第33話:運命の相手
その後、夕食をとって寝室に行っても、ルキウスの様子はいつもを変わらなかった。
だが、イリーナについて軽く触れても笑顔でかわす。
「母がすまないな。あのとおり激情型でな。せっかくの休養だったのに……」
そんな風に言われると何も言えなくなる。
(やっぱり話したくないのか)
明らかにルキウスは母についての話題を避けていた。
(じゃあ、無理に聞くこともないな)
アーロンはさっと切り替えてベッドに入った。
異変は寝静まった真夜中に起こった。
「う……」
アーロンは小さなうめき声に反応し、そっと体を起こした。
「なんだ?」
何かが眠りを妨げたのだ。その理由はすぐにわかった。
隣で苦しそうにルキウスが呻いている。
「~~っ!」
ぎゅっと眉間に皺を寄せ、強く胸の辺りを握った。
苦痛をこらえるように顔を歪め、顔には小さな汗まで浮いている。
「ルキウス!」
思わず肩を揺さぶると、ルキウスが目を開いた。
「……アーロン?」
目をしばたたき、ルキウスが気怠げに体を起こした。
「どうした? どこか具合でも悪いのか? 苦しそうだったぞ」
ルキウスが軽く首を振った。
「いや……うなされただけだ」
「悪夢を見たのか」
ルキウスがゆっくりとうなずく。乱れた髪をかきあげ、ルキウスがベッドを降りた。
「少し起きていたい。構わないか?」
「ああ」
ランプの明かりをつけ、ルキウスが水差しからグラスに水をついだ。
ごくごくと喉を鳴らして水を飲むルキウスを、アーロンはじっと見つめた。
これほど苦しげな姿は初めて見る。
視線を感じたルキウスが顔を向けてきたので、アーロンは思わずびくっとした。
「どうした」
「いや、見られたくないのかもって思ってさ」
「ああ」
ルキウスが髪をかき上げる。
「臣下や民には見せたくないな。不安にさせてしまう」
「俺にはいいのか」
「おまえは私の妻だろ。たった一人の配偶者にすら素顔を見せられないのは孤独すぎる」
「そうか」
なんだか嬉しくなり、アーロンはついにやけてしまった。
「なんで喜んでいるんだ」
「いや、だってさ。弱いところを見せてくれるのって信用してるってことだろ?」
「まあな」
ルキウスがベッドに腰をかける。
「それにおまえにはもう見られているしな」
「へ?」
「おまえは覚えていないかもな。もう十年くらい昔の話だ」
思いかげない言葉にアーロンはまじまじとルキウスを見つめた。
「十年前って……」
自分が騎士見習いの時だ。
必死で記憶を探ったが、王族と関わったことはない。
「おまえは溺れていた私を助けてくれた」
ゆっくり記憶が蘇ってくる。
「あの湖で溺れていた少年か!?」
馬を走らせていたとき、休憩しようと立ち寄った湖でばしゃばしゃともがいている人影を見つけた。
ダリルたちに散々いじめられていたアーロンは泳ぎが得意になっており、すぐさま飛び込んで引きずり上げた。
「あの子がおまえだったのか?」
濡れそぼった華奢な少年は確かに高級そうな服を着ていた。
だが、苦しげに水を吐いていた弱々しい少年が、まさか王族だとは思わなかった。
普通ならお付きの人間がいるはずだからだ。
「誰も周囲にいないから、てっきり森に遊びに来た貴族の子だと思ってた」
「私もおまえと同じでな。親に放置されていたんだ。だからよく屋敷を抜け出して森で遊んでいた」
ルキウスが静かに続ける。
「それを知られていたんだろう。いきなり背後から押され湖に突き落とされた」
「えっ! じゃあ、殺されかけたのか!?」
誰に――と言いかけてアーロンは口をつぐんだ。
毒を盛ったのは実の母であるイリーナという噂だ。とすると導き出される答えは一つ。
目をそらせたアーロンに、ルキウスは気づいたらしい。
「母の噂を聞いたのか?」
「……本当なのか? 実の母親がおまえを」
「証拠はない。だがわかるだろう?」
ルキウスの言葉にアーロンはぐっと詰まった。
庭で会ったときのイリーナの言動。そこには我が子に対する愛情は微塵もなかった。
それどころか憎んでいるようにすら見えた。
かける言葉がなく、アーロンはうなだれて手を握り合わせた。
「いいんだ、もう」
諦めきった声だった。横目で見たルキウスの表情に悲愴さはなく、どこか清々しくさえあった。
アーロンは一瞬で理解した。
ルキウスは母に死を望まれているほど憎まれている事実を当然として受け入れている。
何か声をかけてやりたかった。心が楽になるような一言を与えたかった。
だが、何も思いつかなかった。
「……何か俺にできることは?」
「もう充分してもらった」
ルキウスが静かに微笑んだ。
「命を助けてくれただろう?」
「湖でのことか? あれはそんな大したものじゃ――」
「私にとっては奇跡のような出来事だったよ」
ルキウスが淡々と続ける。
「見知らぬ人間なのに、危険を顧みず私を助けてくれた」
「そんな大げさな……」
「あの時、私にかけてくれた言葉を覚えているか?」
「いいや……」
記憶を探っても出てこない。
溺れたショックで震えている少年に自分は何と言ったのだろう。
ルキウスが晴れ晴れと笑った。
「誰かに虐められたのか? おまえはそう言った」
「あ……」
そんなことを聞いたのかもしれない。ちょうどダリルたちに湖に落とされるイジメを受けた時だったから、その少年も同じ境遇だったのかと思ったのだ。
「どこのどいつだ。俺がぶん殴ってやる、と言ってくれた」
「そうだっけ……?」
なんとなくそう言った気もする。
目の前の少年があまりに弱々しくてつい口を出してしまったのかもしれない。
「嬉しかった」
ルキウスが微笑んだ。
「見知らぬ私のために、迷わず味方をしてくれる人間がいるのだと知って」
その言葉にルキウスの孤独さが伝わってきた。
利害関係がひしめく王宮で、親に見放された子はどんな目に遭っていたのだろう。
「だから、その後調べたんだ。おまえがアーロンという名の騎士見習いだということを知った。それからずっと密かに見守っていた」
「そうだったのか!?」
アーロンは自分が王妃に選ばれたとき、名乗っていないのにルキウスがさらっと自分の名を口にしたことを今更ながら思い出した。
「全然気づかなかった……」
「それはそうだ。会いに行ったりしなかったからな」
「なんで……」
ルキウスは王族だ。彼が一言呼べば、騎士は馳せ参じる。
「当時の私と関わることが、おまえにとっていいことだとは思えなかったからだ」
その言葉で、王に選ばれるまでのルキウスの苦境が浮かんだ。
両親ともに問題を抱えている、殺されかけた王子。
ルキウスがすっと目を伏せた。
「私は諦めるのが得意だ」
「えっ」
「両親から愛されることも早々に諦めた。おまえともう一度話してみたかったが、そんな機会はないだろうとずっと思っていた」
ルキウスは微笑んでいた。その笑みは今にも消え入りそうに儚げで、アーロンは胸が締め付けられた。
「だから、どんなに嬉しかったかわかるか? おまえが王妃に選ばれて。運命だと思った。やっぱり私とおまえは縁があるのだと」
幸せそうに微笑むルキウスに、アーロンはすべてが氷塊した。
(だから、おまえは誰もが驚く王妃の選定をあれほどすんなりと受け入れたのか)
あの時のルキウスは落ち着いていた。だが、表には出さなくても心の中で歓喜していたのだ。
「……っ」
気づけば、アーロンはルキウスを思い切り抱きしめていた。
「おまえさあ、そんな寂しい思いをしていたんだな」
ルキウスはずっと自分を助けてくれた人間と話したいと、そばにいたいと思っていたのだ。
自分の面倒事に巻き込むまいと我慢していた子どものルキウスのことを思うと胸が痛む。
ルキウスは孤独と諦観を抱えながらも、それでも真摯に学び国のことを考えてきたのが王になった彼を見ればわかる。
(こいつはずっとやさぐれずに励んできたんだ。そして、女神に認められて王に選ばれた……)
彼に足りないのは信頼できる家族だけ。
すべてが腑に落ちた。
(俺が王妃に選ばれたのは……きっとルキウスを守り支えるためなんだ)
すべてを諦めてきたルキウスが、ただ一人会いたいと思っていた人間が自分ならば。
「俺がそばにいてやる」
アーロンはぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。
「ずっとそばにいて守ってやるから」
「それは嬉しいが、今にも呼吸が止まりそうなんだが」
ルキウスの苦しげな声に、アーロンは慌てて腕を放した。何も考えず力任せに抱きしめてしまった。
ほうっと大きく息を吐いたルキウスが微笑む。
「私は幸せ者だな」
「ああ。俺がもっと幸せにしてやるから任せとけ」
アーロンは今、心の底から自分が王妃であることを誇りに思った。




