにぶら下がってるキーホルダーがカランって揺れて、なんか懐かしい感じがした。
幼稚園につくと、みんなでぞろぞろ教室に入って、それから自由時間になった。私がぼーっとしてると、ミドリちゃんはお絵描き帳を開いて、いつもみたいに何かを描き始めてた。
「一緒に描いてもいい?」
「いいよ!」
私はその隣に座ってしばらくその絵を眺めてたけど、やっぱり同じことをしてると安心するから、私もクレヨンを取り出して、真っ白なページによくわからないものを描きはじめた。何を描いていたのかはわかんないけど、たぶんミドリちゃんの真似だったと思う。ミドリちゃんみたいに上手にはできないけど、同じことをしてるってだけでちょっと仲間っぽいのがおちつくんだ。私は誰かのそばにいるのが好きだった。
お昼前に先生が「将来の夢を紙に書きましょう」って言いだして、クレヨンと画用紙が配られた。私は何にしようか迷ったけど、ミドリちゃんの紙を見たら「イラストレーター」って書いてあった。
「イラストレーター? なにそれ?」
「可愛い絵を描くお仕事だよ。」
私はなんとなくカッコいいって思った。可愛くて絵を描く仕事なんてミドリちゃんにはぴったりだなって思った。私は自分の画用紙に「まじゅつし」って書いた。ミドリちゃんと同じ夢にはできなかったから、ちょっと違うけど似てる感じのやつを選んだ。
「まじゅつしって何?」
「何でもできるお仕事だよ!」
小さい頃からずっと一緒にいると、幼馴染っていう特別な存在になれるんだって誰かが言ってた。たぶんアニメの中で聞いた話だけど、私はそれを聞いたときに、「あ、私とミドリちゃんのことだ」って思った。だって、同じバスに乗って、同じ幼稚園に通って、同じ時間を過ごしてるんだから、きっと大人になったらすごく特別な関係になれる気がしてた。
でも、ある日急にそんな時間が終わった。
「ユイ、もう引っ越しの準備はできた?」
「うん。でもなんで?」
「ここはもう危ない場所だからよ。」
ミドリちゃんともお別れなのかって思ったら、なんか胸がぎゅーってなった。せっかく幼馴染になれるはずだったのに。将来の夢も一緒に叶えるはずだったのに、ずっと一緒にいるはずだったのに、そんな竜の瘴気とかいうののせいで全部がなくなった。
<10>
他のみんなは同じ教室で授業を受けてたけど、私だけは違い教室にいた。その教室には分厚いカーテンが取り付けられていて、外からは中が見えないようになっていた。まるで何かの秘密を隠すための部屋みたいに。
私はみんなよりも遅く登校して、早く帰った。校門から出入りすることもなかったし、教室の扉には鍵がかかってて、自由に出入りすることもできなかった。私はこの教室で先生と一対一の授業を受けていた。何を教わっていたのかはもうわかんないけど、簡単すぎてつまんなかったのだけは確かだった。たぶん授業をしてたんじゃなくて、私を学校に通ってるってことにするための授業のフリだったんだと思う。
「あ、ミドリちゃん、おはよー!」
「おはよう。今日は何して遊ぶ?」
でも、お昼の時間だけはちょっとだけ楽しかった。その時間になると、たまに隣の教室からクラスメイトが遊びに来てくれることがあったから。この部屋には学校とは思えないくらいにたくさんのおもちゃがあって、たとえばパズルとか積み木とかブロックとか、絵本やゲーム機、色鉛筆とかも置いてあって、なんか図書館とゲーセンとおもちゃ屋が合体したみたいな空間だったから、誰かと一緒にいれば退屈じゃなかった。
その中でも、よく来てくれたのがミドリちゃんって子だった。ミドリちゃんはこの街でちょっと有名なお嬢様らしくて、制服もほかの子とはちょっと違ってた。私はアニメをいっぱい見てたから、お嬢様っていうのはだいたい嫌味で高飛車なキャラだと思ってたんだけど、ミドリちゃんは真逆っていうか、天使みたいだった。
「じゃあ今日はこれ!」
「将棋? にしてはちょっとマス目の数が違うような……」
いつもにこにことしてて、気遣いができて、おしゃべりが上手で、私がついしゃべり過ぎちゃうときでもそっと隣にいてくれて、黙って一緒に絵を描いてくれたりした。しかもやたら上手い。何の意味もないような話をしながら飽きるたびに遊ぶものを変えて、それでも付き合ってくれた時間はたぶん、私の人生の中でも指折りの幸せな時間だったと思う。
私はミドリちゃんのことを仲のいい友達だって思ってるんだけど、それを確かめる前に卒業式の日が来た。私は式の日程すら知らなかったけど、ある日その教室に行ってみたら、みんなの視線がすごく冷たく刺さったんだ。もうカーテンもなくなってて、普通の教室に普通のクラスメイトが座ってたんだ。
<11>
私がパソコンに向かって、前に書いた原稿の手直しをしてたとき、ふいにスマホが震えた。誰だろうと思って画面を見たら、ミドリちゃんからのメッセージだった。
『次の挿絵なんだけど、イメージラフ二案出したからどっちがいいか見てほしい~!』
スタンプのうさぎがぴょんと跳ねてて、私はすぐに返信をした。
「今書いてるとこだからあとで見るね! いつもありがと!」
ミドリちゃんは私の昔っからの幼馴染で、中学まではずっと一緒のクラスにいて、私が思いつくたびに話してた妄想を何でも絵にしてくれるっていうすごい特殊能力の持ち主だった。ストーリーの断片をそのままイラストにできる人ってそんなに多くないと思う。
でも、高校に入って私たちは離れ離れになった。私はそもそも高校には行ってなくて、小説を書いたり音楽を作ったりして生活していて、ミドリちゃんはすごく遠くの高校に通うために引っ越しちゃったから、もう日常的に会える距離じゃなくなった。
そんな離れ離れになっちゃったあとでも、私の小説の最初の読者はいつもミドリちゃんだったし、書籍化するときの表紙とか挿絵、サムネイルを頼むのも決まってミドリちゃんだった。もうここまで来ると、ミドリちゃんのイラストに合わせてお話を作ってるって言っても過言じゃない。
(女子高生イラストレーターって肩書、いいよね。)
私は高校生作家。厳密には高校に行ってないから、その呼び方でいいのかたまにわかんなくなるけど、一応年齢的にはまだそんな時期にいる。一方でミドリちゃんは紛れもない「女子高生イラストレーター」だ。SNSではその肩書も相まってかバズることもあるし、私は詳しく知らないけど、たまに企業からの依頼も来てるみたい。本人は趣味で描いてるだけって言うけど、それにしてはしっかりしてると思う。
「よし。キリもいいしさっきのイラスト見て見よっかな。」
ただ、一個だけ思うところがあるとすれば、最近は中学までのときみたいにただ笑いあって、くだらない話をして、寄り道しながら帰ってたような関係とはどこか違うってことだった。今はただの仕事仲間って感じが強い。もちろんそれは嫌なことじゃないし、どっちかっていうと誇らしいことだ。でも、もし万が一、私が何も書けなくなって依頼を出せなくなったら、そのときミドリちゃんはただの友達に戻ってくれるのかな。
(金の切れ目が縁の切れ目っていうし……)
実際にはそんなに冷たい子じゃないってのは私が一番よくわかってるけど、今の私たちはそういう線で繋がってるみたいに感じちゃうときがある。だから私はもっと作り続けなきゃいけないんだ。もし評価されなくなっても、才能がなくなっても、やり続けなきゃいけないんだ。そうじゃないと、ミドリちゃんとの関係が終わっちゃうから。
<12>
クリスマス。私が配信者としてデビューする二日前。その日、私はミドリちゃんと二人で、私の故郷までドライブに来てた。運転手はもちろんミドリちゃんで、私は免許なんて持ってないからしょうがない。助手席で鼻歌まじりに窓の外を見てると、いつの間にか街の空気が懐かしさに染まってた。ビルの高さ、平坦な道、信号の間隔、何もかもが子供の頃の記憶に重なってく。
「ナビ合ってる?」
「合ってるよー。次の信号はたしか右ね。」
「なんか不安だなぁ……」
私はにこにこしながら嘘のないガイドを続けた。今日の目的は、配信デビュー前に大事な人と来るって決めてた場所を実際に巡ることだった。
「今年はほんとにお世話になりっぱなしだね。」
「いいよそんなの。友達でしょ?」
私が一年前に一人で書いたラノベは、正直全然ダメだった。でも、今年出したリメイク版にはそこそこの反響があった。ミドリちゃんが手伝ってくれたから。ミドリちゃんはイラストレーターでもあって、同時に小説家でもあるすごい人。どんな世界観でも、それに合ったイラストと言葉を生み出せる万能少女だった。私はそんなミドリちゃんと友達だっていう特権を使って、ラノベの共同制作と配信者アバターのキャラデザを描いてもらった。こんなに私によくしてくれる子は、この世界に一人しかいないと思う。
「着いたよ。まずはどこから行くの?」
「まずは腹ごしらえかな。朝からなんにも食べてないし。」
最初に立ち寄ったのは中華街。ミドリちゃんは「せっかくだから店入ろうよ」って言ってたけど、私は焼き栗を二袋買った。紙袋を抱えて歩きながら、海沿いのベンチに腰掛けて、二人でもぐもぐと食べた。
「これ、ご飯っていうか、おやつじゃん。」
「いいの! これも昔の思い出なんだから!」
次に行ったのは展望台。イルミネーションが灯り始めて、街全体が宝石箱みたいになっていた。「次に来るときは一番大事な人と来る」って、子供のときに勝手に決めてた約束を、今日やっと叶えることができた。
「ここ超好きなんだよね。」
「うん。なんか分かる気がする。」
「今ここで手を繋いでるってことがさ、いつか誰かのラノベの元ネタになったりしてね。」
「それ自分で書くやつでしょ。」
「あ、バレた?」
展望台を出たあとはロープウェイにも乗った。これは私が前に来たときはなかったやつで、知ったときから密かにずっと乗ってみたかったんだ。ミドリちゃんは「これ本当に乗らなきゃダメ?」ってぼやいてたけど、最後にはちゃんと付き合ってくれた。
そして最後は観覧車。夜景の中をゆっくりとゴンドラが回る。ちょうどてっぺんに差しかかったとき、私はそっとポケットから小さな箱を取り出した。
「なにそれ。」
「指輪!」
「なんでそんなもの……」
「だって私いつも書いてるじゃん。」
私は箱を開けて、小さな銀の指輪を取り出した。ミドリちゃんの右人差し指にそっとはめる。
「どう? 雰囲気あるでしょ?」
「まあ覚えてるよ。私も散々設定聞いたからね。」
「よかった~! これ再現してみたかったんだよね~!」
「じゃあ私もしてあげる。」
ミドリちゃんは少しだけ笑って、私の左手を取った。もう一つの指輪を、私の左薬指にそっと通してくれる。どっちもそんなに高いものじゃなかったけど、今日だけは世界で一番綺麗だった。
「これで私たちも夢の世界の住人だね。ごしゅじんさま。」
「そうだね。でもなんでごしゅじんさまなの?」
「それは気にしない気にしない!」
ゴンドラがゆっくりと地上へ戻る。夢の時間は終わらない。
<13>
窓の外はまだ薄暗くて、世界中が水に沈んでるみたいに静かだった。なんか、すっごい長い夢を見てた気がする。それは私が「こうだったらよかったな」って思うようなことが全部詰め込まれた夢だった。
ごしゅじんさまと笑いながら過ごした時間、夢みたいな環境での創作活動、優しく受け入れてくれるじいじとばあば。そして何より、ごしゅじんさまと指輪で結ばれる姿。全部私が欲しくてたまらなくって、それでも手に入らなかったり、手からこぼれ落ちていったものばっかり。
(あれが現実だったらよかったのにな……)
私がそう思いながら瞬きをすると、視界が一気に現実の色に戻った。天井の木目、うっすら埃をかぶった液タブ、散らかったままのアイデアメモと空っぽのペットボトル。
パソコンの画面はつけっぱなしで、一文字も入力されてない編集画面が虚しく光ってる。たぶん、あまりに書けなさすぎてやる気をなくして、ふて寝でもしたんだと思う。もしくは、何もかも諦めちゃって、そのまま現実から逃げようとして寝たのかもしれない。
「どっちだったかな……もう覚えてないや……」
私は布団にくるまったまま、うずくまるみたいなポーズで眠ってた。私は顔をぬぐおうとして、初めて涙の跡に気付いた。どうやら泣きながら寝てたらしい。涙の跡はすでに乾きかけて貼りついてた。
「やっぱり私はごしゅじんさまの隣に立つなんてできないなぁ……」
私にはごしゅじんさまを支えられる力もないし、一人で生きていける力もない。そんな私がごしゅじんさまと付き合ったりなんてしたら、絶対にごしゅじんさまは幸せになれない。夢の中の私は全部を持ってたのに、現実の私はなんにも持ってない。
パパの足音が、一回からゆっくり近づいてくるのが聞こえた。きっと今日も「仕事しろ」とか「一人暮らししろ」って言われるんだろうな。私はさらに布団を頭までかぶって体を丸めた。目を閉じて、耳をふさぐみたいに深呼吸する。
(起こされるまであとちょっと寝てよ……)
ごしゅじんさまと一緒にいられないなら、この世界のことなんて全部どうでもいいや。
原初の魔女は永遠の孤独を拒み、一人静かで永い眠りについた。
逆巻く熱情は幾つもの断章を裂き、やがて終わりの始まりへと還っていく。
何度でも、同じ未来を繰り返すために。




