第29話:アーロンの目標
「ふふ、面白い方ね」
じっと見守っていたマーガレットが口を開いたので、緩んだ空気がぴしりと締まった。
彼女だけが盛り上がりに乗せられることなく、穏やかに場を見守っていた。
「こんなに婦人会が白熱したのはいつ以来かしら? やはり新しい風というものは多かれ少なかれ変化をもたらしますね」
マーガレットが微笑みながら頭を下げる。
「不躾な話題をしてしまってごめんなさい、アーロン様。皆、久しぶりに王妃様と話せて嬉しかったみたい。先王妃はほとんど顔を出しませんでしたからね」
「そうなんですね……」
王だけでなく王妃も政治や社交に興味がなかったようだ。
「ところでアーロン様。あなたはご自分の騎士団の予算を増やすよう提案されたわよね?」
「えっ」
急に思いがけない言葉を向けられ、アーロンは慌てた。
「王の一存で通っていたけれど、あれはあなたのご希望ですわよね」
アーロンはぎくりとした。
「……国の防衛は大事ですけれど、いきなり私情を出し過ぎないほうがよろしいかと。あなたは王妃というお立場ですけれど、反感を買えば今後やりづらくなりますよ」
「は、はい……!」
アーロンはぴしりと背筋を伸ばした。
これくらいいいだろう、とルキウスに頼んだが、やはり端から見ると王妃の我が儘に見えるのだろう。
(よかった、更に宿舎の建て替えとか言い出さなくて)
アーロンは胸をなで下ろした。
(そうだよなあ。本来、国のためになることを言わないと)
それにアーロンはまだ王妃になってから何も成し遂げていない。
(何か国に貢献できたら、言いやすいかも……)
「で、あなたがやりたいのは騎士団の待遇改善だけなのかしら?」
先ほどまでの柔和な態度から一転、マーガレットが鋭く切り込んでくる。
「いきなり王妃になったあなたには気の毒だけれど、自分の身の回りにしか目がいかないようでは困ります。これから国をよくするために何が必要か考えていらっしゃる?」
マーガレットの厳しい目が向けられた。
「俺は――」
アーロンは考え込んだ。
(国にとっていいこと……)
(そうか、王妃って何でもできるんだよな)
これまでとは段違いの権力と金を動かせる。
「子どもの……恵まれない子どもに援助と教育を与えたい」
そんな言葉がするっと出てきた。
まさかアーロンから福祉の話が出てくるとは思っていなかったようだ。
皆、意表を突かれたように絶句している。
「あ、俺、十三歳の時に家を飛び出して……なんとか王都に辿り着いたんだけど、住む場所も食べる物もなくて」
わずかな路銀も尽き、途方に暮れたあの絶望感は忘れられない。
必死で働き口を探したが、相手にされない。簡単な手伝いなどを請け負い、日銭を稼ぐ日々だった。
町外れの空き家に他の浮浪児たちと身を潜め、なんとか食いつないでいた。
「たまに残り物を分けてくれる人もいたけど、個人の力じゃ限界があるし、皆自分の生活で精一杯だ。だから、国が手を差し伸べるべきだと思う」
口にすると目の前がぱあっと大きく開けた気がした。
(そうだ――。ずっと俺が思っていたことはこれだった……)
あのとき、身を寄せる場所があれば。満足のいく食事が確保されていればどんなによかっただろう。
「あと、衣食住も大事だけど、できれば教育にも力を入れたい。俺は運良く騎士見習いになれたけど、体が丈夫で強い奴ばっかりじゃない。最低限の読み書きや計算を教えてくれる無償の学校が必要だ。できれば仕事に繋がるような手作業とかも教えてほしい。真っ当に生きられるように」
いつも頭の片隅に下町に取り残された孤児たちの姿があった。
自分さえよければ、とは思えなかった。
だが、救いの手を差し伸べられるほどの余裕もなかった。
(そうか、王妃になったら叶うかもしれないんだ!)
みるみる胸に熱いものが湧き上がってくる。
(俺、王妃になってよかったかもしれない!)
マーガレットがほう、と息を吐いた。
彼女の目は希望に満ちていた。
「驚いたわ、アーロン様がまさかそんなことを考えていたなんて」
マーガレットがふっと微笑む。
「あなた、私が教育庁の長官だとご存知なの?」
「えっ」
アーロンは驚いた。
「いえ、その。公爵夫人としか知りませんでした。てか、教育庁ってなんですか?」
確か騎士見習いの時に国の仕組みを習った覚えがあるが、頭に全然入っていない。
自分には関係ないと思っていたのだ。
「この国の教育機関を司る組織よ。学校の管理や運営などを任されているの」
つまり、マーガレットがこの国の教育業務についてのトップということになる。
(まさか女性だとは……)
アーロンは驚きを隠せなかった。
「あなたの言うとおり国の発展には子どもたちへの教育の充実が欠かせません。孤児院に関してはこれまであまり手がかけられなかったけれど王妃が力を入れるなら話は変わってくるわ」
マーガレットがにこりと微笑む。
「孤児への手厚い保護は彼ら自身の幸福だけでなく、治安にも関わってくるわ。何とかしたいとは思っていたの。これから協力していけるかしら?」
「もちろんです!」
アーロンは思わず立ち上がった。
「俺、漠然としかイメージできなくて……実際にどうやって孤児院とか学校を増やしたらいいかわからなくて。教育庁と連携できるならありがたい。ぜひご相談させてください!」
「ふふ。頼もしい味方ができて嬉しいわ。教育は大事なのに後回しにされがちで」
マーガレットが立ち上がると手を差し伸べてきた。
「一緒に子どもたちを支援していきましょう」
「喜んで!」
握手を交わした瞬間、幕が開いてルキウスが入ってきた。
「失礼します、ご婦人方」




