第3話:戸惑いの初夜
「うぐう……」
アーロンは腕を組みながら寝室のドアをにらみつけた。
平和な世が続くサンムーンド王国だったが、野盗などがいなかったわけではない。
アーロンは実戦も経験している。
だが、初めての出動のときより何倍も緊張している自分がいた。
こんなに恐ろしさを抱いたのは初めてかもしれない。
(えっと、ミランダはなんて言っていたっけ)
くれぐれも粗相のないように――とか何とか言っていた気がするが思い出せない。
そもそも右から左へと言葉が通り過ぎていった。
アーロンはごくりと唾を飲み込む。
(万が一、王が俺を求めてきたら……どうしたらいいんだ? 男相手ってどうやるんだ?)
断ったら不敬罪になるのだろうか。悶々としていても何も解決法が浮かばない。だからといって現状を受け入れられるはずもない。
ドアの前で立ち尽くしていると気配を感じたのか、中から声がかけられた。
「入れ」
アーロンはがっくりと肩を落とした。
だが、逃げることはできない。もともと、アーロンに選択肢はない。
王の気が変わってくれたら、という一縷の望みは儚く砕け散った。
腹をくくったアーロンは寝室のドアに手をかけた。
「失礼します!」
仮にも王の前に出るのだ。アーロンは背筋をピンと伸ばし、寝室に入った。
「うっ……!」
目に入ったのは大きな天蓋付きのベッドだ。
垂らされたベッドカーテンの向こうにくつろいだ様子で寝そべっているルキウスがいた。
夜着を着崩していてもルキウスの神々しい美しさはまったく損なわれていない。
洗い立ての髪が少し乱れているのも、逆に彼を魅力的に見せていた。
自分が女性ならうっとり見とれていたかもしれない。
だが、今の自分には伝説の幻獣、ドラゴンのような恐ろしい存在だ。
緊張のあまりアーロンは右手と右足を同時に動かしていた。
ぎくしゃくと歩いてくるアーロンに、ルキウスがぷっと吹き出した。
「ひどい格好だな」
アーロンは何も言い返せなかった。
女性用の夜着しかなく、大柄なアーロンになんとかそれらしく着せるために用意されたローブは膝丈な上でちんちくりんだ。
かくいうルキウスは縁取りのされた立派なガウンを着ている。
(くそっ、なんで俺の服はこんなに透けてて薄いんだ!)
アーロンはちらっとルキウスに視線を走らせた。
はだけたガウンから胸元が覗く。華奢な印象があるルキウスだが、思いのほか鍛えた体をしているのが見てとれた。
美しい外見と細身から女性っぽく見えたが、長身な上に近くで見るとまったくか弱い印象がない。
さすがに素手で戦えば力負けしないとは思うが、相手が強そうだと思った瞬間よりプレッシャーがかかった。初夜、という言葉が重くのしかかってくる。
「どうした? こっちに来い」
ベッドのそばに突っ立っているアーロンに、ルキウスが声をかけてくる。
アーロンはひくりと頬を引きつらせた。
「いや、その……」
この流れはまずい――もじもじと指を絡めながらアーロンは宙を仰いだ。
(なんとか失礼のないように機嫌を損ねずに別々に寝たいと伝えるのはどうしたら……)
「アーロン」
静かでたおやかな、だが明瞭な声にアーロンはハッと視線を戻した。
ルキウスがじっと自分を見つめていた。
「来い」
すっと手を差し出され、アーロンは限界に達した。頭に血が上り、真っ白になったアーロンは何も考えられず叫んだ。
「無理です! 俺、男は抱けません!!」
血を吐くような叫びを放ち、アーロンはがばっと頭を下げた。
心臓の鼓動が激しく打っているのを感じる。
何をどう考えても男性相手は無理だ。そしてそれを素直に伝えるしかすべはなかった。
「何を言っている」
ルキウスの言葉に、アーロンはそっと頭を上げた。
困惑したようにルキウスがこちらを見ていた。
(あ、もしかして早とちりだった? ただ寝室が一緒なだけだった?)
希望の光明が見えたと思った瞬間、ルキウスが小さくため息をついた。
「おまえは王妃だ。抱かれるのはおまえだろう」
「ひいっ!!」
信じられない言葉に、アーロンはか細い悲鳴を上げた。思わず片足を上げて半歩下がってしまう。
(マジでか。だから、香油……嘘だと言ってくれええええええ!!)
逃げることもできず追い詰められたネズミのようにおののくアーロンにルキウスがふっと微笑んだ。
「冗談だ」
「えっ」
「私も男を抱く趣味はない」
「ほ、本当ですか!?」
いつでも逃げ出せるように片足を上げたまま、アーロンは疑いの眼差しを向けた。
そんなアーロンを面白そうにルキウスが見つめる。
「ははっ、まるで怯えた子猫のようだ。荒くれ騎士団の団長とは思えないな」
声を上げて笑うルキウスに、アーロンは釘付けになった。
(こんな風に笑うんだ……)
戴冠したルキウスを見たとき、冷静沈着で感情をあまり見せない月の王家出身らしい王だと思ったものだ。
端麗な容姿をしたお人形のような王とも。
笑いすぎて目尻の涙を指でぬぐうルキウスを見て、初めて王が自分と同じ人間だと感じた。
(王家の人間は女神の末裔……人外のように思っていた)
ルキウスが安心させるように優しい眼差しを向けてくる。
「からかって悪かった。おまえの嫌がることはしないと誓おう」
「陛下……」
思わぬ優しい言葉にじん、としたとき、ルキウスが煽るように口角を上げた。
「逃げられては困るからな」
「ひいっ!」
またもやアーロンはびくっと肩を上げた。ルキウスが口元に笑みをたたえたままだ。
薄紫色の瞳が興味深そうにアーロンを見つめている。
どこまで本気か冗談かわかりづらい。
(くそっ、これだからやんごとなき方々は苦手なんだよ)
びくびくしているアーロンを楽しげに眺めていたルキウスが真顔になった。
「アーロン、一つだけ確認させてくれ」
「はい?」
真剣な眼差しに一瞬で背筋が伸びる。
やはり王になるだけあって、ルキウスには圧倒的なオーラがあった。
「女神の神託に間違いはないと思うが……妻や恋人はいるか?」
「い、いないです」
「ならいい」
ルキウスが体を移動させると、ポンポンとベッドを叩いた。
「もう寝るぞ。明日も早い」
「は、はい」
アーロンはおずおずとベッドの上に乗った。
幸いベッドは広く、ふたりが並んでもまだ余裕があった。窮屈な思いはしないで済みそうだ。
「では、お休みなさい……」
ベッドの脇のランプを消し、アーロンは布団をかけた。
騎士団に入ってから宿舎で雑魚寝をする生活が長かったので、他人と同じ部屋で寝るのは慣れている。
だが、隣は王だ。
(寝返りを打った拍子に蹴ったり殴ったりしてしまったらどうしよう……)
ぐるぐると嫌な想像をしてしまい、アーロンはぎゅっと唇を噛みしめた。
遠くから見ていた王が、今は手を伸ばせば触れられる距離にいる。
普段ならあっという間に寝付けるアーロンだったが、緊張してまったく眠気が来ない。
しばらくすると、健やかな寝息が聞こえてきた。
(お、王が寝ている……)
この国を統べる重要人物がすぐそばにいる。
(そうだ、俺は王の護衛! そう思えばいい!)
扉の外にも城壁沿いにも兵士はいるが、なんといってもそばで守るのが一番確実だ。
自分が王妃と思うから緊張するのだ。
曲者が来たら一番近くで守れる、と思うと少し肩の力が抜けた。
(そういえば、一番聞きたいことを聞けなかったな……)
暗がりにも目が慣れてきた。
アーロンはルキウスの端正な横顔をじっと見つめた。
(あんたはなぜ男の王妃を簡単に受け入れたんだ?)
神託を受け入れたとしても、一切動揺を見せなかったのが気になった。
まるでそうなるのがわかっていたかのような落ち着きぶりだった。
(やっぱり男が好き……いや、もう考えるのはよそう。このままだと一晩中眠れない)
アーロンは布団をかぶり、きつく目をつむった。




