第12話:王妃教育
「初めまして、アーロン様。教育係のエレノアです」
自習室に入ってきたのは、眼鏡をかけた理知的な四十代半ばくらいの女性だった。
落ち着いた深緑のシックなドレスが似合っており、いかにも教師然としている。
「こちら、授業の予定表です」
渡された表には朝から晩までぎっしりと授業が詰め込まれている。
「王妃になられたばかりですので、王宮行事は最低限にしていただいています。まずは王妃にふさわしい気品と教養を身につけていただきます」
「はい……」
予定表の物量にアーロンは圧倒された。
一応、厳しい騎士見習いの修行をこなしてきてはいる。
そうは思っても、一介の騎士と王妃では要求されるレベルが違うのは明らかだ。
戸惑うアーロンをよそに、エレノアが本を開く。
「まずは歴史の授業です。アーロン様は騎士団長とのこと。ある程度の歴史はご存知ですわね?」
「ええ、まあ」
王国の歴史、という本を一冊読んだことがあるくらいだがアーロンはうなずいた。
「歴史は過去のものではなく、これまでの国の道筋です。王妃としての根幹を成す知識であるとともに、今後他国との交流する際に相手側にご説明できるようにならねばなりません」
「……」
いきなりハードルが上がり、アーロンは気を引き締めた。
歴史をただの事実の羅列としてではなく、自分の血肉として身につけなくてはならないとわかったのだ。
「ではまず、神話の時代からですね」
エレノアが黒板に向かった。
アーロンはごくりと唾を飲み込み、ペンを手にした。
※
「ずいぶんげっそりとしているな」
よろよろと昼食の席に現れたアーロンにルキウスは少し驚いたようだった。
燦々と日が注ぐ中庭の中央に置かれたテーブルにアーロンはどかっと腰掛けた。
そしてすぐに王妃らしからぬ振る舞いだったと気づいた。
「うう……」
いそいそと椅子に座り直し、背筋を伸ばすアーロンをルキウスが面白そうに見つめる。
「教育係にしごかれたか」
アーロンはこくりとうなずいた。
「歴史をみっちりやった後、いきなりダンスだぞ……」
なんと社交ダンスまでやらされたのだ。
「しかも女役だぞ!」
思わず立ち上がってしまったアーロンに、ルキウスがしれっと言う。
「おまえは王妃だからな。パーティーでは必ず王と王妃がオナーダンスを行う」
「知ってるよ!」
パーティーの警備をしたことがあるので、王と王妃が皆の前で踊るのを見たことがある。
ダンスの授業は他の令嬢たちと一緒だった。
でかい図体でドスドス踊る自分と笑いをこらえている令嬢たちの図を思い出し、アーロンは手で顔を覆った。
あんなに自分をみっともないと思ったのは初めてだ。
「その後の授業もきついしさ」
エレノアの授業はただ勉強を教わるだけではなかった。
姿勢や言葉遣い、ちょっとした仕草まで細かく指摘され矯正された。
――いいですか、王妃とは王国の女性の代表であり、お手本でもあるのです。
――誰よりも優雅で洗練された振る舞いが求められるのです。
何度も何度も繰り返し注意され、アーロンはへろへろになった。
「ニコニコしてて優しいんだけど、めちゃめちゃ細かくチェックされてしんどい……」
アーロンはテーブルに突っ伏そうとして慌てて顔を上げた。
ルキウスがいるとつい気が緩んでしまう。
「かなり堪えているな」
「一対一で気を抜く暇もないし、確認の質問がバンバン飛んできて……」
とにかくずっと集中を強いられるのがつらい。
「そうだと思って昼食は気分転換に庭での食事にしてみた。部屋にこもりっきりだと息が詰まるだろう」
わざわざ中庭に昼食を用意させたのはアーロンのためだったようだ。
吹き抜ける風や温かい日光を肌で感じるのは確かに心地がよかった。
目をつむると疲れが少し和らぐ気がした。
「ありがたいよ」
「午後からも授業があるからな。しっかり食べておけ」
ルキウスに言われるまでもなく、空腹だったアーロンは次々と運ばれてくる食事に舌鼓を打った。
これから勉強ばかり日が続くと思うと、楽しみは食事くらいしかない。
しかも頭を使いすぎたせいか、異様に腹が減っている。
ガツガツ食べていたアーロンはハッとした。優雅さからはほど遠い食事マナーだったが、指摘の声は飛んでこなかった。
「おまえは俺に注意しないんだな」
「他に誰もいないからな。私の前では気を張らなくていい」
ナイフとフォークを美しく使いながらルキウスがさらりと言う。
「おまえ、俺に甘すぎないか?」
「普通だろう。愛する妻に優しくするのは」
あまりにもストレートな愛情表現に、アーロンは思わず顔を赤らめてしまった。
「おまえ、またからかっているだろ!」
アーロンの言葉にルキウスは微笑むだけで答えなかった。
「午後からは何の授業なんだ?」
「テーブルマナーと歩き方と手紙の書き方をやるらしい。詰め込みすぎだよ」
「まあ、一気にやるのは大変だな」
ルキウスが淑やかに肉を切りながらうなずく。
「やっぱり王族って子どもの頃から礼儀作法をしっかりやってるんだよな?」
「ああ。王宮行事には五歳の頃から参加しているし、七歳の時から外交として他国と交流することもあった」
つまり、今アーロンが必死になって学ぼうとしていることは彼らが子どもの時に既に習得済みなわけだ。
(俺の子ども時代なんか、野原や川で食べられそうなものを漁っていただけなのに)
積み重ねてきた時間と内容が違いすぎる。
(生まれってこんなに差ができるんだな)
ため息をつきたくなったが、ぐっと堪える。
ここで弱音は吐けない。
まだ授業を受けて一日目なのだ。
騎士見習いになれた時も厳しく躾けられたが、愚直にこなしていったことを思い出す。
(気持ち的にはあの時と同じだな……。なんとかこの仕事にしがみつかないと生きていけないっていう背水の陣で乗り越えた)
逃げ場はないのは同じだ。
「はー」
それでもため息が出るのを止められない。
「授業が終わったら騎士団に顔を出したらどうだ?」
ルキウスからの思いがけない提案に、アーロンはカップを取り落としそうになった。
「いいのか!?」
騎士団に戻っていいのは一週間に一度だけ、と言われていた。
ルキウスが肩をすくめる。
「何か楽しみがなければ削られるだけだろうしな。ただ、夕食までには帰るように」
「やった!!」
アーロンは思わず拳を振り上げた。
団員たちのことも気になっていたが、もう一つ目的もあった。
(俺はあまりにも王宮内のことを知らない)
(何より、夫であるルキウスのことを)
これまでルキウスはアーロンに対し、とても気遣ってくれ親切だ。
アーロンがもし女性なら何も思わず受け入れていたかもしれない。
(だが俺は男だ)
どうしてもルキウスが自分をすんなり王妃と認めた理由がわからない。
(悪いな、ルキウス)
これから嫌でも政治の世界に飛び込むことになる。
額面通りに受け取れるほどアーロンは楽観的ではなかった。




