第22話:先王の負債
「おい! なんか仕事大変だったって聞いたけど!」
部屋に入るなり詰め寄るアーロンに、本から顔を上げたルキウスがきょとんとした。
「何の話だ?」
「なんか新しいことをやろうとしてて恨まれてるって」
「ああ。先王の時代の後始末、というか腐敗の解体だな」
「そんなにダメだったのか?」
二十五年の人生、先王の治世で生まれ育ってきたアーロンにとって、戦争もなければ大災害もない特段豊かでもないが太平の世だと思ってきた。
「特に問題はなかったようだったけどな……」
アーロンのような浮浪児には過酷な生活だったが、飢饉も内乱もなく、諸外国との戦争もなかった。
そのぶん王の印象もあまりない。何か行事の時にだけ表に出てくる感じだ。
アーロンが興味津々に見つめたので、ルキウスが本を閉じた。
「都合のいい存在だったのだろうな。先王は良くも悪くも事なかれ主義だった」
ルキウスがふっと息を吐いた。
「だから不正をして私腹を肥やす者もでてきた。二十五年と長い治世だったしな。やり放題だっただろう」
ルキウスが立ち上がると棚からグラスを取り出した。
「少し飲みたくなったな。おまえはどうだ?」
「やった! 今日は何だ?」
「蜂蜜酒」
「すげえ!」
貴重な蜂蜜を発酵させて作る蜂蜜酒は高価でめったに飲めない。
「王妃になってよかったと思う瞬間だな」
嬉しそうに酒を飲むアーロンにルキウスが微笑んだ。
「そう思ってくれるなら何よりだ」
「で、今おまえは何をしているんだ?」
「王宮にはびこっている腐敗を取り除こうとしている。恩恵を受けてきた者たちからすると、さぞや鬱陶しいだろうな」
ルキウスが皮肉な笑みを浮かべた。
「まあ、ただ私が嫌われているだけなのかもしれないが」
「そんなことねえだろ。おまえはすごいよ」
(そうか、こいつもずっと王になったらやりたいことがあったんだ。エレノアのように。だから王位に就いたらすぐに着手した……)
自分のように眼前のことしか見えていない人間とは違う。
ルキウスが肩をすくめた。
「土台が腐っていては何かを建てようとしてもぐらついてしまう。だから、何か新しいことをやる前に整地しようとしているだけだ」
「エレノアが心配してたぞ」
そう言うと、ルキウスは少し目を見開いた。
「心配ないと伝えてくれ」
「……」
アーロンはじっとルキウスを見た。
(まあ、こいつに何かあったら俺が守ればいいか)
アーロンは部屋の隅に置いてある自分の剣に視線をやった。
(やっぱり剣を持ち歩くべきか。だが、王妃だからな……)
考え込んでいるアーロンに声がかけられた。
「食事にするか」
食堂に行くと、ずらっと夕食が並べられていた。
「お、美味そう!」
ウキウキと席についたアーロンに、ルキウスが手を伸ばした。
「触るな」
「え?」
「これはダメだな。下げてくれ。それからカーティスを呼べ」
軽く手を振って侍女に指示するルキウスをアーロンは呆然と見つめた。
「は? なんで」
「毒が入ってる」
あっさりした口調だったので、一瞬アーロンは意味が理解できなかった。
「は? はあああああ!? ど、毒!?」
美味しそうに見える食事が急に禍々しさを放つ。
だがいくら目を凝らしても異常は見当たらない。
「毒って……! えっ、なんでわかるんだ?」
「昔、毒を盛られたことがあってな。死にかけた。その経験があるせいか、毒かどうか見ればわかるようになった」
「はあ……」
ルキウスの思わぬ特技にアーロンは密かに驚いていた。
(王族ってのは、たまに特殊能力が発現するって聞く。女神の末裔だからか)
命の危機が訪れたとき想定外の力を出すのは不思議ではない。
「毒を盛られたって誰に――」
アーロンが問いかけたとき、蒼白になったイアンが食事の間に入ってきた。
「ルキウス様!」
「食事に毒が入っている。すぐに調べてくれ」
イアンがすぐに近衛兵を呼び、食事を下げさせた。
「やはり毒味役をお付けしたほうが……」
「いや、見分けられるので不要だ。それより、毒を入れた者を突き止めてくれ。あと、毒の程度や種類がわかれば尚いい」
「ただちに」
優しげな風貌をしていたイアンの顔が険しくなっている。
その酷薄な眼差しにアーロンはぞくっとした。
(ルキウスのためなら人殺しも厭わないって顔だな)
王のそばにいられることを許されている侍従だけある。
「料理に毒って……。俺たちを殺したい奴がいるのか?」
「どの程度の毒なのかわからないがそうかもな」
「王族ってそんなに危険なのか? 先王の時にもあったのか?」
「なかったと聞いている」
アーロンはがっくりと肩を落とした。
「俺たち、嫌われているのか?」
「狙われたのは私だろう。思い通りにならないから排除したいとみえる。先王は傀儡のようなもの。唯々諾々と周囲の意向通りにしてきたから安全だった」
そう聞くと、先王が怠惰で無能というより自分の身を守っていたのかもしれないと思った。
敵対するものを退けるような実力や人材があればともかく、真っ向から戦えないならそれも生き方をして間違ってはいない。
「なるほど。おまえが腐敗にメスを入れて損害をこうむったり、地位を追われたりする奴らがおまえを消そうとしてるんだな!」
「そういう理由かもしれないし、別口かも」
「別って?」
ルキウスが遠い目になる。
「……とにかく、私が死ねば得をする者がいるということだろう」
「それって誰だ?」
アーロンの問いにルキウスは答えなかった。
(それにしても、ルキウスはやけに落ち着いているな……)
毒を見分けられるから、というだけではない。
(まるで予想通りだと言わんばかりだ)
(俺はまだ、ルキウスのことを何も知らないんだな……)
急にルキウスが遠い存在になった気がした。
だが、考えれば当たり前なのだ。もともと王族として生まれ育ったルキウスと、平民の成り上がりのアーロンでは環境も何もかも違いすぎる。
新しく食事が用意されると、ルキウスがうなずいた。
「今度は問題ないな。アーロン、食欲が失せたか?」
「俺は馬鹿なんでな。ひどい目にあってからじゃないと恐怖がわかない」
実際、さきほどの料理に毒が盛られていたかどうかもアーロンにはわからないのだ。
もりもりと食事を口に頬張るアーロンに、ルキウスがふっと微笑んだ。
「ルキウス様」
イアンが足早に戻ってくる。
「早いな。もう犯人を特定したのか」
「いえ。そうではなく。お耳に入れたいことが」
声を潜めたイアンがルキウスに何事かそっと囁くと、またすぐに出ていった。
深刻そうな様子にアーロンはちらちらとルキウスを見た。
(なんだろ……聞いていいのかな)
アーロンはあまり待つのが得意ではない。何も話さず食事を再開したルキウスに思わず声をかけた。




