第8話:権力の誘惑
「パレードの護衛は別の団に任せる。手配しろ」
「はっ!」
イアンが胸に手を当て、すぐさま伝令を出した。場が一気に慌ただしくなる。
アーロンはホッと肩の力を抜いた。
(やっべえ、あいつを殴りそうになった……)
今でもむかつきは残っているが、それよりも転がるようにして敗走したダリルの姿が印象的だった。
公爵家を鼻にかけ、プライドが高いダリルにとって、王の護衛を外されるというのは屈辱だろう。
「どうした?」
心配そうな表情をしていたのがわかったのだろう。ルキウスが問うてきた。
「いや、あの、ダリルって公爵家の出だからさ、大丈夫かな、って」
ダリルの実家は裕福な上に発言力があるらしい。ダリルより年上の騎士団長たちですら、ダリルに気を遣っている姿を見たことがある。
「はっ」
ルキウスが快活に笑う。
「おまえは王家の力を何もわかっていないな。この国にとって女神の末裔である王家は絶対的な存在。公爵家といえどたかが貴族」
ルキウスが腰に手を当て、顔をのぞき込んでくる。
「おまえが望むなら、公爵家をダリル共々不敬罪に問うて潰すこともできるぞ」
「……っ」
軽口のように聞こえるその言葉が、紛れもない真実だとルキウスの真剣な眼差しが語っていた。
アーロンは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
王の権力の一端を垣間見た気がした。
(ダリルはずっと嫌がらせをしてくる目の上のたんこぶの同期で)
(でも、消せない存在だと思い込んでいた)
だが、王妃となればそれも可能なのだ。
もし自分がルキウスに頼めば、公爵家ごと消せる――その事実にぞくぞくする。
それはこれまで感じたことのない愉悦だった。
いきがってくる相手を簡単にひねり潰せる力を得た今、行使したいという衝動がこみ上げる。
「権力ってこういうことか……」
ぽつりとつぶやくとルキウスが当然のように微笑んだ。
「おまえは王の寵姫だからな。どんな我がままでも叶えられる」
「寵姫って言うなって!」
ようやく空気が緩み、ルキウスが楽しげに声を上げて笑った。
自分の胸にこみ上げたどろどろしたものがすっと消えていく。
ダリルをそんな方法で潰したところで、罪悪感が残るだけだ。
飯がまずくなる。夜寝付けなくなる。そんなことごめんだ。
「……いいよ、そんなお取り潰しとか大げさなことをしなくたって。あの程度の嫌みくらい大したことじゃない」
「そうか」
「それに……即位したての王がいきなり公爵家を取り潰しなんて反感を買うんじゃないか」
「ほう」
少し驚いたようにルキウスが目を見開いた。面白そうに顎を撫でる。
「意外だな。そんな気が回るのか」
「馬鹿にしてんのか。これでも一応団長をやってるんだよ」
上に立つ者が権力を振りかざし私情に走れば誰もついてこない。
(王とは格が違うけど、トップに立つなら尊敬され愛されないと)
いつでも胸を張れる自分でいなければ団長などやっていられない。
ルキウスがふふっ、と笑う。
「だが、皆の不興を買っても私は構わないぞ。おまえが喜ぶなら」
「だからそういうこと言うなって!」
鳥肌が立った腕をさすっていると、ルキウスが大きく口を開いて笑った。
(なんでルキウスはこんなに俺を気に入ってるんだ……?)
そこが一番わからない。たかだが平民出身の騎士団長にすぎないし、しかも顔立ちは整っているとはいえ無骨な大男だ。溺愛される理由が思い当たらない。
(どこまで本気なのか知らないが、俺の一言でルキウスが大鉈を振るうようなことがないようにしないとな……)
明確に怒りを滲ませたルキウスの姿を思い出す。
あれは自分のプライドではなく、アーロンの尊厳を守るための怒りだ。
もっと冷静沈着で情が薄いと思っていたルキウスが、意外に感情的なのは想定外だった。
そして、言葉どおりアーロンのためなら容赦なく王の権力を振るうことも辞さない。
(気をつけないとな)
気に入らない者をたった一言命じるだけで潰せる。そんな権力を持てば誘惑に駆られてしまう。
(王妃って……やっぱりすげえんだな)
ルキウスの王妃狙いの令嬢たちが権力目当てという言葉が蘇る。
そして、彼女たちの背後には有力な実家がついている。
(外から見ると王宮は平和そうだったけれど)
一歩足を踏み入れただけで、世界が違って見える。
(皆、権力を手に入れようと必死なんだな……)
もちろんその気持ちもわかる。自分も成り上がりたかった。現状に不満があり、変えるには自分が上に行くしかない。
(力がなければ大事なものは守れないし、奪われるだけだ)
どん底から這い上がってきたアーロンには身に染みている事実だ。
(でも自分の欲望のまま権力を振るうような王妃にはなりたくない)
(親父を見て俺は誓ったんだ。真っ当に生きると。あんな風にならないと)
自分を戒めることなく弱者に暴力を振るう醜悪さにはうんざりだった。
だから十三歳で家を出たのだ。
アーロンには有力な実家も特別な能力もない。
ただ、頑丈な体と心があるだけ。
(王妃という座に浮かれていないで、地に足を付けないとな)
権力という荒れた海に小舟でこぎ出す気分だ。
転覆して溺れれば、ルキウスも道連れにしてしまうだろう。
(理由はわからないが、こいつは俺を信頼してくれている)
(そうだ。こいつの信頼を裏切らない。それを芯に据えて行動すればいい)
すとん、とその指針が腑に落ちた。
「行くぞ、王妃」
すっと手が差し伸べられる。
「ああ」
そっとルキウスの手に手を重ねた。




