水底の村 「送り物」
一
東京から福井へ向かう新幹線の中で、根古親司は万城目伸に、これまで誰にも話していなかった話を始めた。
「父の代――昭和四十年代の話です」根古は窓の外を見ながら言った。
「九頭竜側の村と、徳山側の村は、山越えの参詣道でかつて繋がっていました。直線では遠くとも、峠を歩けば三日ほどで行き来できた。両村は姉妹村のような間柄で、"太鼓送りの神事"は、その道を通して、実際に音を送り、実際に応えていた神事だったんです」
「太鼓の音が、峠を越えて届いたと」
「届いていた、と伝わっています。何を送っていたのか。それが、単なる音ではなかった、というのが厄介なところです」
根古はそこで一度、言葉を切った。
「両村には、それぞれ一体、"送り主"と呼ばれる御神体があった。片方の村が飢饉や疫病に見舞われた年、もう片方の村が、自らの御神体に憑いた"厄"を、太鼓の音に乗せて相手の村に送り渡す。相手はそれを受け取り、鎮め、また別の年に送り返す。行き来させることで、どちらの村にも厄が溜まらないようにしていた、と」
「循環させていた、ということですか」
「そうです。ですが」根古の声が沈んだ。
「昭和四十年代、両方の村に同時にダム建設の計画が発表された。村人たちは、御神体を沈める前に、最後の"送り"をしようとした。ところが工事の日程がずれ、片方の村――九頭竜側が先に水没してしまった」
「相手が沈んでしまえば、送ったものは、どこにも届かない」
「その年、九頭竜側から送られた"厄"は、徳山側にまだ届いていなかった。そして徳山側も、間もなく沈んだ。父の日誌にあった一文――"分離施工により、送り先を一つに統合す"というのは、行き場を失ったそれを、便宜上、両方の湖底にまとめて封じた、という意味だったんだと思います」
「まとめて封じた、というのは、うまくいったんですか」
根古は、初めて万城目の方を向いた。
「五十年、沈黙していた。だが、去年、九頭竜側の水位が下がって社の跡が顔を出した。田中さんが木像を引き上げたのは、その時です」
「それが、きっかけに」
「送り先の片方に、"蓋"がされていない状態が作られてしまった。今、湖底にあるものは――ずっと"どちらに送ればいいのかわからない"まま、宛先を探し続けているのかもしれません」
二
湖畔の民宿では、田中軍蔵が青ざめた顔で、机の上の木像を見つめていた。
佐藤直樹、横溝周平、金田一崇、ショー・ラッシング、堤直樹が、その場を囲んでいる。木像は先ほどから、誰も触れていないのに、わずかに向きを変え続けていた。
「まるで、方位磁針みたいだ」佐藤が呟く。
「何かを探しているように見える」堤が言った。「あるいは――呼ばれている、というべきか」
横溝が、老眼鏡の奥から鋭い目を木像に向けた。
「田中さん。この木像を引き上げた社の跡は、正確にどの位置だったか、覚えておるか」
「湖の、南東の入り江の――」
言い終わる前に、木像がぴたりと動きを止めた。向いた先は、窓の外、湖の対岸だった。
その時、山田貴明の携帯が鳴った。可児署の雨月雅之からだった。
「山田さん、落ち着いて聞いてください。徳山側の湖底調査中に、上田一尉たちの潜水チームと連絡が一時的に取れなくなりました」
「一時的に、というのは」
「三分後に回復しました。ですが、上田一尉の報告によると――湖底で見つけた太鼓の破片の周りに、水中とは思えない足跡のようなものが、新しく残っていたそうです」
山田は木像を見た。木像は、依然として対岸を見つめていた。




