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85:// かむくら、もゆ。

 日の出と共に、月の鐘が鳴り響く。

 これは、誰よりも遠い過去を見て、誰よりも遠い未来へと歩んだ、第七の魔女の物語――

 死者の鉤爪が空から降り注ぎ、地表には癒えることのない痕だけが遺された。

 <1>


 結局、メアはほとんど眠れなかった。興奮していたわけでもないし、泣いていたわけでもない。ただ、目を閉じていても心が休まらなかっただけだ。故郷に帰ることはずっと夢見ていたことのはずで、ベアトリーチェと別れるといっても現実だけのことだし、それで自由と故郷が手に入るなら悲しみなんて感じないと思っていた。それなのに、メアはベッドの上で何度も寝返りを打ち、そのたびにあの柔らかな声や無防備なパジャマ姿が頭をよぎった。


(……ベアトリーチェさまのことは大好きだけど、ここまでだったんだ……)


 メアは眠い目をこすりながらキッチンに立った。冷蔵庫には昨日のうちに用意しておいた朝食のパックが並んでいる。簡単に温めるだけで食べられるようにしておいたのだが、こんなに早く起きた、いや、全く眠れなかったせいで無駄になった


(……まあいっか。これは私からのプレゼントってことで。)


 メイド服に着替えたメアは、一から作ることにした。卵を割り、トーストとベーコンを焼く。お茶の香りが漂ってきたあたりで、彼はようやく少し気がまぎれた。

 彼は料理を終えると、一度だけベアトリーチェの部屋をノックし、返事がないことを確認してすぐに次の家事に移った。洗濯機を回し、風呂を洗い、掃除機をかけていく。普段なら、ベアトリーチェを起こさないように静かに家事をこなすのだが、今日はむしろ、少し音を立てても早く朝食を済ませてほしかった。

 部屋をひと通り片付け終えたあと、彼は再びベアトリーチェのの部屋の前に立ち、軽くノックをした。


「……お嬢様ー? 起きてるー?」


 返事叶い。きっとまだ夢の中でイラストでも描いているか、流星祭の参加者たちに囲まれているのだろう。いつものメアなら、ここでしばらく立ち尽くして、彼女の寝顔を想像したり、一緒に寝ているところを妄想したりして、一人でニヤついていただろう。だが今日の彼は時間にも心にも余裕がなかった。彼はポケットからスマホを取り出し、短くメッセージを送った。


『おはよ! 朝ごはんできてるから、早めに来てくれると助かる!』


 送信音が鳴る。これで大丈夫、ベアトリーチェならきっと来てくれるはずだ。メアはスマホをポケットにしまい、キッチンへと戻った。今さっき作った朝食はすでに冷めていて、彼は再びトースターを起動し、ベーコンと卵を焼き直した。


(今日が私の人生のクライマックスだね。)


 その始まりがこうして静かに、パンとベーコンの香りに包まれているのは幸せなことなのだろう。外はまだ暗く、空が薄っすらと紫がかっていた。


 <2>


 ベアトリーチェが起きてきたのは、メアがお茶を淹れ直していたタイミングだった。パジャマの上に分厚いガウンを羽織っただけの格好で、眠たげな目をこすりながら、よたよたとリビングに入ってくる。


「……おはよ。今日はなんか朝からうるさかったね。ルナリアまで連絡飛ばしてくるなんてさ。」

「誕生日だからね。今日は朝から戦闘モードってわけ。」


 メアはそう言って、焼き直したてのトーストを彼女の皿に乗せた。卵もベーコンも焦げていない、最終日の朝には相応しい食事だ。ベアトリーチェは素直に席につき、眠たげな目で朝食を眺めたあと、口元を緩めた。


「今まで毎日作ってくれてありがとね。美味しかったよ。」


 その一言で、メアの胸は少しだけ痛くなった。この穏やかな朝食も、今日でおしまいだ。彼はパンをかじりながら、今日の予定を話した。空中からの降下、敵勢力の殲滅、月の彼方の奪還、もう何十回も繰り返したような話で、ベアトリーチェはとっくに全て知っているだろう。それでも彼女は口を挟んだりせず、真剣に話を聞いてくれた。


(やっぱりベアトリーチェさまと話してると落ち着くなぁ……)


 食事を終えたメアは、洗い物を始める前に一度リビングを離れ、自分の部屋からあるものを持ってきた。両手で抱えてもまだ零れ落ちそうなほどの遷遺物、どれも彼がこのベアトリーチェの家で家事をこなすために探し出したものや、自分で作ったものだった。


「……何それ」

「今まで二年以上も住まわせてくれたから、そのお礼ってことで。」


 メアはそれらをテーブルに並べて、一つ一つ手に取りながら説明していった。ベアトリーチェは小さく笑いながら、並べられたものを一通り眺めている。


「――ってな感じ。なんか欲しいのあったらあげるね。」


 そう言って、メアはキッチンに戻り食器を洗い始めた。静かな水音と、泡のはじける音が部屋の中に心地よく響く。片付けを終えたあと、彼がふとリビングを覗くと、ベアトリーチェはまだ遷遺物の前に座っていて、けれど彼女は手を伸ばしてはいなかった。


「……私はなくても大丈夫かな。メアが向こうで使ったほうがいいよ。」

「そっか。じゃあそうするね。」


 優しくて静かな、けれどしっかりした声で、受け取ってもらえなかったのは残念だったが、それ以上に彼女らしい答えだとメアは感じた。彼はそのまま自室に遷遺物を戻した。今日の戦争で何か一つくらい、思わぬ活躍をするものがあるかもしれない。


「……じゃ、そろそろ私は行ってくるね。おやすみ、お嬢様。」

「私も行くよ。今日のお祭り、隣で見ててあげる。イラストの参考になるかもだし。」


 そのまま立ち上がってベアトリーチェに向き直り、いつもの調子で手を振って自分の部屋に戻ろうとしたとき、彼女がそう声をかけてきた。メアは一瞬動きを止め、それから静かに振り返る。彼女はまだ眠そうにあくびをしていたが、ちゃんと目を開けていた。


「ありがと。月の彼方、帰って家とか建て直したら招待状送るね。」


 メアはその言葉を残して自室に戻り、温かな布団に潜り込んで目を閉じた。流星祭最終日の告知は大々的に打っておいたから、きっとたくさんの人が集まっているだろう。彼は現実に帰るために、夢へと一歩踏み出した。


 <3>


 ルナリアの空は、今日も光に満ちていた。幻想的な夜景の下、狂気山脈の一角に再現された月の彼方のジオラマ模型にはすでに多くの人々が集まっていて、シオンはその中心地に姿を現した。冬季流星祭の最終日、いよいよ今日、戦いの幕が上がるのだ。

 しかし、まず最初に彼女が向かったのは恒例の場所、アンダーカルチャーコーナーだった。現実では首都に相当するエリアの一角を取り壊して作った展示会場、そこでは今日も淡々と、どこか熱狂的に、一糸纏わぬ少女たちのイラストの展示会が開かれていた。


「お、シオン様じゃん。今日は出展? 参加?」

「祭りの安全確認の一環だよ。まあ新作できてたら見せてもらうけどね。」


 シオンは慣れた様子でブースを覗き、テーブルの上に並ぶイラストや立体造形を見て回る。どれもレベルが高く、熱量に溢れていた。


「聖騎士が来る前に頒布しきりたいんだよね~。」

「そうそう! 今日が最終日だからさ、できるだけ多くの人に見てもらわないと!」


 クリエイターたちは声を揃えてそう言いながら、てきぱきと作品を並べ、笑顔を浮かべていた。彼らは自由には終わりがあると知っていて、だからこそ今のうちに作ろうとしている者達だった。シオンは小さく笑って、彼らに背を向けた。


「……これを終わりになんてしないからな……」


 次に向かったのは首都ではなく港町のエリアで、そこにはまだヤドハベースが停泊していた。構想含めて建設に五年をかけたシオンの本拠地で、今日の作戦では最前線に立って戦う一種の宇宙船だ。

 こちらの街の広場にも行列ができていて、彼らはシオンの作品の、厳密にはベアトリーチェのイラストのファンだった。若干視線がシオンを素通りしているような気もしたが、それでも彼らの目は真剣だった。しばらくして、そのベアトリーチェが現れると歓声が上がった!


「来た! 来た来た!」

「神様……!」


 シオンは呆れたように肩をすくめたが、内心では少しだけ誇らしかった。そして今日は、そんなファンの中にもう一つのグループがあった。戦争のマニアたちだ。彼らはただのファンではなく、今日の戦争というコンテンツを観察し、参加すらしようとしている者たちで、ルナリア内ならばそれも自由だった。シオンは彼らの視線を真正面から受け止め、予定していた時間が来た。


「同志諸君! 今ここに、我らが計画の第七段階が成就される時が来た! 月の彼方を奪還し、全世界に真の自由を取り戻す――この瞬間こそが、人類の夜明けとなるだろう!」


 シオンの声が響く。言葉の中身はいつも通り、中二めいた決まり文句ばかりだったが、彼女の目と声には本気があって、その熱が観衆にも伝播していった。

 祭りのようなテンションで、人々は歓声を上げる。アンダーカルチャーの愛好家も、ベアトリーチェのファンも、戦争マニアも、ただの野次馬も、皆が一つになって、熱気と狂気の祭りを祝っていた。その中心にはシオンと、そしてベアトリーチェがいる。特異点の怪物として、創作の象徴として。


 <4>


 聴衆の熱狂が続く中、シオンは即席で設置された壇上に上がった。声援が空にこだまする中、彼女は小さく咳払いし、真剣な顔を作った。


「同志諸君! 早速だが、本作戦――ルシファー作戦の概要を説明する! この作戦は我々の意志と希望、未来の全てを結集させた自由のための作戦である!」


 どこかで聞いたような作戦名。内容を聞いている者のほとんどは理解していないか、理解する気がないかのどちらかだったが、それでもシオンの目はまっすぐだった。これは観客のためではなく、自分のための儀式なのだ。


「本作戦の目標はただ一つ、月の彼方の奪還である!」


 ベアトリーチェがその横で空中に絵を描き始め、シオンの言葉に合わせて簡易的なマップが展開された。


「まずは第一段階、ここと現実を繋ぐ回廊の入り口を目指し、我々は月の表側まで進軍する。この間、ミノタウロスの檻による追撃が予想されるが、これに対しては回避に徹し、攻撃は行わない。」


 浮かび上がるルート、遷遺物のアイコン、それらを飾るベアトリーチェの可愛らしいタッチ。完全に軍事作戦の図解ではなく、ちょっと可愛いパンフレットのような仕上がりになっていたが、これもまたルナリアらしさというものだろう。


「回廊に突入した段階で、作戦は第二段階に移行する。回廊内で全武装を展開し、内部に展開する聖騎士団を漸減しつつ現実世界に降下する。現実に到達した後、第一次攻撃を開始。月の彼方の周辺に展開する敵勢力を殲滅する!」


 ベアトリーチェの手は止まらない。ペンですらすらと空に描いていくその姿は、もはや魔法そのものだった。


「そして第三段階、地上の敵勢力を殲滅した後、ナグルファルは月の彼方の沿海に降下、上陸部隊を展開して中心部を目指し、完全なる制圧を行う!」


 図の中央に、シオンの自作ジオラマが描かれ、そこに「奪還完了!」の文字が大げさなフォントで浮かび上がると、聴衆の表情が変わり始めた。先ほどまではただの見物人だったはずの者たちが、少しずつ参加者の顔へと変わっている。

 観客の中には肩を組んで拳を振り上げる者も出始めていた。ベアトリーチェが最後に描いたのは、勝利を象徴するヤドハベースが月の彼方の上空を凱旋する絵だった。それは現実にはあり得ないが、しかし、一番絵になる理想の勝利図だった。


「以上がルシファー作戦の全容だ。なお、本作戦はすでに発動している。この戦いに参加する者は名乗り出るがいい! 我らの自由をその手で掴もうではないか!」


 どっと湧き上がる叫び声と拍手、挙手、笑い声。明らかにノリだけで参加を表明する者もいたが、それでいい。真剣なのかふざけているのか判別がつかないが、この混沌さこそがルナリアだった。

 シオンは一瞬、空を見上げた。そこには故郷の星はなかったが、彼女には月の彼方の景色が見えていた。ただ帰りたいだけの夢、だがその願いはいつの間にか多くの心を動かしていて、彼女は神話になっていくのだ。


 <5>


 ナグルファルの格納区画には、ルナリアじゅうから集まった参加希望者たちが和気あいあいと乗り込んでいた。その様子は遠足化文化祭か、少なくとも戦争ではない賑わいだったが、誰も咎める者はいない。ここはまだ夢の世界であり、秩序すらも意志と物語が上書きしてしまうのが道理の世界だった。

 そんな喧騒を背に、シオンとベアトリーチェの二人は司令室へと入った。シオンが艦内放送のようなノリで宣言する。


「今この瞬間をもって、ルシファー作戦は第一段階へと移行する! アズールムーン旗艦、ナグルファル、発進!」


 その瞬間、静かにナグルファルは浮上を始め、低く響くエンジンの唸りが艦全体を包み込み、揺れを伴って宙に浮かびあがった。


「……いよいよ始まったんだね。」

「うん! ナグルファルの戦場にて、ってね。たぶん昼過ぎには現実に着くんじゃないかな?」


 司令室の窓からは、月の裏側にそびえる狂気山脈が見えていた。険しい峰々を越え、その向こうに広がる月の海に向かって、艦はゆっくりと進んでいく。ベアトリーチェはその光景を見ながら魔法の画面を開いて、今日もいつも通りに絵を描き始めた。


(この夢が終わったら……メアはすぐ家出てっちゃうんだよね……)


 ペンを動かしながら、ベアトリーチェは二年前のことを思い出していた。

 あのときのメアは家庭の事情とやらで、あてもなく町を彷徨っていた。彼女はそんな友人を見捨ててはおけず、自分が一人暮らししていた家に「新しい居場所が見つかるまで」と住まわせてあげた。これが全ての始まりだった。

 最初はよく分からない世界観を語り続けるばかりで家事の一つもせず、ベアトリーチェの帰宅と同時にそばに寄ってきてそこから離れず、風呂やトイレにまでついてくるような状態だった。そのたびに彼女はそこそこ本気で怒り、彼は泣いたり拗ねたりしながらも、きちんと一歩ずつ引いていった。最終的には従者といういかにも中二病な立場に収まり、そのころからは毎日メイド服を着て家事をこなしていくようになった。


(変わったよね、メアって。いや、変わったっていうよりも子供時代に戻ったのかな……?)


 ベアトリーチェはイラストから目を離さないまま考え込んだ。今では奇妙ながらも落ち着いた関係で、こうして大きな作戦を率いて人を導く立場になっている。シオンは司令室の椅子に座って指を組みながら、彼女の様子に首を傾げた。


「どったの、ベアトリーチェさま?」

「いや、シオンも変わったなーって思って。」

「そうかな? まあ中学のころよりはマシになったかもね。」

「うん。今は小学校のころみたい。」

「それ退化してんじゃん!」


 ナグルファルは狂気山脈を越え、静かに月の海へと入った。遥か遠く、海の上に回廊の入り口がぼんやりと浮かび上がりつつある。ベアトリーチェは今描いているイラストを一瞥した。それはナグルファルが空を駆ける一枚絵で、進む艦とシオンの姿が丁寧な線と柔らかな色使いで描かれていた。


(メアが出ていくまでに描けるかな……?)


 彼女はペンを持つ手を少しだけ速めた。静かな時間が二人を包んでいる。


 <6>


 ナグルファルは静かに、どこまでも雄大に月の海を渡っていた。狂気山脈が水平線の向こうに消え、ただ一面の青白い水面を頭上の虚空だけが広がっている。司令室に立つシオンは、大きく息を吸って全身に魔力を巡らせた。


「見てて、ベアトリーチェさま。」

「うん、いいよ。ちゃんと見てるから。」


 ベアトリーチェは魔法の液晶画面から顔を上げて答えた。彼女の目には、これから起こることは描くべき瞬間に見えていた。


「それじゃ――」


 シオンが詠唱すると、月の海が振動し、そこに巨大な魔法陣が浮かび上がる。その光の輪は空を貫き、海を突き抜け、やがて一筋の道となって天へと伸びていった。本来ならば、この回廊は鵲の妖精にしか開けない。だが、第四特異点たる彼女の力と運命魔術をもってすれば、それすらも強引にこじ開けることができた。


「これより作戦は第二段階に移行する! 総員、第一種戦闘配置! ナグルファル、回廊突入準備、全武装展開!」


 シオンの声が艦内に響き渡り、参加者たちが歓声を上げる。ルナリアの住人の中には、これから本気の戦いが始まるとは知らない者も多い。それでもその熱は確かだった。

 艦は回廊へと入っていく。まるで宇宙を泳ぐように、艦体の周囲をエーテルの光が流れていき、全面展開された艦の武装が次第に輝きを増していった。


「……綺麗だね。」

「でしょ? ここって誰もが一回は通るけど、逆に言えばその一回しか通んないからさ、覚えてる人なんていないんじゃない?」


 ベアトリーチェは液晶から視線をそらし、窓の外に広がる風景を眺めていた。一面の星空、一本だけ天の川のようにまっすぐ伸びる光の道。そんな中、艦の側面を三両編成の古びた鉄道列車が横切った。外装は綺麗なまま、車体の側面には「THE WORLD」の文字があった。

 それは鵲の妖精が操る唯一の列車で、かつてシオンやベアトリーチェが初めてルナリアを訪れたときに乗った、あの鉄道だった。夢と現実のはざまで、あの頃の記憶がすれ違っていく。


「……あれってさ……」

「そうそう! 皆あれに乗ってルナリア行くんだよね。懐かしいなぁ。」

「私も、なんとなく覚えてるかも。」


 二人は笑い、ナグルファルは回廊を進んでいく。まるで夢そのものが地上に落ちていくように。その速度は驚くほどゆったりしていて、誰よりも速かった。


「あと四時間で月の彼方だよ。」


 <7>


 回廊に入ってしばらく経ったころ、艦内に緩やかな緊張が走った。ナグルファルのセンサーに何かが映ったのだ。


『後方から何か接近中! 速度――こちらよりも速いです。追いつかれます!』

「了解した。引き続き警戒を。」


 そんな報告に、シオンはモニターに視線を移した。追ってくる影はとても多いが、何かの艦隊ではなく、もっと小型で、聖騎士よりも個性的だった。司令室のモニターのそれが映った瞬間、シオンは眉をひそめた。


「真似猫?」


 画面の中でこちらに詰め寄ってくるのは、猫耳に猫尻尾、多種多様な制服に身を包んだコピーキャッツの軍団だった。彼女たちはルナリアの自由を守るために裏切り者を粛正するのが仕事なのだが、どうやらミノタウロスの檻はシオンをその裏切り者に認定したらしい。


『そこのテロリスト! 地上侵攻をただちに中止しなさい! 今すぐ撤退しないなら、自由の侵害とみなして攻撃します!』

「我々が勝てば、これは侵攻ではなく解放と呼ばれるだろう。そして、我々の勝利はすでに運命によって決定されている。」


 回廊を通じて割り込んできた通信に、シオンは全く動じることなく返した。彼女の語る言葉は美しく、だがどこか不穏で何よりも強引だった。


「機関、最大戦速! 猫には構うな! 好きに追わせておけ!」


 シオンはそう命じて艦を加速させ、それに続いて、後方から怒涛の魔法が降り注いだ。加速するナグルファルに対して、コピーキャッツが攻撃を開始した。ナグルファルは巨体に見合わない鋭い機動で攻撃を回避しながら直進を続けた。ルナリア式の攻撃魔術はどれも強烈だが、彼女たちは魔法少女にすぎず、対してこちらは特異点の怪物が建造した基地だった。魂の重みが違う。


『前方に敵影多数! 回廊が塞がれています!』

「……本命が来たか。」


 だがそんな余韻はすぐに消え、前方に黒い壁のような光の群れが現れた。教会が保有する大艦隊が空間をふさぐように展開されている。現実世界の防衛を担う教会の艦隊はエーテル回廊を完全に封鎖するように並び立ち、ナグルファルの進路を完璧に遮断していた。


「……前門の猿、後門の猫だね。どうする?」

「正面玄関だけ掃除しよっか。」


 ベアトリーチェの言葉に、シオンはわずかに笑い、その言葉と同時に艦内放送が響いた。


「全員、前方艦隊へ照準! 無制限攻撃を許可する! 囚われた世界を撃ち抜け!」


 その号令にヤドハ部隊員たちが歓声を上げた。祭りの延長のような戦争では、誰も本気で死ぬとは思っていないのだろう。次の瞬間、ナグルファルの側面に並べられた魔力式の火砲が一斉に火を噴いた。閃光と轟音が回廊を揺らし、艦隊の盾に無数の穴が開いていく。

 もちろん教会艦隊も応戦したが、エーテルの充満するこの回廊ではナグルファルの砲弾数に制限がない。補給も冷却も必要とせず、ただ進みながら光の弾幕を撃ち続けた。

 そこにちょうど追いついたコピーキャッツのメンバーたちが加わり、前後からシオンを追い詰めていたはずの布陣があっという間に乱戦へと変わった。


「いやぁ、面白い偶然もあるもんだね、ベアトリーチェさま! せっかくだからこれも描いてよ!」

「自由と秩序に挟まれた私たち、まあシオンがいればこれくらいのアクシデントはあるよね。」

「自由と秩序に挟まれるっていいね……なんかの歌詞にでも使おっかな?」


 シオンは艦を停止も減速もさせず、かすかに傷を負いながらも突き進んだ。もはや敵の砲撃は彼女の視界には入っていない。そろそろ現実世界のすぐ手前、月の彼方まであとわずかだ。


 <8>


 ナグルファルの巨体が静かに回廊を抜けたとき、シオンは胸の奥がざわめくのを感じた。懐かしい空気、コンクリートと排気ガスの匂いが蘇る。ここはもう夢ではない。背後のモニターには先程通過してきた回廊の入り口が映っていて、そこではまだ、コピーキャッツと教会艦隊の混戦が続いていた。


「……あれ、ほんとに放っておいてよかったの?」

「別に私たちは回廊の支配権を取りに来たわけじゃないし。なんならコピーキャッツが追ってくるのも、教会艦隊が待ち構えてるのも、全部計画通りって感じ?」

「なんでそんな自信満々でいられるのよ……」

「戦争っていうのはね、勝つために必要なピースを最初から揃えておくものなんだよ。私がミノタウロスの檻と喧嘩腰だったのも、全部ああやってコピーキャッツと教会をぶつけるための作戦だった……とかカッコよくない?」

「つまり偶然ってことね。」


 シオンがそう語る間にナグルファルは雲を抜け、やがて眼下に広がる大都市を見下ろした。そこに広がっていたのは、彼女の記憶そのままではなかったものの、紛うことなき月の彼方だった。


「見て見てベアトリーチェさま! あれが私の故郷!」


 シオンが指さした先には整然と並ぶ住宅街が広がっていて、ルナリアに作られた模型を思い出してみれば、確かに同じ場所だと思えた。だが、現実の街はあまりにも無機質で色あせていた。


「あれって……どれよ。」

「あそこだよ! ほら、あのへん!」


 曖昧な指さしにベアトリーチェは少し微笑み、シオンは一瞬顔を歪め、すぐに尊大に胸を張って何かの詠唱を始めた。詠唱というよりは決め台詞のほうが近い。


「銀のにがよもぎよ、我が祖国の三分の二を焼き尽くせ!」


 次の瞬間、ナグルファルの艦底から二発の爆弾が切り離された。その爆弾はシオンの両親の実家がある場所、特異点の怪物に選ばれた彼女を受け入れなかった者達が住んでいる家にまっすぐ、正確に落ちていく。空が裂け、地が爆ぜ、辺り一面が閃光に包まれ、続く轟音が都市の構造をなぎ倒す。その二撃で街は瓦礫に沈められ、彼女の過去の思い出は周囲の多くを巻き込んで地図から消えた。

 その直後、ナグルファルは空気を滑り降りるようにして降下を続け、月の彼方の南端にある湾上に着水した。静寂の中、蒸気が立ち昇る。


 <9>


 空が焼け落ちてからわずか数分。現実世界に降下したナグルファルの姿を確認した途端、月の彼方じゅうの騎士団が動き出した。何の前触れもなく投下された二発の超大型爆弾は住宅街を跡形もなく消し飛ばし、さらに爆心地からは有害なエーテルが周囲に波及していたのだから当然だ。報復、粛清、理由は何であれ、聖騎士団がこの事態を黙って見過ごすはずがない。


「第一次攻撃は無事成功し、作戦は第三段階に移行した! その者青き翼を纏いて金色の野に降り立つべし!」


 シオンの声が艦内に響き、その宣言と共にナグルファルは波間を滑るように進み、先程爆弾の一つが着弾した海辺の街の跡地へと向かった。そこに残っているのは瓦礫と、焦げ跡と、歪んだ鉄骨だけ。シオンは静かに手をかざし、艦内に設置された装置を起動させた。

 装置は唸りを上げ、エーテルの霧が流れ出す。現実世界では使用できない魔術を大規模に行使するため、彼女たちはルナリアから大量のエーテルを持ち込んでいた。それは海風に乗って、焼け野原となった街の上を覆っていく。


「よし。これで戦える。」


 シオンはそう微笑んだとき、地響きが起きた。教会の保有する最新鋭の戦車たちが、瓦礫の間を踏みつけるように姿を現し、その後ろからも続々と騎士団員たちが現れた。各地に展開していた戦力が一斉に集結し、海岸沿いに展開するナグルファルを包囲していく。


「予想以上に早いね……ま、二発も落とせばそうなって当然か。」


 シオンは身だしなみを軽く整えると、司令室から甲板に出ていった。彼女は目の前にいる教会の兵士たちと、いまだ興奮冷めやらぬ参加者たちに向け、光る海と瓦礫の大地を見渡しながら声を張り上げた。


「見よ! 聞け! 語れ! 為せ!」


 その言葉は神話の始まりを告げる月の鐘で、直後、戦場が動き出した。

 教会の戦車部隊が一斉に砲撃を開始し、ナグルファルの装甲に火花が走る。続けて上空からは爆撃機による空爆が開始され、海面が跳ね上がる。だが、その程度ではナグルファルは沈まなかった。

 艦の側面から光の弾幕が放たれて戦車群を次々と吹き飛ばしていき、砲塔からは高出力の魔力が放たれ、上空の爆撃機を一瞬で蒸発させた。火の粉の舞う空、光の乱反射する大地。その中心で、シオンは叫んでいた。


「これこそが人類の夜明けだ!」


 <10>


 最初の砲撃が始まった時点では、教会の聖騎士団が優勢だった。最新鋭の装甲を持ち、しかも地の利を生かせる地形、航空部隊が空から制圧し、海からの侵攻など一笑に付すはずだった。だが、それらはナグルファルの反撃の前に、紙のように焼き尽くされた。装甲が意味をなさない光線や、広範囲を消滅させる規模の爆発。現実の戦車ではそれらを防ぐことも避けることもできなかった。


「……勝ったな」

「フラグ?」


 そして、ルナリアでは絶対に撤退しないことで有名な聖騎士団がついに後退の命令を出したことで、潮目は完全に変わった。その隙を逃さず、シオンは母親の実家があった街、爆心地の一つに上陸を果たした。吹き飛ばされた瓦礫の下にはもしかしたらまだ何かあるかもしれないが、今はそれを確認する時間ではない。


「まずはこっちから出すか……」


 シオンはナグルファルの格納区画から、第一の秘密兵器を呼び出した。それは全長が六十メートルにも達する巨大なゴーレムで、その材質、大きさ、どれをとっても、彼女とベアトリーチェの好きな漫画から引っ張り出してきたような性能をしていた。


「emeth」


 シオンが起動コードを口にすると魔法陣が輝き、ゴーレムの目が光を灯した。ゆっくりと、軋むような足取りで瓦礫の街を踏みしめて前進していく。目指すのはシオンの進路から外れた西側の市街地、彼女自身は中心部へと行かなければならないが、そこ以外の制圧なら彼らに任せてもいい。


「それじゃあ次いこっか。これ知ってる人いるかな……?」


 次に取り出したのは、小型の豆戦車のようなもの。全長はわずか三メートルほどだが、装備しているレーザーは科学の域を完全に超えている。ただし製造が大変なのでゴーレムほどは作れていなかった。


「えへへ。この子は一緒に来ようね~。」


 豆戦車はきゅるきゅると可愛らしい音を鳴らしながら、周囲の敵影に向かって次々とレーザーを放って焼き払っていく。そんな様子を見ていたベアトリーチェが呆れたように笑った。


「まるで観光だね……」

「それもいいけど、一応ここ私の家なんだよね。自宅を観光する人っているのかな?」


 ナグルファルはゆっくりと再浮上し、集結し始めた聖騎士団に対して砲撃を再開した。市街地にあふれ始めた敵に向けて光弾と爆炎が降り注ぎ、アスファルトとコンクリートを融かしていく。

 その合間、ふとシオンは視線を横に向けた。爆心地から外れた一帯をゴーレムたちが整然と進軍している。よく通った道、全く知らない家、全てを巨大なゴーレムが踏みつぶしながら前進している。騎士団は最後の抵抗とばかりに砲撃を浴びせていて、確かにある程度の数のゴーレムはそれで土に戻っていたが、それでもまだ秩序を守り通すには足りなかった。


「さあ、次はあそこに行くよ、ベアトリーチェさま。」

「はいはい。あんまりやりすぎないようにね。」


 シオンが指さしたのは。かつて夜景が綺麗に見えたあの港町。母親と最後に見た、思い出の場所だ。今の月の彼方には、彼女の思い出は二か所しか残っていなかった。


 <11>


 月の彼方の空は、もうすっかり見慣れた色に染まっていた。砲煙とエーテルの残滓に満ちた、鈍く光る灰色の空。そこをナグルファルが電波ソングを流しながら進んでいる。シオンは司令室の椅子に座り、母親の実家があった爆心地からさらに東、港町の中心部へと艦を進めていた。

 実際の首都はここではなく、もう少し北に行ったところにあったのだが、彼女にとって月の彼方の中心と言えばこの街のことだった。子供の頃に一回だけ見たことのあるクリスマスの夜景、それが彼女にとっての原風景となっていた。


「首都は行かないの?」

「あそこ? まあこっちに遷都すればいいだけだし、いいんじゃない別に?」


 シオンは自分が行かない代わりに、ゴーレム軍団の残りをそちらに投下させることにした。ただの政治と経済の中心地なんて、それで充分だろう。

 爆心地を過ぎ、まだ破壊されていない街並みが広がるにつれて、聖騎士団の攻撃も激しくなってきた。各地から大量の増援が呼ばれ、ナグルファルに向けて砲弾の雨が降り注いだ、しかも海が近づいてきたため、今度は海軍の艦砲射撃までが加わった。装甲が軋む音が艦内に響き始める。


「あーあ、なるべく壊したくなかったんだけどな……せっかくベアトリーチェさまが描いてくれたのに……」


 シオンは艦をフル稼働させ、敵の戦車や戦闘機、戦艦を狙って攻撃していった。地上では豆戦車たちがすばしっこく暴れまわり、上空ではナグルファルの砲塔が火を噴き続ける。ただ目的はあくまでも破壊ではなく制圧であり、できるだけ街並みは保存しておきたかった。

 戦闘は絶え間なく続き、夜が訪れるころには、街を包囲していた敵勢力の大半は沈黙した。ついにこの時が来たとばかりに、シオンは街で最も高いビルの屋上へと降り立った。彼女は両手を掲げ、ゆっくりと魔術の詠唱を始めた。


「鋼鉄の雨よ、剣戟となりてこの地に降り注げ――!」


 その瞬間、空から黒い剣や雨が降り注いだ。それらは街の境界線や山の尾根、海岸線にまでぐるりと隙間なく突き刺さり、まるで結界を形成するように輝いた。


「産めよ、生えよ、育てよ。黒鉄の剣よ、迷いの森となりてこの地を守れ――!」


 シオンが叫ぶと、地面に突き刺さった剣や槍はすくすくと育ち、金属の枝葉を広げて巨大な木のように変貌していった。それらは森となり、陸地側の進入路を完全にふさいでいく。魔術によって形成されたその黒い森が、月の彼方の新しい国境となった。


「おめでとう、シオン。」

「ありがとう、ベアトリーチェさま。」


 ベアトリーチェは黙ってその光景をスケッチしていていて、シオンはついに勝利を確信した。今度こそ帰る場所を取り戻したのだと。だが、次の瞬間、空が裂けた。


「……っぶな……」


 咄嗟に大きく横に飛んだことで致命傷は避けたが、そこにはビルを貫通するほどの巨大な槍が刺さっていた。ただの聖騎士がこんなことをできるわけがない、シオンは空を見上げ、その瞬間、顔が曇った。世界連合教会の現教皇、第三特異点であるノワールクレージュが浮かんでいた。


 <12>


 ノワールクレージュは今の投擲で半壊したビルに音もなく降り立つと、その槍を程よい長さに変形させ、何の前触れもなく、ただシオンに向かって突進してきた。彼女は指輪を変形させて二叉の槍を顕現させてそれを受け止め、衝突の瞬間、火花と魔力の波が爆ぜてビルが震えた。


「これはこれは教皇聖下……いえ、ここは先輩とお呼びしましょうか……」

「お前が……ソフィーティアの選んだ次代の国津神か。」


 互いに槍を構えたまま、静かな対話が始まる。だがその穂先は一振りで世界を裂くほどの力を秘めており、言葉の一つ一つが剣戟よりも重かった。


「なぜ世界を破壊する? 私のもたらす安寧ほど、人の求めるものはないというのに。」

「この世界に自由がないからですよ。生きるとは境界を越えること。生存圏を広げ、未知に手を伸ばすこと。その根源を封じられたなら、どれほど整った世界であっても、ただの檻に過ぎないでしょう。」


 あたちでは、ヤドハ部隊の兵士たちも、教会の聖騎士団も、誰一人として手出しをしなかった。この戦いが、本質的には個と個の戦争であることを誰もが理解した。

 ノワールクレージュの槍は平たく大きな盾のような穂先を持っていて、それは何かを守ることを前提にした支配の象徴だ。一方、シオンの槍は鋭く分かれた二叉の穂先で、まるで世界を裂くために作られたような意志の具現だった。


「カシウスとロンギヌス、希望と絶望。リビドーとデストルドー。どちらがより強いか、先輩なら知っているでしょう?」

「当然だ。私は民の祈りと希望を背負ってここにいる。」

「では……私の槍には、あなたの安寧によって奪われた文化、夢、自由、力、その全ての絶望が宿っているのでしょうね。」


 シオンは指に嵌めた銀の指輪を弄びながら微笑んだ。風が止む。二人は一瞬だけ沈黙し、次の瞬間、同時に槍を振りかぶって投げた。蒼と黒の軌跡が空を裂き、空中でぶつかり合った瞬間、周囲は一瞬の光に包まれた。火花のような魔力が四方に散る中、シオンの手にはもう一本、同じ形の槍があった。

 ノワールクレージュが反応するより速く、シオンはそれを真正面から投擲し、鋭い音が鳴った次の瞬間、その槍は教皇の胸に突き刺さっていた。彼女の身体がよろめき、鮮血が霧のように溢れ出す。戦場が静まり返る中、シオンは空中でぶつかったはずのもう一方の槍を指輪に戻しながら、ゆっくりと教皇に近づいた。


「神の槍って、夢の中でなら簡単に複製できるんですよ。先輩が投げさせられたのはただの模造品。私が作った遷遺物にすぎません。本物は最初から隠してありました~。」


 彼女は嘲るような笑みを浮かべて教皇から本物の槍を引き抜くと、それを真下の地面に突き立てた。その音は新しい神話が始まる合図のようだった。


「私はここに、カナン第四帝国の樹立を宣言する!」


 その言葉が夜空に響いた瞬間、世界は一度大きく震えた。そして直後、深夜、現実世界でシオンの夢は終わった。


 <13>


 メアが目を覚ましたのは、月がすっかり真上に昇ったころだった。夢から覚めたというよりは、夢を食べきったような満腹感があった。


「あ、ごはん……!」


 彼はパジャマのままキッチンに飛び込もうとして、まず最初にベアトリーチェを叩き起こすことにした。どうせなら、最後に一回くらい怒られておきたかった。部屋のドアを何度もノックしていると、yがてベアトリーチェがドアの隙間から顔をのぞかせた。彼女は案の定、髪をぐしゃぐしゃにしたまま部屋を出てきて、呆れたような目でメアを見た。けれど、彼の晴れやかな顔を見るなり、その表情は少しだけ和らいだ。


「おめでとう、メア。」

「うん! ありがと、お嬢様! ご飯作ったら帰るから、最後の晩餐しよ?」


 メアはそう言ったがそんなに大げさなものではなく、半分作り置きのようなメニューだった。しかし、これが最後の夕食だと思えば、包丁の動きにも少しだけ気が入った。食卓に並んだのは、ベアトリーチェの好物とメアの得意料理。気取ってはいないが、どこか優しい夕食だった。


「ねえお嬢様。あの帝国さ、お嬢様を皇帝にしようかと思ってるんだけど、どうかな?」

「……ふ~ん。メアは何するの?」

「私は宰相! 小難しい実務は全部私の魔法でやるの!」

「それ私に実権ないやつじゃん……」

「でも宰相に命令できるのは皇帝だけって法律作っておけばいいんじゃない?」


 二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。あれだけ派手な戦争をして、誰にも承認されていない国を興して、それでも二人の会話はどこか子供のままだった。

 食事を終えるとメアは後片付けをして、ゆっくりと着替えを始めた。パジャマをキャリ―ケースにしまい、忘れ物がないかを確認してから鍵を閉める。


「……今までありがと。これでもう、本当に終わりなんだね。」


 玄関に立つと、ベアトリーチェがいつの間にか後ろにいた。彼女は微笑んで、ただ一言だけを口にした。


「大好きだったよ、メア。」


 その言葉に、メアの心臓が跳ねた。


「……私も! 大大好きだよ!」


 彼は涙がこぼれそうになったが、今は泣かないと決めていた。彼は玄関を閉める直前、大きく手を振って言った。


「また大学卒業したらさ、うちの国に来てよ! どこよりも自由な国にするから!」


 それは約束のようでいて、永遠の別れのようでもあった。

 やがて時が経ち、月の彼方にて、メアは言葉通り宰相の地位に就いた。

 皇帝は不在のままだった。国民は一人もいなかった。魔法によって建てられた空っぽの帝国に、メア一人だけが存在した。会議も演説も、法律も文化も、軍事も経済も、全てがメアの掌中にあった。誰もそれに異議を唱える者はいなかった。そもそも誰もいなかったのだ。

 それでも、メアは玉座の隣に立ち、そこに座すべき主人を待ち続けながら、あの日彼女が描いたイラストに囲まれた宮殿の中で、誇らしげに、高らかに笑っていた。まるで、そこがまだ夢の中であるかのように。

 第七の魔女シオンが治める約束の地。

 深くて暗い森に囲まれ、鬱蒼とした海に寄り添うように、灰色の揺り籠が星の光を放つ国。

 分かたれた七つの魂が一つの世界に集まるとき、物語はようやく幕を閉じる。

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