ジャーナリストの見た境界線 「焦る大佐、動くインド」
琳郡怜が、山田に接触してきた背景には、本人も語らない、切迫した事情があった。
琳の所属する軍関連の研究部門は、ここ数年、C国内部でのエネルギー資源、特に次世代の未知資源開発において、深刻な遅れを取っていた。国内の経済状況は、既に危険水域に近づきつつあり、軍上層部の一部では、「何らかの、画期的な技術的ブレイクスルーがなければ、国家の体制そのものが、立ち行かなくなる」という、悲観的な見方すら、囁かれ始めていた。
そんな中、琳が、内部の伝手を通じて掴んだのが、日本の一地方――東山道沿いの"封印地"に関する、古い記録の断片だった。荒牧大輔という、既に失脚した防衛省の参謀が、かつて調べ上げていた情報の一部が、何らかの経路で、国外にまで流出していたのだ。
「――これが、本当なら」
琳は、上層部への報告書を前に、一人、焦りを募らせていた。
(――もし、これを手に入れられなければ、私自身の立場も、危うい)
琳の接触は、決して余裕のある行動ではなかった。組織的な裏付けのない、いわば"個人的な賭け"に近い動きだった。だからこそ、蒲原が指摘した通りの"不自然さ"――迂遠な手順を踏まない、性急な接触――が、生まれていたのだった。
一方、この動きを、静かに察知していた者たちがいた。
インド対外情報局の分析官、アーラブ・カウールは、東アジア地域における、複数国の情報機関の不審な動きを、以前から追っていた。
「――C国の琳という大佐が、日本の民間人に接触している。しかも、組織を通さない、個人的な形で」
アーラブは、部下から届いた報告書を見つめながら、静かに呟いた。
「――何を、そんなに焦っているのか」
アーラブの見立てでは、琳の行動は、明らかに"通常の"工作パターンから外れていた。それは、逆に言えば、琳の背後にある組織――あるいは琳自身が、極めて切迫した状況に置かれている、ということを意味していた。
「――この件、私が直接、当たってみます」
アーラブは、上司にそう告げると、日本行きの準備を始めた。
インドにとっても、この"未知の資源"の情報は、決して無視できるものではなかった。もし、それが本当に、次世代のエネルギーや技術革新に繋がるものであれば、地域のパワーバランスそのものに、影響を及ぼしかねない。
「――日本の当事者たちに、直接、接触してみる価値はありそうです」
アーラブは、そう判断していた。
数日後、山田のもとに、また新たな連絡が入った。今度は、メールだった。
『――突然のご連絡、失礼します。私、インド対外情報局の、アーラブ・カウールと申します。琳郡怜という人物から、あなたに接触があったかと思いますが、その件について、お話しできればと思います』
山田は、そのメールを見つめながら、思わず、深いため息をついた。
「――また、増えたのか」
万城目が、画面を覗き込みながら、呆れたように言った。
「――今度は、インドか」
「――どうします」
大場の問いに、山田は、しばらく考えた後、答えた。
「――根古さんに、相談しよう。それと」
「――それと?」
「――今度こそ、慎重に、相手の"矛盾"を見極める必要がありそうだ」
山田は、そのメールを、根古と、そして蒲原、万城目、大場、全員に転送した。
画面の向こうで、事態は、確実に、より大きな渦へと巻き込まれ始めていた。だが、山田の中には、依然として、あの拭いきれない違和感――「何かが、おかしい」という感覚が、消えずに残っていた。
(――琳の焦りは、本物かもしれない。だが、それを、誰かが利用しようとしている可能性も、ある)
山田は、手帳に、新しい名前を書き加えた。
――アーラブ・カウール。
その名前の下に、山田は、静かに、しかし力強く、疑問符を一つ、書き加えた。




