「説明放棄」「幼児退行」…、きれいな言葉がひしめく「ポエム化」問題を整理する
この記事の内容は本当に取り止めがなかったらしく、内容全然覚えてない…
サッカーについては当時ワールドカップ予選かなんかの時に集まった人混みの中で女の子が男に胸を揉まれたって話がありました。
「説明放棄」「幼児退行」…、きれいな言葉がひしめく「ポエム化」問題を整理する
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=2934374
…なんか、この記事自体が意味わからんw
なんだろう?色々とっ散らかってる感じ。
色んな事の説明が足らない。
と、いう訳でようわからんかったので、
あたしがタイトルから受けたインスピレーションを気ままに書いてみよう。
昨今の人の紡ぐ「言葉」について。
とでもタイトルしようか。
あたしが他者の、しかも一般人の書く文章に触れる機会は、ここmixiが大半を占める。
直接的に記事から、あらゆる人の感想に直に触れられる、他には無いコンテンツで、あたしがmixiをよく使う唯一の理由だ。
FacebookやTwitterでは記事から他者の意見に触れる機会にはなかなか恵まれないから。
そこでいつも感じるのは、「借り物の言葉」だという事。
何処からともなく聞こえてきた、「正論」らしきものを振りかざす人が多い。
例えばネットで見た、誰かが唱えた説得力のある様に見える少しスパイスの効いた言葉等は特に好まれるけど、
そういう言葉を皆が呪文みたいに唱えてる。
呟きを見てると、
借り物の言葉で、ドヤ顔で発信するってパターンが本当に多い。
キーワードとして多いのは、
「性犯罪系の厳罰化」「生活保護」「韓国、朝鮮系」「原発」などなど…
まあ、決まりきった必ず出て来る暴言っていうのが想像出来る話題でしょう。
これを、実態をきちっと理解して、
更には最初にそのスパイスの効いた毒舌を発した人が含ませた意味までも、きちんと理解して使ってる人が一体どの位いるのか…。
どの話題にも、とても真剣にその話題に向き合って、あらゆる角度から調べて、たくさん発せられる意見をも理解した上で、毒を吐く人もいるだろう。
そういう人は恐らく自分の言葉に一定の責任を感じているし、端的に見える批判の中に実は一定の理解を記していたりするものだけど、
借り物の言葉で批判を繰り返す人は、
実はとても幼稚で、渋谷のスクランブル交差点でサッカーに乗じて痴漢働く輩と脳みその構造は同じだと思うのね。
あくまでも脳みその構造の問題であって、罪の大小や種類の話はしてないので、そこは了解してね?
何か事件があった。
↓
自分なりの義憤がある。
↓
この憤りをどこにぶつけよう。
↓
よし、以前どこかで見たあの一節言っとこう!
↓
ああ、スッキリ。
サッカーがある。
↓
皆で集まって楽しい
↓
楽しいんだからちょっと位羽目外してもいいよね!
↓
乳揉んだ!得した〜!楽しかった!
何かこう、
騒ぎがあって、
そこに何をしてもいい相手(犯罪者がいる、若しくは何をしてもいいorバレない状況があるならば、
どんな事をしてもいいと思ってる節がある。
しかしね。
他者に対して暴言を吐く、
ということそのものが、そもそも人として品位を欠く行為なのだけれど、そこをなんだか失念して、
記事の逮捕者だったりに恥ずかしげもなく、借り物の言葉で暴言を吐いてる。
それは状況が許したから、痴漢働いてやった馬鹿と、思考は全く変わらないよね。
そもそも状況がどうであれ女性のバストに許可なく触れる事は犯罪者なのにね。
厳罰一つとっても、
殺人は死刑!
なんて安直な意見も山程見かける。
情状酌量なんかいらない!
そんなのがあるから、正しく裁かれないんだ!
という、とてつもなく短絡的な呟きを見てると、
情状酌量がなぜ、裁きの要素に加えられるのか、
きっと考えようともしてない人達が安易に伝染した熱病のうわ言の様にそれを叫ぶ。
自分の義憤と信じる物に侵されながら。
なんかね、
情状酌量が無くなったら、自分だって困るかもしれないのに、
そういう一切の事を考えない。
自分が車で人を轢いて死なせてしまった時、
自分が青で相手が飛び出してきたら?
これでも酌量は要らんかね?
だってこれも人殺しじゃない?
通り魔が人を一人殺めるのも、車で人を轢いても、
人が一人死んでるという、結果は同じ。
同じ様に「人殺し!死刑!」って言えるの?
夫を殺めた妻が二人いたとしよう。
片方はずっと暴力を振るい、愛と恐怖で支配して、遂には保険金かけて殺した。
もう片方は逆にずっとずっと暴力を振るわれて、だけど恐怖と経済的な理由で逃げ出せず、何年もその仕打ちに耐えて、このままでは自分が殺されるのでは?と感じてるほど暴力がエスカレートして、思い余って殺害に至った。
この二つは同じ夫殺しなのだけれど、
その本質は全く違うもの。
この双方が全く違う刑に処される事が本当に正しいと思うのかなぁ?
同じ様に人殺しは死刑!って言えるのかな?
言えるのならそれはあまりに人としての見識や了見が狭過ぎるし、
もっと世の中を見に外に出て色々な立場や経験してる人と関わった方がいいよ?と心配な人だし、
関わりをたくさん持ってるというなら、
共感力がなさ過ぎるので、何かの精神疾患を疑った方がいいレベルだと思う。
とまあ、
こんな具合に一口に酌量の解釈一つとっても、
その存在の本当の意味を理解しようともしてない人が非常に多い。
少年法も同じ。
転売目的で本屋からごっそり集団で万引きしたコ。
親に虐待されて食べ物を与えてもらえずにアンパン一個万引きしたコ。
これも同じ様に大人と同じ刑罰を与えなければならない!と思うのかね?
罪には同じ罪状でもそこに至るプロセスが全く違うものもたくさんあるよね。
止むに止まれぬ状況で罪を冒した者を救い上げないって事を認めるならば、
それはきっと自分も何一つ間違いを冒せない、
選民的な世界を許容するって事になるんだけど、
多分、これらの発言してる人でその行き着く果てを予測する努力をしてる人は少ないだろうな。
だけれど、同じ言葉がまるで判を押した様に呟かれる。
若い子は特に、
端的な説明を好む。
長い説明を嫌って、
短くまとめられた、簡単でインパクトのある言葉を求める。
そういうのって多分、昔でいう、「見出し読み」ってやつなんじゃないかな?
電車のつり革広告の見出しだけ見て人に話しちゃう、みたいなね。
見出しの言葉の最後には、
「?!」みたいなのが付いてたりする。
だから内容は見出しとは違う結論に達している可能性も高い。
文章ってのは最初から最後まで読んで、更にはそこに含まれる意味を理解して、初めて成立するものなのに、
短くまとめられたインパクトのある言葉を好む。
自分の言葉のようでいて、
実は自分がその言葉について突っ込んで聞かれたら答えられないって事多々あるんじゃなかろうか?
それって深みってものを産まないよね。
そうね。
言葉、というのはどの様にも変質するから、実は取扱いが非常に難しい。凶暴な生き物にもなり得る。
なのでこの当時よりも柔らかい険のない言葉を使う様になったと思う。
今の年頃の自分はインパクトのある言葉より、何処か人の心の琴線に優しく触れる言葉を紡ぎたいと思う。
インパクトのある人を刺激する言葉よりも、スルーされても人を不用意に傷つけない言葉を選びたいなぁと思う。
伝えたい気持ちが先行すると、人はより強い言葉を発するけれど、その強い言葉は誰かの傷になって、更に誰かを傷つける言葉をその人が発する。
そういう悪循環がこのネットの世界には出来ている様に思う。
この日記で言いたい事は、自分の言葉で喋ろう、何だと思うのだけど、自分の言葉を持たない人もこの世にはいるんだよね。
それを責めてる事にはならないかなぁ?
そういう風に考えるようになった。
言葉は慎重に。
どんな意見であってもいいし、どんな正論を自分の中に持っていてもいいけれど、その言葉選びだけは、誠実だけでなく、優しさを持つと、ネット界隈、もう少し温かみみたいなものが増すんじゃないかなぁ…




