水底の村 「太鼓の輪」
可児署警部補・雨月雅之と、県警から出向中の警視正・安田達郎が捜査に加わり、事態は自衛隊特殊部隊の出動を要する規模へと発展していく。
一
翌朝、可児署の会議室に、雨月雅之警部補の姿があった。
二十八歳という若さで捜査の指揮を任されているのは、彼が着任以来、この一帯の失踪事案をすべて自ら追ってきたからだった。
「山本、平。ドローンの映像は?」
「これを見てください」
山本彩織が持ち込んだノートパソコンに、昨夜、湖の南斜面を撮影した映像が映し出された。
木々の間、湖畔から少し上がった斜面に、明らかに人工的な、石を積んだ跡があった。
「地図にない構造物です」平圭が言う。「水没する前の集落の地図とも一致しません」
「もう一枚あります」
山本が別のフレームを止めた。
石積みの中央、うっすらと丸い窪みのようなものが見えた。
まるで太鼓を据える台座のような形をしている。
「ダムができる前、この村に祭りの記録は?」雨月が聞くと、平が資料をめくった。
「九頭竜側の旧村誌には、"太鼓送りの神事"という記述があります。毎年、対岸の村――つまり徳山側と、太鼓の音を送り合う神事だったと」
「対岸というより、七十キロ離れた別の県ですよ」山本が言う。
「その距離で、太鼓の音が届くはずがない」雨月は資料を睨んだ。
「にもかかわらず、二つの村は"届いている"と信じて、神事を続けていた。なぜだ」
答えの出ない問いを残したまま、会議室のドアが開いた。
二
「失礼する」
入ってきたのは、五十代の男だった。県警から出向し、現在は警視正としてこの一帯を統括する立場にある安田達郎。彼の後ろには、多治見署長の小倉裕司が続いていた。小倉は雨月たちの上司ではないが、この件に強い関心を寄せているらしかった。
「小倉さんが、なぜここに」雨月が驚いたように言う。
「根古のやつに、無理を言われてな」小倉は苦笑した。「古い同級生の頼みは断れん」
根古親司――五十八歳、県警や自治体から折々に相談を受ける、いわば裏方のアドバイザーだった。今回の一件でも、早い段階から動いていたらしい。
「安田さん、なぜ警視正がこの規模の事案に直接乗り出すんですか」雨月が単刀直入に聞くと、安田は少し間を置いてから答えた。
「行方不明者が四人、という数字だけなら、ここまで大きく動かん。だが、昨夜の時点で新たに一件、通報が入った」
「新たに?」
「徳山ダム側でだ。福井側とほぼ同じ時刻に、湖畔で作業していた男が消えている。二つの県で、同時刻に同じ現象が起きた」
会議室が静まった。
「これはもう、単独の遭難事案ではない」安田は続けた。「上には、既に別の相談を進めている」
「別の相談、というのは」
安田はそこで初めて、雨月の目をまっすぐに見た。
「自衛隊への協力要請だ」
三
同じ頃、湖畔の民宿では、山田貴明が横溝周平、金田一崇と共に、田中軍蔵が持ち込んだ木像を囲んでいた。
「この像を引き上げたのは、いつのことですか」山田が尋ねる。
「三年前だ」田中は静かに答えた。
「ダムの水位が下がった年があってな。普段は沈んでいる社の跡が、久しぶりに顔を出した」
「引き上げてから、何か変わったことは」
田中は答えず、代わりに木像の背をそっと指でなぞった。そこには、小さな文字が彫られていた。
かすれてほとんど読めないが、横溝が老眼鏡をかけて、じっと目を凝らした。
「"送り、還さねば"――そう彫ってあるように見える」横溝が言った。
「送る、というのは、太鼓の音のことでしょうか」佐藤直樹が口を挟む。
「あるいは」と、それまで黙っていたショー・ラッシングが言った。
「送っていたのは音ではなく、何かもっと別のものなのかもしれません」
その時、田中の顔から血の気が引いた。
「――音が、また聞こえる」
誰も何も言っていないのに、田中だけが、その場にいない太鼓の音を聞いていた。




