水底の村 「湖底の記録」
自衛隊特殊部隊の上田唯一尉と大島拓陸士長が現地に到着し、湖底調査が始まる。同時に、雑誌記者・万城目伸が独自に掴んだ、ダム建設時の"隠された記録"が明らかになっていく。
一
徳山ダムの湖畔に、迷彩色の車列が到着したのは、正午を少し過ぎた頃だった。
先頭の車から降りてきたのは、二十八歳の女性自衛官、上田唯一尉。
陸上自衛隊の特殊作業を専門とする部隊で、今回は潜水調査の指揮を任されていた。
続いて降りてきた大島拓陸士長は、三十一歳。潜水器材を担ぎながら、湖面をちらりと見て眉をひそめた。
「一尉、水温にしては、少し様子が変ですね」
「様子とは」
「波が、風に対して逆に立っています」
上田も湖面を見た。
確かに、風は北から吹いているのに、湖面の細かい波は南から北へと動いているように見えた。
彼女たちを迎えたのは、県警から出向中の安田達郎警視正と、多治見署長の小倉裕司だった。
さらに、陸自側の参謀として同行してきた五十七歳の荒牧大輔が、地図を広げながら状況を説明した。
「先週の測量で、湖底のこの位置に、水没前の村の中心部があったことが確認されている」荒牧が指した場所は、山本彩織のドローンが石積みを発見した斜面の、ちょうど真下だった。
「太鼓の台座らしき構造物の真下ということですか」上田が言う。
「その通りだ。加えて、警視庁から特殊班の斎藤士郎が合流する。彼は以前、別件でこの手の"異常事案"を担当した経験がある」
「異常事案、というのは」大島が聞くと、荒牧はしばらく口を閉ざした後、短く答えた。
「詳しくは、現地で話す」
二
同じ頃、東京の雑誌編集部で、四十歳の記者、万城目伸は、古い資料の束を前に唸っていた。
九頭竜ダムと徳山ダムの建設当時の記録を、国立の資料館や地元の郷土資料館から取り寄せ、丹念に読み込んでいた結果、二つのダムの建設に関わった技師の名簿に、共通する一つの名前を見つけたのだ。
――監督技師 根古 定一
「根古……」
万城目は、この一件で助言役として動いている根古親司のことを思い出した。すぐに電話をかける。
「根古さん、お聞きしたいことがあります。あなたのご親族に、定一という方はいらっしゃいませんか」
電話の向こうで、しばらく沈黙が続いた。
「――父です」根古はやがて答えた。「九頭竜と徳山、両方のダム工事に関わった技師でした」
「両方に、ですか。当時、そんな例は珍しかったのでは」
「珍しいどころではない。普通なら有り得ん人事です。だが、父は自ら望んで両方の現場に志願したと聞いています」
「理由は」
根古は、また少し黙った。
「父は、生前、一度だけ私に言いました。"沈める前に、送り物を間違えた"と。それが何のことか、私にはずっとわからなかった」
万城目は資料をもう一度見返した。根古定一の名前の隣、工事日誌の欄外に、小さくこう記されていた。
――両村、同祭祀。分離施工により、送り先を一つに統合す。
「万城目さん」根古の声が、電話の向こうで少し変わった。「一つ、確認させてください。今、現地で調査は、どこまで進んでいますか」
「湖底の、旧村の中心部だと聞いています。太鼓の台座らしきものの真下です」
「それは、止めさせてください」
根古の声には、これまでにない緊張があった。
「送り先が一つに統合されたということは――今もまだ、そこに"届いていないもの"がある、ということです」
三
湖の底、潜水灯に照らされた石積みの奥に、上田唯は目を凝らした。
水没した社の跡。崩れた木の柱の間に、何かが引っかかっている。
近づいてよく見ると、それは古い太鼓の破片だった。
革の部分は既に朽ちているが、木枠には、かすれた文字が彫られていたのが、潜水灯の光で浮かび上がった。
――還ラズ
その瞬間、上田の耳に、水を通してくるはずのない音が届いた。
トン。
湖底全体が、微かに震えたような気がした。
根古親司が語る"送り物"の正体、そして湖底からの太鼓の音に応えるように、湖畔の民宿にいる田中軍蔵の木像が動き出す。




