ジャーナリストの見た境界線 「世界中が動き出す」
アーラブとの面会から、一週間も経たないうちに、事態は、山田たちの想像を超える速さで、膨れ上がっていった。
「――また、来た」
山田のもとに届いたのは、今度は、トルコの情報機関、MITを名乗る人物からの、暗号めいたメールだった。差出人は、名乗らないまま、東朋美の予稿と、荒牧大輔の名前を、具体的に挙げてきた。
「――MITまで?」
万城目が、画面を見つめながら、頭を抱えた。
「――どうなってるんだ、これは」
同じ頃、蒲原のもとには、アメリカの国家安全保障局、NSAの関係者と思われる人物から、遠回しな接触があった。表向きは、学術交流を装った、大学の客員研究員という肩書きだったが、話の端々に、明らかに軍事・諜報畑の人間特有の質問の仕方が滲んでいた。
「――東山道の"エネルギー的異常"について、何かご存知ですか」
その質問の仕方は、アーラブの時とほぼ同じだった。
「――やはり、東さんの予稿が、震源地か」
蒲原は、苦い顔で呟いた。
大場のもとには、イスラエルの対外情報機関、モサドに繋がりがあるという、フリーランスの"コンサルタント"を名乗る人物から、SNS経由でメッセージが届いた。
「――お力になれることがあるかもしれません。情報交換を、ご検討いただけませんか」
その丁寧すぎる文面に、大場は、思わず鳥肌が立つのを感じた。
そして、山田のもとには、最後に、イギリスの秘密情報部、MI6の人間だと名乗る男から、直接の電話があった。
「――失礼ですが、山田さん。少々、お伺いしたいことが」
流暢な、しかしどこか作り込まれたような日本語だった。
「――もう、うんざりだ」
電話を切った後、山田は、思わず、そう漏らした。
その夜、「ラクカ」に集まった一同は、これまでにない緊張感の中にいた。
「――MIT、NSA、モサド、MI6――」
根古が、缶コーヒーを手にしたまま、一同の報告を、順に聞いていた。
「――アーラブの一件と合わせれば、少なくとも五つの国の情報機関が、この件に、何らかの形で関心を示している、ということになる」
「――東さんの、たった一つの予稿から、ここまで広がるものでしょうか」
大場が、困惑した表情で言った。
「――普通なら、ここまでは広がらない」
蒲原が、腕を組みながら言った。
「――学術論文の、しかも慎重な言い回しの予稿一つで、これほど多くの機関が、これほど早く、しかも、これほど直接的に接触してくるというのは……」
「――不自然すぎる、ということですか」
山田の言葉に、蒲原は頷いた。
「――俺は、最初の"琳"の時にも、同じことを言った。今回も、同じ違和感がある」
万城目が、静かに口を開いた。
「――もしかして、これは……誰かが、意図的に、情報を"拡散"させているんじゃないでしょうか」
その言葉に、根古の目が、鋭くなった。
「――誰かが、とは」
「――東さんの予稿だけじゃない。荒牧の計画の詳細――四箇所の具体的な位置まで、複数の機関が、既に把握しているような口ぶりでした。それって、東さんの予稿だけじゃ、説明がつかない」
「――つまり」
山田が、ハッとしたように言った。
「――誰かが、東さんの予稿を"きっかけ"にして、その後、意図的に、具体的な情報を、複数の機関に、個別にリークしている、ということか」
「――誰が、そんなことを」
大場の問いに、根古は、静かに、しかし確信を込めて答えた。
「――草薙だ」
その場の全員が、息を呑んだ。
「――なぜ、そう思うんですか」
「――あいつは、俺たちに、はっきりと言っていた。『この件に興味を持っているのは、私たちだけではない』と。まるで、これから起きることを、事前に知っていたかのような口ぶりだった」
根古は、缶コーヒーの缶を、強く握りしめた。
「――もし、草薙が、意図的に、この件を国際的な"関心事"に仕立て上げているとしたら――その狙いは、一つしかない」
「――何ですか」
「――国内だけで、こっそり処理できない状況を、わざと作り出す。世界中が注目する話になれば、日本政府も、防衛省も、この件を、"個人の独断"として、簡単には切り捨てられなくなる」
根古の言葉に、山田は、背筋が凍るような感覚を覚えた。
(――草薙は、荒牧のように、力業で押し通そうとしているんじゃない。国際的な圧力を利用して、正式に、堂々と、"国家事業"として、この件を進めさせようとしている……)
「――だとしたら」
万城目が、震える声で言った。
「――俺たちが、これまで追ってきた情報――取材そのものが、既に、草薙の"計画"の一部に、組み込まれているんじゃないか」
その可能性に、その場の全員が、言葉を失った。
窓の外では、夜がさらに深まり、多治見の街の明かりが、いつもより、どこか不穏に瞬いているように見えた。




