第5話:交渉
「ふたりきりの時はルキウスでいい。おまえは王妃なのだから敬語もいらん」
きっぱり言うと、ルキウスがカップに静かに口をつける。
伏せたまつげが長い。
明るい場所でゆっくりとルキウスの顔を間近で見ると息を呑んでしまう。
(綺麗だな。透き通るような薄紫色の目……)
自分のような無骨な人間とは作りからして違う。
しばし見とれてしまったアーロンだったが、ルキウスの怪訝そうな表情で我に返った。
「じゃあ、ルキウス、あの……あんたは俺をすんなり受け入れたけどさ」
まじまじと見つめられ、つっかえながらもアーロンは気になっていたことを尋ねた。
「俺は平民の出だし王妃なんて器じゃない。しかも男だ。なのに、俺でいいのか?」
「神託で選ばれる王妃は女性に限る、などという決まりはない」
「それはだって男が選ばれるわけないからだろ」
アーロンの言葉にルキウスがふっと笑う。
「確かに、歴代の王妃は全員女性だったな」
「だろ? 何かの間違いだと思うんだ。やり直しとかできないかな?」
今ならまだ間に合う。笑い話として引き返せる。
(そうだ、今すぐ駐屯地に行って団員たちを鍛えて――)
「王妃になるのは嫌か」
率直な質問にアーロンはぐっと詰まった。
「嫌っていうか……」
言葉が喉元にひっかかってうまく話せない。
(俺、緊張してるのか)
騎士団のトップである総大将の前でもこんなに圧を感じたことがない。
ルキウス自身に威圧する意志がないのは柔らかな表情からわかる。
だからこれは勝手に自分が畏れているだけだ。
平民と王族――その違いを身をもって感じる。
「だって俺、フェニックス騎士団の団長だし……王妃なんて何をやっていいのかわかんねえし」
本音を伝えようとしただけなのに、拗ねた子どものような口調になってしまった。
知識はなくても、王妃というのがどれほど重要な立場かはわかる。
もし自分が女だったら嫡子を産むという役に立てたかもしれない。
だが、それすらできない。そんな人間が王妃でいていいのかと思う。
(本当になんで俺なんだ……?)
(女神って何考えてるんだ)
ルキウスが飲み終えたカップをおく。
「王妃の仕事はこれから覚えていけばいい」
アーロンは軽く息を呑んだ。
やはりルキウスはアーロン以外を王妃にする気はないようだ。
「でも、騎士団は……!? 俺、やっと団長になったんだ。平民の団長なんて初めてで、なのに俺を慕って集まってくれた団員がいて放っておけないんだよ」
「団長を続けたいのか?」
アーロンはこくこくとうなずいた。王妃のことももちろんだが、騎士団のこともずっと気がかりだったのだ。
「では、交渉しろ」
「えっ」
「子どものように自分の希望を並べ立てても他人を説得できないぞ」
アーロンはぐっと詰まった。
駆け引きや交渉やら面倒なことは苦手だ。
がむしゃらに戦うことに関しては誰にも負けない。迷いもないのだが。
(現実を突きつけられたな……)
団長は仕方ないなあ、などと甘やかされてきたが、本来なら上に立つ者には必要なスキルだ。
ルキウスは静かにアーロンが口を開くのを待っていてくれている。
(まずは自分の希望と現状を伝える!)
「俺は! 団長を続けたい! お、王妃の仕事が大事なのはわかっている!」
たどたどしく幼稚な口ぶりだったが、ルキウスは嘲ることも侮る様子も見せずに聞いてくれている。
(つまり俺の要望を受け入れてくれる余地があるってことだろ?)
(考えろ考えろ。どうやったら説得できる?)
アーロンは必死で頭を回転させた。
「でも、あいつらには俺が必要で、そうだこの国だって優秀な騎士団が必要だろ!」
相手にとってメリットがあると思わせなければ賛同を引き出せない。
そして相手は王だ。個人的にではなく、王国にとって利益があると思わせられなければならない。
「俺は平民なのに若くして騎士団長まで上り詰めた。有能な兵士で騎士だ。それをむざむざ外すのは王国の損失!」
そしてデメリットは小さいと思わせる必要がある。
「俺ならきっと王妃と騎士団長の兼任ができる! 体力なら自信ある!」
アーロンは胸を張り、きっぱり言い切った。
自分の主張に全幅の信頼を置いてもらうため、最後にものをいうのは確固たる意志と揺るぎない自信だろう。
じいっと凝視していると、腕を組んでいたルキウスが口を開いた。
「拙い交渉だがいいだろう。愛しい妻からの願い、叶えてやろう」
「本当か!」
言い方は気になったが、要望が受け入れられてアーロンはホッとした。
嬉しくて頬を緩ませるアーロンに、ルキウスがにやりと笑う。
「直球な交渉だったが、効果的に相手から譲歩を引き出すには搦め手も有効だぞ」
「搦め手って……?」
ルキウスが思わせぶりに微笑む。
「おまえは王妃だ。夫に交渉するときは可愛くねだるのもありなんだぞ」
「はあああ!? んなことできるわけ――」
思わずテーブルを思い切り叩いてしまったアーロンはハッとした。
「す、すみません」
ルキウスが堪えきれずくすくす笑っている。
「冗談だ。おまえをからかうのは楽しいな」
「~~~っ」
アーロンは拳をぎゅっと握った。
王でなければ一発軽く殴っているところだ。
(でも、ルキウスが楽しそうにしているのを見るのは悪くないな……)
これが王の力なのだろうか。
ルキウスは魅力的で彼の役に立ちたいと思わせる何かがある。
自然と目が彼を追い、言葉をかけられるのを待ってしまう。
(やっぱり女神様の末裔って特別なんだな)
これまで会った誰ともルキウスは違う。
アーロンは少しずつルキウスに惹かれている自分に気がついた。




