ジャーナリストの見た境界線 「名乗る者」
草薙が去ってから、三日後のことだった。
山田のもとに、一本の電話が入った。発信者は、これまで一度も見たことのない、海外からの番号だった。
「――もしもし、山田さんですか」
流暢な日本語だったが、微かに、大陸訛りのようなイントネーションが混じっていた。
「――どちら様でしょう」
「――琳郡怜と申します。あなたが追っている、あの一件について、少し情報を交換できないかと思いまして」
「――あの一件、というのは」
「――東山道沿いの、封印地の話です。隠さなくても、結構ですよ」
山田は、思わず息を呑んだ。この話を知っている人間は、まだごく限られているはずだった。
「――失礼ですが、あなたの、ご所属は」
「――人民解放軍、大佐です」
その言葉に、山田は、しばらく言葉を失った。
「――なぜ、そのような立場の方が、私に接触を?」
「――我々も、この件について、独自に調査を進めています。もし、情報を共有していただけるなら、それ相応の"お礼"は、用意できます」
琳と名乗る男の声は、あくまで丁寧で、しかし、その丁寧さの中に、隠しきれない圧力のようなものが滲んでいた。
「――少し、考えさせてください」
山田は、そう言って、電話を切った。
その日の夜、四人は、再び「ラクカ」に集まっていた。
「――人民解放軍の大佐が、直接、俺に接触してきた」
山田の報告に、万城目が、驚きの声を上げた。
「――本当に、本物なのか?」
「――分からない。声だけでは、判断がつかない」
蒲原が、腕を組みながら言った。
「――待てよ。本当に人民解放軍の大佐が、こんな直接的な形で、いちジャーナリストに接触してくるものか?」
「――というと?」
「――普通、こういう工作は、もっと迂遠なルートを使うもんだろう。第三者を介したり、金銭的な誘いを、もっと巧妙な形で持ちかけたり。いきなり『大佐です』と名乗って、電話をかけてくるなんて、ずいぶんと不自然だ」
蒲原の指摘に、山田は、ハッとした表情を見せた。
「――確かに、言われてみれば」
「――もしかして」
大場が、恐る恐る口を挟んだ。
「――これ、草薙さんの……罠、とかじゃないでしょうか」
その場に、重い沈黙が流れた。
「――どういうことだ」
「――だって、草薙さんは、この前、『海外の機関も、既にこの件に目をつけている』って、言ってましたよね。あれって、もしかしたら、こちらを試すための、伏線だったんじゃ」
万城目が、低く唸った。
「――つまり、草薙自身が、この"人民解放軍の大佐"を、こちら側に接触させた、ということか」
「――もしくは」
蒲原が、さらに続けた。
「――本物の海外機関を装って、実は日本側の別の組織――例えば、内調とか――が、俺たちの反応を試している、という可能性も、ないとは言えない」
山田は、しばらく考え込んでいた。
(――誰を、信じればいいんだ)
「――とにかく、根古さんに、報告しよう」
電話を受けた根古は、しばらく黙って話を聞いていたが、やがて、静かに言った。
「――お前さんの勘は、正しいかもしれない」
「――どういうことですか」
「――本物の他国の工作員が、こんな分かりやすい名乗り方をするとは、俺にも思えない。それに」
「――それに?」
「――もし、本当に人民解放軍が、この件を掴んでいるなら――なぜ、荒牧の一件の時には、一切、その気配がなかったんだ」
その指摘に、山田は、はっとした。確かに、去年の一件では、そのような海外機関の影は、一度も現れていなかった。
「――つまり」
「――誰かが、"それらしい"人物を演じて、お前さんたちの反応を見ている可能性が高い、ということだ。草薙かもしれないし、あるいは、もっと別の誰かかもしれない」
根古の声には、静かな緊張があった。
「――しばらく、その"琳"とやらと、直接連絡は取るな。取るとしても、必ず、俺たちに事前に報告してからにしてくれ」
「――分かりました」
電話を切った後、山田は、しばらく、手の中のスマートフォンを見つめていた。
(――何かが、おかしい)
その違和感は、拭い去ることができなかった。まるで、舞台の上で、誰かが台本通りに演じているような――そんな、奇妙な感覚が、山田の中に、静かに広がっていた。




