第20話:先輩王妃
「先生!」
エレノアが自習室に入るなりアーロンは叫んだ。
エレノアがびくっと肩を上げ、手にした本と取り落としそうになる。
「どうしたんですか? 今日は元気ね」
「先生が先々王の王妃って聞いて……」
「あら。ルキウス陛下から?」
眼鏡の奥の灰色の瞳が楽しげに輝く。
この様子だと、特に隠していたということもなさそうだ。
「王妃時代の話を聞きたくて! いいですか?」
前のめりになったアーロンにエレノアが苦笑する。
「そうね。歴史を順番にやっていこうと思ったけど、先に二代前の時代の話にしましょうか。今のあなたに必要かもしれないし」
エレノアがゆったりと椅子に座るや否や、アーロンは質問を開始した。
「エレノアは自分が王妃になるって思ってた?」
「まさか!」
エレノアがぷっと吹き出した。
「あの頃、私は二十一歳で王都の洋品店で針仕事をしていたの。もちろん国の一大行事だから、王妃の儀式があるとは知っていたわ。でも、シャツを縫っていた自分の指に女神の指輪がはまるなんて思わなかった」
エレノアが懐かしそうに遠い目になる。
「びっくりしたわ。両親は小さな雑貨店をやっている本当に普通の平民。美貌も特別な能力もなくて。あるのは野望だけ」
「野望?」
思わぬ言葉が出てきた。
エレノアが晴れ晴れと笑う。
「そうよ。私が選ばれたとしたら、きっとその野望を叶えるためだと思う。そうはっきりわかった」
エレノアの目がきらきらと輝くのを、アーロンは驚いて見つめた。
まさかこんな話が出てくるとは思わなかった。
「自分が王妃に選ばれた理由がわかっていたんですか!?」
それは驚くべき言葉だった。
アーロンにはまだ自分がなぜ王妃に選ばれたのかわからないのだ。
こう言っては失礼だが、思慮深い知的な女性でしかも平民出身の彼女に野望などというものがあると思わなかった。
「あの、野望って……?」
「本よ。私は子どもの頃から本が大好きでとにかく読み漁っていたの。でもなかなか手に入らなくて。ずっと王宮の図書館に入るのが夢だったの」
アーロンは生き生きと語るエレノアを唖然と見つめた。野望というからには権力や金に絡んだものだと思っていた。
「ほ、本?」
「私がもし王だったら、誰もが本を気軽に読める公共図書館を作りたいって思ってた。本の流通自体が他国に比べて少ないから、もっと本を書く人を応援したい。書店だって王都にも数軒しかない。文化国家としてあり得ないわ!」
憤懣やるかたない様子でエレノアが主張する。
「本か……」
「あまりピンとこない?」
「いや、まあ」
(本ってそんなに大事なことだろうか? 王妃なんだったらもっと他に……)
ついそんなことを思ってしまう。
どうやらそれが顔に出てしまったらしい。エレノアがうなずく。
「アーロン、あなたは本をあまり読まないのでは?」
とうとう呼び捨てになってしまった。興が乗っている証拠だ。
「騎士の勉強で仕方なく読んだくらいですかね」
「もったいない! あなたは本の力を知らなすぎる! でもそれは触れてこなかったから。だから、私は誰でも簡単に本を読める国にしたいのよ!」
エレノアがぐっと身を乗り出してくる。
「本は知識を得られるだけじゃなく、その人の世界を広げてくれる。物語を読むことによって、自分と違う人の人生を体験できる。他人に対する想像力や思いやりだって育める。何より無聊を慰めたり、元気をもらえたりするの!」
「そ、そうなのか……」
戸惑うアーロンにエレノアが大きくうなずく。
「これから国が発展していくのに本の普及は欠かせないわ」
「すごいな……」
アーロンは物事をそんな風に考えたことがなかった。
いつも自分と自分の周囲のことだけ考えていた。
王妃になってやりたいことと言えば、騎士団の待遇改善。
(俺と似てるなんておこがましかったな……)
エレノアは平民だったのに、国の将来まで憂えていたのだ。
(俺とは全然違う)
肩を落としたアーロンに、エレノアは自分が熱弁を振るったことに気づいたようだ。
「ごめんなさい。べらべらと語ってしまって」
「いや、すごいよエレノア。聞けてよかった」
(本か……俺の知らないところできっとエレノアは普及のために色々やってきたんだろうな)
だからこそ、教育係にルキウスが選んだのだろう。
「じゃあ、エレノアは王妃に選ばれて嬉しかった?」
「少しだけ、ね」
エレノアが初めて複雑な表情を見せた。




